日本で最初に祝われた クリスマス −久保田典彦−

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第26回 

 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

日本で最初に祝われた クリスマス

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

日本で最初に祝われた クリスマス は、いつのことで、どのようなものだったのでしょうか。

 いつのことか、と言いますと、今から 467年前の、1552年12月25日 のことです。
時代で言いますと、室町時代になります。

 宣教師の フランシスコ ・ ザビエルが、日本に キリスト教を伝えたのが、1549年のことですから、その3年後に、日本最初の クリスマス ミサ ・ クリスマス礼拝がささげられました。そして、愛餐会がもたれ、祝われています。
場所は、山口県山口市の 司祭館 においてです。

当時は、「 クリスマス 」 というような、英語の言い方はされていません。
ポルトガル語で、 「ナタル 」 と呼ばれていました。

宣教師たちにとっては、初めての ナタル ではありません。
1549年の ナタル ・ 50年の ナタル ・ 51年の ナタル、そして 1552年の ナタルになるわけですから、4回目の ナタルになるのですが、日本の信徒たち ・ キリシタン達と一緒に、降誕祭 ・ ナタルの お祝いがされたのは、この時が、初めてのことだったのです。

● どのようなものだった のでしょうか。

 このあとの話では、「ナタル 」 のことを、今の言い方で、「 クリスマス 」 と言いかえて 話していくことにしたいと思います。

キリシタン達は、クリスマスのお祝いがされる ということを聞いて、大喜びします。
彼らは、12月24日の夜になると、徹夜するつもりで、司祭館にやって来ます。そして、まず、第1回目の ミサ ・ 礼拝が ささげられます。

 そして、そのあとは、25日の夜明けの、第2回目のミサがささげられるまで、ずっと、日本語が出来る フェルナンデス修道士が朗読する、デウス ・ 主なる神さまのことばに 耳を傾けます。

フェルナンデス修道士が 疲れてきますと、朗読の本文の日本語が、ローマ字で書かれていましたので、ローマ字読みが出来る キリシタンの少年が、代わりに 読み継いでいきました。

又、一同は、デウス ・ 主なる神さま を賛美する歌を うたいました。
このようにして、徹夜して、夜を過ごしていきました。

朗読する文章が なくなりますと、人々は、
「 主なる神さまのことについて、話をしてください! 」
と、しきりに催促して、フェルナンデス修道士の語る説教に 耳を傾けました。

 夜が明けて、25日になりますと、第2回目の ミサ ・ 礼拝が ささげられました。
新たに、説教を聞くために、更に 人々が多く集まってきました。

そのあと、トルレス司祭や フェルナンデス修道士と一緒に、ミサに与かった キリシタン達全員が、食事をいたしました。
愛餐会が 持たれたわけです。

● そして、次のことは 注目です。

愛餐会の際、最高齢の人たちが 給仕をいたしました。
彼らは、信仰を持つまでは、ごう慢で、他の人や 年下の者たちを軽蔑していたほどだったのですが、
今では、若い人たちに給仕をさせないで、大いに喜んで、人々に仕えて、奉仕したのである。

━━ と 記録が残されているんですヨ。

 これが、今から 467年前、山口の司祭館で、日本で最初に祝われた クリスマスの様子です。

 

[ 参考図書 ] 「 フロイス日本史 6 」 第7章 ( 中公文庫 )

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久保田 Ucon 典彦

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

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