「自由が悪魔の道具になる」とは? ~ 明石清正 ~

 

明石清正
SALTY論説委員
カルバリーチャペル・ロゴス東京 牧師
ロゴス・ミニストリー 代表

ソルティーの主筆・西岡力氏と、評論家・江崎道朗氏が、「闇鍋ジャーナル(仮)」というユーチューブ番組に出演しました。

 江崎氏による経済安保の話についてなど、とても分かりやすい解説があったが、次の産経新聞の記事を西岡氏を中心に取り上げています。

米国よりマシな日本 ジョージタウン大教授・ドーク

 西岡氏が、「自由が悪魔の道具」というドーク教授の言葉を取り上げています。つまり、自由主義社会に生きている時に、自由の上に、道徳や宗教がなければ、それは悪魔の道具になる、というものです。

 西岡氏は加えて、二代目大統領のジョン・アダムズが、「私たちの憲法は道徳的で宗教的な人たちのみのために造られた」と言っていることを指摘しています。それから、「日曜日に教会に行き、世界を造り、人類の罪のためにキリストが十字架につけられたということに、頭を垂れる人々が秩序を造っていた。自分よりも偉大な存在があるとしないと、道徳は成り立たない」と言われています。

 日本においても、世界においても、この傾向、つまり「自分たちを超えたところにある存在」つまり、神を恐れないでいるために、全体主義が蔓延り、歪んだ自由主義が蔓延しているのです。全体主義は独裁者が自分より上に主権者がいることを忘れていますが、それに対抗する自由主義社会が、神を認めないので、自由が悪魔に利用されているので、それで、真の意味での自由が失われている、ということです。

 全体主義は悪ですが、「神なき自由主義」も同じように悪なのです。

キリスト者として、日本の宗教や道徳の尊重

 「日本のほうがまし」と、ドーク教授はいうのですが、彼は敢えて(ご自身が日本人ではないので)、日本にある道徳的規範が何であるかは触れていません。ここから、キリスト者としての私の個人的な思いをお話しします。

 もちろん、すべての人がキリストを知ってほしいと願います。すべての人には罪、自己中心性があり、そのためにキリストが来られて十字架につき、罪を取り除いて下さり、自分中心から神中心になることによって、人は救われると信じています。

 しかし、私からしたら異教である、神道や仏教、また天皇の存在、武士道など、日本人の宗教的、道徳的規範を全否定するかというと、絶対にそうではないと思うのです。

 以前、博物館で、間引きをしている、つまり生まれたばかりの赤子を殺している母親を見ている、閻魔大王の絵が、当時のいわば中絶を戒めるポスターが掲載されていました。自分たちより高い存在があることによって、人の自由や人権が守られるということ。これは、聖書からでなくとも、他宗教においても真実だからです。

漸進的文明論

 西岡氏は、しばしば「漸進的文明論」を語ります。これは何かと言いますと、「人々は文明的に進歩する時は、一歩ずつしかできない。過去のしていることを、全否定したり、悪魔化するのではなく、人々が築いた伝統を引き継ぎながら、間違っている部分を修正していくことが肝要だ。」ということです。いわゆる、保守主義的な考えです。例えば、婦人参政権は戦前、認められていませんでした。もちろん、認められている今のほうが良いのですが、だからといって、その時代のことを全否定してはいけない。なぜなら、一歩ずつしか進めないのだから、ということです。

 しかし、今、アメリカではキャンセルカルチャーがあり、かつての暗い歴史を全否定(キャンセル)していくということを行っています。イギリスにもそれがあり、ドイツにもあります。けれども、そのように全否定すると、次にもっと悪い、一部の者たちだけの、他の多数を犠牲にする人権が強調されて、疎外と退廃が進むのです。 日本も敗戦国ですから、同じように自虐的になりがちです。今から見ると悪いものかもしれないけれども、「そこを通らなければ、今がなかったのだ」という、一種の畏敬に近いものを抱かないといけないと、私も思います。

