寄り添い世代とアニマル・スピリット世代のコラボ −亀井俊博−

写真:武庫大橋と子どもたち/「環境神学」あとがき  p.103

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

寄り添い世代とアニマル・スピリット世代のコラボ

2022・1・15

ほほえみの国、日本!

 先日あるベテラン・エコノミストが某TV番組で話していました。コロナ禍が始まる直前の事、香港に仕事で行ったとき、空港であるパンフレットを見てショックを受けたと言う、そこには“ほほえみの国、日本ツアー案内”とあった。“ほほえみの国”と言えば、かつてはタイであったはず、いや私を含め今でもそう思っている人が多いでしょう。しかし中国人から見れば、もはや日本はかつてのエコノミック・アニマルの儲け話にぎらつく目を止め、厳しいビジネス競争に疲れた香港人はじめ、中国のビジネス・パーソンを癒す、優しい“お・も・て・な・し”のこころをたたえた“ほほえみの国”になった、と見えている,と言うのです。エコノミスト氏だけでなく、私もかなりショックでした。

 一体この変化はどう言う事か?エコノミスト氏の冷徹な分析では、結局時代の変化の反映ですね。大量にリタイヤーし年金生活に入った団塊の世代が活躍した時代は、高度成長期で、経済は右肩上がり、昨日よりは今日、今日よりは明日がより良い社会になっていく。努力すれば報われる、そう言う生き方であった。だからモーレツ・サラリーマンや、しごき指導、ポジテイブ思考が通用した。しかしその後、失われた25年間が続き、今も進行形です。その間に成人になったミレニアル世代(Y世代)、その次のZ世代はロスジェネ(ロスト・ジェネレーション)世代と呼ばれています。経済は長期停滞、実質賃金は減少、昨日より今日、今日より明日はもっと世の中悪くなっていく、右肩下がり。努力しても報われない。せめて今の生活が維持されれば満足、と言う、マンドになっている。がむしゃらな生き方は避けられ、モーレツ人間はパワハラ、企業はブラック企業と嫌われ、訴えられる。

しごきからコーチングへ

 私は男子高校教育の世界で社会に入りましたが、当時は教師の生徒しごき暴力、暴言は当たり前でしたね。ただ、今の様に陰湿でなく、カラツと陽性でしたね。近くの関西学院大学のキリスト者・心理学者で試合常勝、殿堂入りした、アメフト名監督、武田健教授の選手しごきは有名でした。しかし教授が米国に留学後方針が変わった。しごきからコーチングへです。今ならパワハラ・モラハラ間違いない、それでも選手は歯を食いしばって食らいついて常勝でした。しかし、今はそんな指導しても誰も付いて来ない、どころか訴えられる。そこで方針転換、選手の個性・願望を尊重し伸ばす。具体的には叱るからほめる指導です。結果を比較すると、叱る方が確かに成績は、ほめるよりほんの少し良かったそうです。しかし、教授は、でもしかると、愛から叱るとは言っても、どうしても選手のこころにトラウマが残るから、ほめる方がいいと結論が出た、と教育講座でお話し下さった。教授の余りの豹変ぶりに仰天したものです。

 時代は変化したのです。ですからそれを反映して教育も変化するのは当然です。しかし、私の様な古い時代の人間は、どうしても最近の人間は根性がない、世界中が“ほほえみの国”であればいいですよ。しかしそんなことでは中国、韓国、台湾の厳しい競争社会を生き抜いているガッツある人間に負けてしまう、と歯がゆい思いです。そこで歯がゆさは奥歯で噛み殺し、“ほほえみの国”で対応していくのが賢い年配者の、若い世代への対応法ですね。もっとも、中国でも過当競争に疲れた若者が“ねそべり族”になっているそうですから、いずれ日本の様になるので心配ないと言う人もいますが。

教会の激変

 と言う事で私の住む福音派キリスト教界でも、20~30年前までは団塊の世代以前の牧師たちは、しごき的徒弟制度的訓練を先輩から受け、ガッツを以って伝道・牧会の世界に乗り出していました。当時の先輩教職には“城(教会)を枕に討ち死に覚悟”“殿(主イエス)の馬前で討ち死に覚悟”で伝道せよ、という猛者方がいらっしゃったものです。その説くメッセージは、現今流行のあるがまま自分の受容と言う福音ではなく、罪あるがままで良かろうはずがない、強く認罪を迫り、悔い改めてキリストの贖罪を信じ、新しい人に新生する福音が求められました。また信仰の高嶺を目指し、聖霊の恵みを受けてキリストの姿にまで成長する聖化が求められました。また各個教会では、礼拝は勿論、平日の祈祷会、早天祈祷会、訪問伝道、信徒の弟子訓練、年数回の特別伝道集会に励み、地域教会と連携し大きなホールでのクルセード(大衆伝道、本田クルセード、ビリー・グラハム・国際大会)を開催、さらにソムリエが長らくかかわってきた放送伝道も盛んでした。

