同性愛行為は罪か?(1) −金井 望−

トップの絵画:堀江優 作「原罪 ーWhat is this thou hast doneー」

SALTY 論説委員 金井 望

 

『新潮45』が再炎上

『新潮45』(2018年8月号)に掲載された杉田水脈(すぎた みお)議員のLGBTに関する寄稿文をめぐって、この夏は熱い議論が交わされました。

LGBT同性愛者について考える

9月18日に発売された『新潮45』10月号では「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特別企画が組まれ、7人の論者が杉田氏の擁護論を発表しました。

藤岡信勝氏の見方には筆者と近い部分がありましたが、小川榮太郎氏の次の文章は多くの人々に誤解を招き、火に油を注いだかたちとなりました。

満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深ろう。再犯を重ねるのはそれが制御不可能な脳由来の症状だという事を意味する。彼らの触る権利を社会は保障すべきでないのか。

新潮45「そんなにおかしいか杉田水脈論文」の内容が凄まじい「性的嗜好について語るのは迷惑」「LGBTはふざけた概念」

『そんなにおかしいか「杉田水脈」論文』(『新潮45』2018年10月号)を論評する

これには多方面から批判が噴出し、新潮社内部からも批判が相次ぎました。そこで新潮社は21日に、社長名で問題を認める談話を発表しました。

「新潮45」2018年10月号特別企画について

世間は混沌としていますが、我々キリスト者は聖書に基づいて同性愛の問題について考えたく思います。

同性愛の行為を肯定すべきか?

 さて、日本基督教団には同性愛者であることをカミングアウトしている牧師が数名いますが、最近は福音派の一部にも同性愛者のキリスト者を肯定的に理解して、受け入れようとする動きがあります。

先天的あるいは後天的に同性愛の性的指向を持つことには様々な要因があり、それを罪だと断定すべきではないでしょう。異性愛者のキリスト者が、同性愛の性的指向を持つキリスト者の苦悩を理解できるように努め、主にある兄弟姉妹として受容し、共に歩むことは大切なことでしょう。

 しかし、我々キリスト者は同性愛の行為を肯定すべきでしょうか。これに関して筆者は肯定できません。なぜなら、聖書が同性愛の行為を「罪」だと言っている、と理解しているからです。

本稿では「同性愛行為は罪か?」という問題について、新約聖書のローマ人への手紙1章26-27節のテクストから考察してみようと思います。ここでいう「罪」とは「神の律法に違反すること」であり、宗教的な意味です(ローマ 5:13、第一ヨハネ 3:4)。

 

 

使徒パウロからローマの信徒たちへ

 ローマ人への手紙は、紀元後57年頃に、使徒パウロが第3回宣教旅行の途中、コリントで執筆し、帝都ローマの信徒たちに送った書簡であると考えられます。

紀元後30年にエルサレムでキリスト教会が誕生してから程なく、帝都ローマにもイエスの弟子集団が生まれました。それはディアスポラのユダヤ人が中心となった教会でした。

この教会は49年以降、激変しました。この年に開かれたエルサレム会議によって割礼と律法の束縛が解かれ、異邦人が次々とキリスト教に入信するようになりました。そして、この年に皇帝クラウディウスが発令したユダヤ人追放令によって、ユダヤ人のキリスト者が帝都ローマから追放されました。

皇帝クラウディウスが54年に死んだため、この追放令は無効となり、ユダヤ人のキリスト者は帝都ローマに戻りましたが、ローマの教会はそれ以降も異邦人キリスト者が中心となっていたのです。ユダヤ人キリスト者にはまだ、割礼と律法の問題がくすぶっていました。

最初期キリスト教は、なぜローマ帝国に広まったのか

 パウロは、このローマの教会が今後、キリスト教会全体の最も重要な拠点の一つになる、と予測していました。そしてパウロは、これからエルサレムに行くけれども、その後にローマの教会を訪れ、その教会の信徒たちの支援を受けて、スペインに宣教に行く計画を立てていました。この手紙はその計画を伝えるという目的も帯びていたのです。

このような事情があったので、世界の都ローマの教会の信徒たちにパウロは、神が啓示しておられる人類救済の計画について、詳らかに書き送っています。

 ローマ人への手紙1章から11章までは、教会史において教理の形成に最も大きな影響を与えたテクストです。それは、このテクストが、以下のような神による人類救済計画の全体像を示しており、普遍的な真理を説いているからです。

