【対談】西岡×中川「統一協会解散請求への疑義」4−中川晴久−

【 法の下の平等はあるのか 】



西岡 過去に刑事事件を起こし、解散命令の請求が出されたけれども解散命令は却下された宗教法人があります。

 法友之会は一九九〇年、教祖と信者七人が海岸で懺悔をさせると称し、信者に暴行を加え溺死させた。世界救世教は一九六八年、幹部らが信者に心霊療法を施し死亡させ、理事二人が贈賄容疑で逮捕されました。
 いずれも教祖や教団幹部による刑事事件です。こうした先例がありながら民事訴訟判決にまで適用対象を拡大して解散命令請求に踏み切るからには、懺悔させるとして溺死させることや心霊療法による死亡、それ以上にひどいことが旧統一協会で行われていたことが誰の目にも明らかであれば、基準が変わることも、まだ理解できます。しかし、繰り返しますが、そうした事情は見当たりません。
 神慈秀明会という教団では一九九五年、悪霊を祓う祈祷行為と称して、元信者の祈祷師が暴行を加え続け七人が死亡する事件がありました。これは「福島悪魔祓い殺人事件」と呼ばれます。元信者が引き起こした事件ですから、宗教法人との関係は不明瞭な点がありますが、信者による集団リンチ死亡事件では、二〇〇七年、多数の信者が共謀して、内部のもめ事を理由に集団で信者に暴行を加えて死亡させた事件があった紀元会や、二〇一二年に信者九人が教義を巡るトラブルから集団で信者に暴行を加えて死亡させた空海密教大金龍院があります。
いずれも深刻かつ重大な刑事事件ですが、解散命令請求すらなされていません。旧統一協会の事例とこうした事例とが平等という観点でどう整合するか。果たして法の下の平等が言えるのか。率直に疑問です。
中川 メディアの報道ぶりは解散命令請求自体を歓迎するものばかりです。「なぜ今なのか」と問うたメディアはありますが、それは「なぜ、これほど時間が掛かって今に至ったのか」という意味ですね。
西岡 そう。私も主要な新聞しか見ていませんが、信教の自由や法の下の平等といった私が今述べたような視点で事態を捉えた報道は皆無でした。せいぜい先例はオウム真理教と霊視商法で解散となった明覚寺があるとか、請求後、結論が出るまでにオウムは七カ月、明覚寺は約四年かかったくらいのことはありましたが、却下された例があることや集団リンチによる死亡事件を起こしても、請求すらされなかったなんて事実は報じられていないのです。中川牧師が冒頭で述べた、残り半分の見えてない部分が全く表に出されておらず、皆が一面だけを見て事態が進んでいる、というのはまさにその通りです。

 第5回に続く