「わが体験的コリア論」~西岡力先生から信仰を学ぶ~ −明石清正~

 

明石清正
SALTY論説委員
カルバリーチャペル・ロゴス東京 牧師
ロゴス・ミニストリー 代表

 正月に、本書を完読しました。

「わが体験的コリア論 ―― 覚悟と家族愛がウソを暴く」(西岡力著)

 拉致被害者を救出する「救う会」の会長で、朝鮮半島の研究者である西岡力先生による著書です。実は、ご本人から贈呈いただきました。日本キリスト者オピニオンサイト-SALTY-の仲間です。西岡先生が主筆で、私は論説委員の末席を汚しています。

論文の主張が、日本国を動かした

 本の内容は、これまで西岡先生が取り組んでこられた主に二つの事が、体験的に書かれています。一つは慰安婦問題、もう一つは拉致問題です。西岡先生のライフワークの二本柱です。

 この二つの領域において、彼の働きは、日本国そのものを動かしたと言っても全然言い過ぎではありません。慰安婦問題においては、文科省が、21年9月、教科書の記述について「従軍慰安婦」ではなく単に「慰安婦」とするのが適切であるとしました。拉致被害者救出運動については、拉致そのものがタブー視されている状況から、金正日が拉致を認め、日本政府が拉致問題対策本部を設置し、米国が核問題で北朝鮮に対する圧力外交をするにあたって、拉致問題を取り入れて交渉するほどにまでなっています。

とても小さな事でも真実を見続ける

 しかし、初めの時は、非常に小さなところから始まっています。真実、事実をもって嘘を暴き、それが次第に大きなうねりを持っていって、国全体まで動かしていく様子が克明に描かれています。それはあたかも、山に雨が降って、それが小さな水の流れとなり、川となって、下流は大きな河川となっているようなうねりです。そこで大事なのは、どんなに小さなことであっても、真実と正義に基づいて動くという初心から、決して離れないことです。そして勇気を持っています。恐れとの戦いに一つ一つ取り組み、戦い抜いています。

 例えば、西岡先生が、三十年前、拉致事件を論文として発表した初めての人ですが、その時のエピソードを書いています。原稿には、「拉致というテロが金正日の命令によって起きた」と書いていました。しかし、当時、拉致を告発することは大きなタブーで、本気で自分自身がテロに遭うかもしれないと恐れたそうです、一度、消しゴムでその部分を消したそうです。その直後、天井をネズミが大きな足音を挙げて走って行って、「俺は一人ではないのだ」と思い直し、再び消した部分を元に戻したそうです。見てみぬふりをする卑怯者にならないですんだ恩人(?)だと、述懐しています。

「道徳」をキーワードにした信仰の動機

 西岡先生は、福音的信仰を持つキリスト者です。本書では、「道徳」という言葉を通じて、ご自身にとって信仰が大きな原動力になっていることを隠していません。いや、ある意味、そのことを語るために本書を書かれたと言ってもよいでしょう。私は敢えて先生に、「これまで書かれてきた著書と、今回の本の違いは?」と尋ねました。「これまでは、学術的な事実だけを書くように努めてきたが、そこにどのような感情をもっていたのか、動機の部分もまじえて書いた」との答えでした。

 私個人は、こうした西岡先生のキリスト者としてのあり方に、とても魅力を感じています。ソルティー(SALTY)を通しての関わりで、神がその恵みによって、先生をどのように、良い行いのために用いられているのかを、見させていただいています。

この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。」(エペソ2:8-10)