西欧の自由主義は、全体主義から嗤われる

 今、欧米は本当に酷いです。ロシアがウクライナに侵略して、とんでもない悪を行い、ロシア国内もひどいことになっています。そして西側諸国は徹底的に、ロシアの悪に戦っています。日本も西側諸国の一員ですから、戦っているのですが、しかし、ロシアや中国、他の全体主義的な国がせせら笑うようなことを、西側もしているのです。私も、決して反論ができない、彼らのほうが、この部分においてはまだ正常な感覚を持っていると思う時があります。

 けれども、現政権からとみに、西側諸国の流行に乗らないといけないという動きが次々と出て来ています(LGBT理解増進法、移民受け入れなど)。祈らされます。

我々を非文明的と見下げる西欧の実態

 日本の元首相が女性のことを揶揄したという差別的に聞こえる発言をした時に、フランスやドイツの大使館は揶揄するようなツイートを必ず流します。今回のLGBT理解増進法についても、いかにも日本が差別的な制度を残しているか、そういったことを言いたげなツイートを流します。

 しかし、毎日のように、狂気の沙汰ではないかと思われる情報が、私のフォローしているツイッターアカウントなどで入ってきます。ドイツでは、男性が上半身裸で公の場で行動できるのに、女性のトップレスを認めないのは「差別」だとしています。イギリスなどでは、小児愛者も、これは同性愛者のように生まれつきなのだから、彼らの人権を認めるべきだという意見が出ています。スウェーデンは、モスクの前でコーランを燃やしただけでなく、イスラエルの大使館の前で聖書を燃やすことを許したりしています。

 アメリカの民主党は、かつてはキリスト者も多く、神を恐れる、道徳的な面がありました。そのリベラル的な政策は、あくまでも、経済的、社会的な格差是正とか、聖書的に、道徳的にも、意見が多様であってよい部分で収まっていました。しかし、今は極左が一部にいて、それに迎合するようなことを行っています。

 江崎氏が指摘してましたが、「聖域都市」というものが米国の各地にあります。不法移民を条件なしに受け入れ、免許もそのまま与え、また、50ドル以下であれば、お店で盗みを働いても、取り締まらないというような都市を設定しています。

 私は目を疑いましたが、スーパーマーケットなどで、堂々と大量の盗みを働いている動画が、毎日のようにツイートに流れています。店員は何も止めないのです。

参考記事:アメリカでは万引き犯に手を出すと従業員は解雇されるらしい

 お二人が語っておられることは、私がずっと思っていたことでした。つまり、欧米は、キリスト教を背景とした諸国ではあるのですが、そこにある自由や人権は、神から来ているという、主権者である神からの賜物であるという部分を拒んだのです。神を拒んで、ただ自由と人権を前面に出しているので、自由という偶像、人権という偶像を拝んでいます。

「一抜けた」の勇気を!

 私は、日本は、誇りある西側諸国のメンバーであるべきと思いますが、彼らのしていることに迎合する必要など全くないと思っています。彼らは非西欧を、相変わらず非文明的と見くだしているのですが、彼らのありのままの姿を見れば、どちらが野蛮なのか??と思います。トップレスのどこが文明的なのでしょうか?小児愛者の権利を認めるなど、どこが文明的なのでしょうか??

 彼らが圧力をかけてくることについて、そもそも茶番なのですから、はっきりと主張して、一蹴すればよいのです。かつて、捕鯨についていろいろ言われてきたけれども、すんなりと脱退したように、圧力など一蹴して押し返せばよいのです。その多くが、彼ら自身もちゃんとできていないような絵にかいた餅、理想論なのですから。

移民政策の失敗で、とんでもない暴動がフランス全土を襲いました。LGBT政策の先鋭化で、女性や子供の権利、また宗教の自由が著しく制限されています。カトリックの背景のあるイタリアやスペインは、今、振り子を元に戻そうと動いています。正教会の背景のある国々も、米民主党のごり押しの、LGBT覇権主義に猛烈に反対しています。

 協力すべきことはしていきますが、決して迎合していく必要はありませんし、してはいけないと思います。