書評 倉山満著『桂太郎』 −中川晴久−

 

 

 

中川晴久
東京キリスト教神学研究所幹事
主の羊クリスチャン教会牧師
SALTY-論説委員

<はじめに>

「なぜ桂太郎を描くのか」という問いに対して、著者の倉山満氏は「今の日本に求められている宰相だからです。こんな総理大臣が欲しい!その人物こそ、桂太郎です。」と冒頭で述べています。

私がこの本『桂太郎』を薦めるのは、桂太郎という人物を通して、この本が日本の近代史のエッセンスやアクセントなどを見事に教えてくれるからです。特にキリスト者は、日本がキリスト教世界と本格的に触れることになった幕末そして明治において、私たちの祖先がこれをどう受けとめ、また何を憂いていたかを知ってほしいのです。

これまで日本のキリスト教界では、日本近代史に対しては「戦争責任」を標榜したリベラル層から、さまざまな問題提起がなされてきました。しかし、そこには戦後のWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム:War Guilt Information Program)などの歴史認識の歪曲工作や「南京大虐殺」「従軍慰安婦の強制連行」などの偽証と捏造の政治的プロパガンダがそのままになっており、それをそのままに日本の近代史を眺めるのにはもう限界がきているのです。今後はむしろ、日本において急速に拡大している保守的な考え方の人たちの歴史認識において、私たちキリスト者はこれまでとは違う問いを突き付けられることとなるでしょう。
その時、キリスト教会は時代が要請する問いに答えを用意する必要があるのです。

1、私の日本近代史の理解

恥ずかしながら、私は桂太郎という人物について、ほとんど何も知りませんでした。大学受験でその名前を知り、総理大臣を3回やった人という記憶しかありませんでした。高校3年間を通して私が学んでいた日本史の先生は、縄文時代の研究に生涯をかけた人で、私が在学中に縄文研究の本まで出版した考古学が大好きな人でした。だから古代についてはかなり厚く(熱く)教えられました。おかげで、近現代まで授業が進まず、結局ぺリーの黒船がやってきたところで私たちは高校を卒業させられたのでした。今だったら大問題ですが、あの頃の横浜の学区2番手3番手の高校ではそれでよかったのでした。当時は私大でも早稲田・慶応を受験するのでないかぎり、近現代はあまり出題されなかったのです。だから、私の同世代の公立高校出の人は、近現代などほとんど教わらなかったはずです。

私はもっぱら予備校で近現代史をやったのですが、暗記中心で話がつながらなかったことに加え、歴史認識の根本部分で混乱してしまいました。歴史好きな父親から林房雄著『大東亜戦争肯定論』という本を薦められて熱心に読んでしまったおかげで、真逆の歴史認識で語る予備校の講師の話が、私の歴史認識とかみ合わなかったのです。予備校の先生は自らサヨク活動家であることを隠しもしませんでした。言っていることが真逆なのです。
紹介している『桂太郎』はそんな混乱を抱えたまま大人になってしまった私にとって、日本近代史が手ごたえをもって理解できたと喜べる実にありたがい本でした。

2、なぜ倉山満著『桂太郎』は分かりやすいか

日本の近代史は国内の事情だけでなく、世界のキリスト教国の動き、欧米列強のパワーバランスおよび各国内の政治状況までも関わってきます。それに加え、近代人の意識の変化や世代交代などの流れの中で、歴史を把握していかねばなりません。さらにそこに、さまざまな角度からの視点や価値観が交差します。
倉山氏がその近代を分かりやすく紹介できたのは、まず「桂太郎」という人物に焦点を当てたからだといえるでしょう。いくつもの視点か交錯する近代史にあって、「桂太郎」という1人の人物を追ったことで、彼が背負った日本の近代がいかなるものであったかを、私たちは知ることができるわけです。この本では、桂太郎において日本の近代史を体現させているのです。反対に、近代史が桂太郎に結晶化されているといってもいいかもしれません。

桂太郎を通して近代のエッセンスが噛み締められるのと同時に、倉山氏の歴史に対する洞察がアクセントとして加わっていることが、『桂太郎』の分かりやすさの要因なのだと私は考えています。

3、桂太郎内閣の紹介と業績

賛否は別にして、桂太郎内閣の主な業績を挙げると次のようになります。

第一次桂内閣では、日英同盟を結び日露戦争に勝利しました。

第二次桂内閣では、日韓併合および不平等条約の解消です。また「高平・ルート協定」にあって日米同盟を安定化させました。
ここでの倉山氏のアクセントは「日本はどの国にも滅ぼせない国となった」ということです。