(1) 天地と人類の創造
(2) 神の啓示
(3) 人類の堕落
(4) 神の律法と裁き
(5) イエス・キリストによる人類の罪の贖い
(6) 信仰による義認
(7) キリスト者の聖化
(8) キリスト者の復活と全被造物の贖い
(9) 全世界への福音宣教
(10) 選民イスラエルの復興

「聖書には同性愛行為を禁じる戒めがあるけれども、聖書の時代の人々と現代の我々では生きているコンテクストが違うのだから、そのような戒めを我々に適用するのはおかしい」という意見をしばしば見聞きします。

しかし、ローマ1:18-32でパウロが述べている「彼ら」とは「異邦人」、すなわちユダヤ人以外のすべての人を指しています。このテクストは、「神のさばき」(2:16)が行われるこの世の終末までに存在するすべての異邦人に、適用されます。

ローマ 1:26-27の解釈

 では、問題のテクストを見ていきましょう。

■新改訳 2017

こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、彼らのうちの女たちは自然な関係を自然に反するものに替え、同じように、男たちも、女との自然な関係を捨てて、男同士で情欲に燃えました。男が男と恥ずべきことを行い、その誤りに対する当然の報いをその身に受けています。(ローマ 1:26-27)

ローマ1:26 Greek-English Interlinear

ローマ1:27 Greek-English Interlinear

新改訳で「関係」と訳されている原語(音写)は chrésis ですが、Thayer’s Greek Lexiconでは次のように説明がなされています。

use: of the sexual use of a woman, Romans 1:26

ギリシア語新約聖書釈義事典によると、chrésis は具体的には性関係のことであり、このような用法はプラトンやプルタルコスなどの著作にも見られるものです。岩波訳ではこれは「[性的]交わり」と訳されています。

■岩波訳

このことのゆえに、神は彼らを恥ずべき情欲へと引き渡された。実際、彼らのうちの女性たちは、自然な〔性的〕交わりを自然に反するものに変え、同様に男性たちも、女性との自然な〔性的〕交わりを捨てて、互いに対する渇望を燃やしたのである。〔そして〕男性たちは彼ら同士で見苦しいことを行ない、彼らの迷いのしかるべき報いを、己れのうちに受けたのである。(ローマ1:26-27)

英訳ではHCSBがこの解釈を反映しています。

■Holman Christian Standard Bible

26 This is why God delivered them over to degrading passions. For even their females exchanged natural sexual relations for unnatural ones. 27 The males in the same way also left natural relations with females and were inflamed in their lust for one another. Males committed shameless acts with males and received in their own persons the appropriate penalty of their error.

 このテクストは「男性と女性」との性行為を「自然な〔性的〕交わり」としており、「女性と女性」また「男性と男性」の性行為を断罪していると考えられます。

「男同士で情欲に燃えました」(新改訳2017)「互いに対する渇望を燃やした」(岩波訳)「were inflamed in their lust for one another」(HCSB)と訳されている部分はギリシア語テクストでは次のようになっています(音写と英訳)。

exekauthēsan (were inflamed) en (in) tē (the) orexei (desire) autōn (of them)  eis (toward) allēlous (one another)

exekauthēsan の原形は ekkaiō ですが、その意味は「火をつける、燃やす、燃え上がる(受)」です。orexei の原形は orexis ですが、その意味は「情欲、強い欲求」です。

 ローマ1:18 以下のテクストは、人類の始祖が神に背いて「堕落」した時以来、普遍的に人類社会に蔓延している「罪」の状態を表しています。文脈から考えますと、パウロはこのテクストにおいて、性的な倒錯や混乱を「堕落」の顕著な特徴としている、と言えます。

人間はみな罪人

 ただし、ローマ人への手紙1章から3章で断罪されているのは同性愛行為者だけではありません。

義人はいない。ひとりもいない。(3:10)
すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。(3:19)

人間はみな神の前では「罪人」です。人間はみな「堕落」して壊れているのです。

ローマ 1:18〜3:20 のテクストは 3:21以下に展開される義認論の前提を成しているものであり、すべての人を断罪してキリスト信仰に向かわせる「養育係」(ガラテヤ 3:24)の役割を果たしています。

 同性愛行為者だけが罪人というわけではありません。しかし、罪のリストの最初の方に挙げられているのは、これが人類社会に普遍的に見られる典型的な創造秩序からの逸脱であるからでしょう。

参照:Wikipedia キリスト教と同性愛

同性愛行為は罪か?(2)