 しかしコロナ禍以来教会は疲弊し、今や海外宣教師は任地から引き揚げ、放送伝道は中止、礼拝さえ中止しオンライン化、教会堂に集まる事さえ感染を恐れ憚(はばか)られています。先行きに敏感な若い牧師は、高齢化の小規模教会を育てる事を諦め中・大規模教会へのリクルートを考え、さらには日本に見極めをつけ、米国カナダの教会に移住も考えています。この現象を私は、キリスト教の引きこもり現象と思っています。縮み指向ですね。この先はどうなるんでしょうか。

 私は内村鑑三の2Jsの信奉者で、JESUSとJAPANを愛していますので、こういう非愛国的キリスト者にかまうことなく、死ぬまで2Jsを貫く者です。ここを死に場所と考えています。旧約の預言者達は当時の世界情勢に通じていましたが、みなヤハウエなる神とイスラエルを愛してやまなかったのです。イエス様も人類の罪の贖いのため十字架に掛かられましたが、地上の宣教時には、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」(マタイ 15章24節)とさえ、明言されています。

棲み分け

①寄り添い世代

 脱線から本論に戻って、これからが私の提案です。棲み分けです。若い世代の理念は“寄り添い”でいきましょう。社会的弱者に寄り添い、負け組に寄り添う、そして現代は格差社会で、社会的強者、勝ち組は一部で、年金生活の団塊の世代以下の若い世代の多くが、寄り添いを必要とするメンタリテイと厳しい生活の現実なのですから。遠藤周作が描いた、“永遠の同伴者イエス”こそ、傷つき明日なき人間に寄り添う神です。律法厳守を迫る禁欲的、あるいはビジョンを掲げ献身的にまい進する、私世代の父性宗教的キリスト教は“疲れる”のです。寄り添い、あるがままを赦し愛し受け入れ、癒し、慰め、励ます母性宗教的神です。隠れキリスト者美智子皇太后が、皇后時代、平成天皇に影響を与え、まさに“寄り添う”象徴天皇像を提示し、戦災、震災、津波・・様々な被災者に膝を屈して慰問された姿が、多くの国民に共感を以って歓迎されたのは、明らかに同じカソリック者遠藤周作の強い影響があったと思います。ミレニアル世代、Z世代キリスト者の教会が、この路線で進むのに何の異論もありません。

②アニマル・スピリット世代

 しかし、私のような団塊の世代以上の高齢者は、アニマル・スピリット(血気、ケインズ「一般理論」)の持主です。これを押し殺して無理に若い世代のマインドに同調する必要はないのです。ケインズは資本主義も形骸化し衰退していく、絶えず活性化するにはアニマル・スピリットが必須であるとした。米国も重厚長大の鉄鋼、電気、自動車と言うオールド・エコニミーが日本や、ドイツ、さらに韓国・中国に追い上げられ、鉄鋼の街ピッツバーグ、自動車の街デトロイトはラスト・ベルトとなりゴースト・タウン化した。しかし、明るいカリフォルニアに集まった若いアニマル・スピリットに満ちた起業家がデジタル産業を興し、米国経済はGAFAと言う成長エンジンに取って代わった、ニュー・エコニミーの登場である。

 日本でも私の若い時代の高度成長期は、鉄鋼、造船、自動車、電気等、アニマル・スピリットに沸いていました。金に任せてNYのシンボル、ロックフェラーセンターまで購入したのですから。しかしその後の凋落ぶりはご存知の通りです。またニュー・エコノミーの結果が、“世界の上位1%の超富裕層が個人資産も4割を持つ、人類が今まで一度も経験したことがないような格差社会です。同じ人間として生まれて来たのに、一人が何不自由なく、120年の人生を謳歌して、もう一人が貧困にあえぎながら短い人生を終える。そんな未来を放置してはいけない。「少子化は困る」とか「若い人にがんばってもらわないと」などと口では言いながら、変化を志す芽を育てようとしないのが日本の弱点です。若い人たちがのびのびと、力を発揮できる社会でなければ、ますますじり貧になるばかりでしょう”と説くロスジェネ世代の作家、平野啓一郎の指摘(朝日、1・6)の指摘は鋭い。

寄り添いと、アニマル・スピリットのコラボ

 これを踏まえて、私は思う、今も団塊の世代には埋もれ火のようにアニマル・スピリットが静かに燃えているのです。しかも“人生120年時代に突入”した彼らは直ぐに消えゆく世代でもない、あと数十年は活躍できる“元気印の高齢者”が実に多いからです。高齢者は皆がみな要介護者や認知症ではないからです。これを現代社会のお荷物視するか、潜在的宝(埋蔵金!)とするかで、日本社会の将来は大きく変わってきます。

 アニマル・スピリットの団塊の世代と、寄り添いのロスジェネ世代が棲み分けつつも協力し、社会の影響を受け、社会に影響を与える教会こそ、その良きモデルとなるべきです。「わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見る」(使徒2:17)と聖書は告げます。聖霊は豊かな賜物(カリスマ)を信徒に分かち与えるのです。高齢者には“アニマル・スピリット”を、若い世代には“寄り添いのこころを”を。そしてお互いに棲み分け協力、コラボレーションして、補い合い、愛し合いキリストの体なる21世紀日本の教会を建て上げ、世代的社会分断を乗り越えるモデルとなれるのではないでしょうか。

 

「霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。」
(コリント第一、12章4、6節)

 

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〜環境支配の神学から 環境に仕える神学へ〜