第三次桂内閣は、桂太郎が癌に犯された体にムチ打って組閣したもので、不本意ながら短命に終わってしまっただけに見えます。しかしそのことを通して、二大政党への道を開くという大業を為したというのが、倉山氏のアクセントです。

「民主主義の本場イギリスですら、二大政党制の実現には数百年かかっています。しかるに、わが国は帝国憲法制定から35年で、〈憲政の常道.〉と呼ばれる二大政党による政権交代が成立するデモクラシーを実現したのです。」

桂太郎内閣の紹介と業績についてサッと挙げましたが、実際に著書を読んでいただけると、これほどまでに重要な役割と功績をもった人物が、世間一般に深く知られていないことに驚かされます。

私の歴史好きな父親がよく「大事を為すは人間が根本である。」と言っていました。元寇の時に北条時宗が言った言葉だと父は言っていたのですが、調べてもどこにもありません。ただ、桂太郎にはこの言葉がよく当てはまります。大事を為すに桂太郎という「人間が根本」にありました。歴史はその時その人間が何を為すか、何を決断したかで大きく変わってくるわけです。私が何を為すかで私の周りの環境は一変するでしょう。皆さんが何を決断するかで、皆さん個々人にまつわる未来は変わるということでもあります。全く同様に、桂太郎の業績は彼の人物像と彼の判断力・決断力と不可分だったのです。

4、桂太郎という人物

 

この本を読み解くに、倉山氏は「国際政治」「国内政治」「重要政策」の物差しを提示しています。というのも、桂太郎の魅力はその3点を的確にとられて行動しているからで、「桂は国際政治を理解しながら、国内政局を収め、喫緊(きっきん)の事項から重要政策に取り入れ、事にあたりました。」。ここでの倉山氏のアクセントは「しかも、その優先順位をまちがえませんでした。」ということです。

桂太郎は「ニコポン政治家」と言われていました。「桂はニコっと笑ってポンと肩を叩いて人を籠絡する」のです。これと対照して、桂の親分の山県有朋は、権力の亡者のようにも見えます。桂と政治的に幾度も折衝した原敬は、「平民宰相」などと呼ばれて民衆に人気があったといわれているけれども、常に党利党略に走り、民衆をまるで信じていませんでした。また、桂を攻撃し「憲政擁護演説」で有名な尾崎行雄は、弁術は見事で民衆を惹きつける才覚をもっていたようだけれども、国家のことは考えていないのです。
歴史を振り返ればどの時代もそうですが、頭の良い人やいわゆるスペックの高い人間というのは過去にも腐るほどいて、もっともらしいことを語り、人を魅了しても、かえってその能力で民衆を真逆に全力疾走させてしまいます。しかし桂太郎は、頭の良し悪しやスペック云々の問題ではなく、冷静に現実分析をし、今の時代に本当に必要なこと、重要な課題を見抜いて、戦略錬り、根回し説得もすれば必要とあれば土下座をしてでも、日本国が置かれた状況の中で、国を思いその必要のために働きました。
その動きは地味で、自分を大きく見せようとはせず、国守りのために本当に必要なことを見つめていました。それゆえに私の覚えた桂太郎の印象は「等身大」です。威張ったり勇猛さを見せたりという余計な飾りがないので、素朴にすら感じます。だから、桂太郎の目線で近代を見ると近代史が良く分かるのです。

5、キリスト者として

真理を体現する者は、必ず自己批判をもっていなければなりません。近代を語るにキリスト教国といわれた国々が、人種差別の下地にあって植民地支配を拡大させてきたことは、私たちキリスト者の口からこそちゃんと批判される必要があります。これまでこの問題にキリスト者は真正面から取り組んでいなかったように思います。同時に、いわゆる「自虐史観だ」と蔑称されるものの片棒を担ぐことになってしまったこれまでの歴史認識をちゃんと検証し、改めるべきは改め、否定されるべきは否定する必要があります。その上で初めて私たちは福音の真理をもって「良いモノは良い!」と語ることができます。

教会でなぜ日本を愛することを教えないのか、なぜ積極的に日本のために祈ることをしないのか、なぜもっと日本の文化や伝統を大切にすることを伝えないのか。原因は、「近代」に対する歴史認識にあると私は考えています。その意味でも、近代を知る大きな手掛かりとして、倉山満著『桂太郎』を薦めたいのです。

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