書評 倉山満著『ウェストファリア体制』 −中川晴久−

 

 

 

中川晴久
東京キリスト教神学研究所幹事
主の羊クリスチャン教会牧師
SALTY-論説委員

 日本の福音宣教を考えるとき、倉山満著『ウェストファリア体制』(PHP新書)が、いかに重要なテーマをであるか。〈日本のキリスト者が未だ語ってこなかったものであり、語らねばならないメッセージであり、語る使命がある〉。この『ウェストファリア体制』はそれを教えてくれます。私なりに「書評」という形でこの場をかりてお伝えしたい。私はこの本をぜひ日本のキリスト者にこそ読んでほしいと思っています。

<著者・著書の紹介>

 

 

 

 著者の倉山満氏は、クリスチャンではなくキリスト教関係者でもありません。憲政史研究者であり、未来の日本のための人材育成を目的とした「倉山塾」(正規塾生 約 1800人)の塾長でもあります。

 もちろん『ウェストファリア体制』は、キリスト教についての解説書ではありません。本のタイトルどおり「ウェストファリア体制」が何であるかを語る上で、ヨーロッパのキリスト教について言及しています。私たち信仰者はキリスト教の内側でものを考えているのですが、倉山氏は外側から見ています。ですから、外側の人たちがキリスト教をどう見るのか、その視点視野は何を捉えその視界にはどう映るのか、関心をもって読まれるのがいいと思います。残念ながら日本では、名のある社会学者ですらキリスト教についておかしな話をします。私たちですら聖書を1回2回読んだところで理解することは難しいのだから、誤解されるのも仕方ないものがあります。そのような中で、倉山氏は偏見なしに歴史的事実からキリスト教を見据え、できる限りキリスト教教義の奥までのぞき込もうとしています。研究者としてリアリストでありたいという姿勢がそうさせているのでしょう。このような学者の存在は、キリスト教界にとっても貴いです。今後、ぜひ注目してください(ただ、キリスト教に対してオブラートに包んで語ってくれるなどの手加減はなく、その意味で容赦はないので覚悟は必要です。)

<天才グロティウス>

 『ウェストファリア体制』は、フーゴ・グロティウスの紹介から始まります。アルミニウス派を擁護したプロテスタントの信仰者で、今では「国際法の父」と呼ばれています。グロティウスはプロテスタント同士の教派間での対立を止めようとするも、それのことが仇(あだ)となって逮捕(1618年)され、終身刑を宣告されます。2年間の牢獄生活を経て隙をみて逃亡するなどの波乱な人生です。

 

 キリスト教神学の世界では、今年、アルミニウス派が敗れたと言われたりもするドルト会議(ドルトレヒト会議;1618-1619年まで154回を数える会議)より400年目ということで話題にあがっていましたが、『ウェストファリア体制』を読むと、カルヴァン派の「予定説」かアルミニウス派の「予知説」かの神学論争の観点とは違う、もう一つ重要なテーマがあったことに気づかされます。それがグロティウスの主張していた「宗教的寛容」の問題です。この問題に目がふさがれていたゆえに、人と人は殺し合ってきたのです。現在、最も語られるべきはむしろグロティウスの提起したもう一つのテーマの方なのではないでしょうか。

 グロティウスは逃亡先のフランスにてルイ13世の庇護の元にあって、宗教戦争を止めさせたく1625年『戦争と平和の法』を世に出しました。後にスウェーデンのクリスティーナ女王の目に留まり、1635年駐仏スウェーデン大使として活躍するようになります。

グロティウスが生まれたのは1583年です。ネーデルラントのホラント州(現在のオランダ)に生まれました。日本では戦国時代が終わろうとしている時期です。1583年といえば宗教改革者マルティン・ルター(1483 – 1546年)が死んで約40年後、宗教改革第二世代と言われたジャン・カルヴァン(1509- 1564年)の死からおよそ20年後です。

 日本の戦国時代は、割と平和です。平和が日常で、合戦は非日常です。・・・一方、ヨーロッパでは慢性的な戦争が続いていました。グロティウスが生まれた頃のヨーロッパは、戦争が日常です。裏を返せば、平和が非日常です。より正確に言えば、「戦争」なんて立派なものではなく、ただの殺し合いです。(『ウェストファリア体制』p.26.)

 プロテスタントとカトリックは血で血を洗う抗争を繰り広げています。グロティウスは戦争における「悲惨さ」をいかに減らすことができるかを考えます。いったん戦争が始まってしまえば、問答無用で殺し合うのではなく、戦争の中でも人間としてやってはらないことがあるのだという議論をします。『ウェストファリア体制』を読むと、この悲惨がいかに悲惨の極みであったかを実によく知ることができます。戦争自体が悲惨だというのではありません。戦争以上に悲惨なものはたくさんあります。悲惨の極みといえるのは、自分と考えの違う者は「殺さねばならない」という「ただの殺し合い」です。一つ、挙げるならば、グロティウスの生きた時代の「30年戦争」です。

<ウェストリア体制>

 いわゆる「30年戦争」(1616-1648年)では当時のドイツ地方の3分の2が焦土化し、人口の4分の1が失われました。プロテスタントとカトリックで殺し合ったわけです。これを止めましょうと結んだのが「ウェストファリア条約」です。
 最も重要な課題は、キリスト教の再統合です。殺し合いを続けたカトリックとプロテスタント諸派を仲直りさせようとする試みです。(p.116.)

 グロティウスが仕えたスウェーデンのクリスティーナ女王の影響力のもと、ウエストファリア会議が進展し、条約締結に至ります。ようやく戦争を終わらせたのにも関わらず、当時のローマ教皇インノケンティウス10世はこのウエストファリア条約を「無効、空虚、無価値、邪悪」etc.と無効宣言し、また殺し合いを続けようとするのですが、しかしもう誰も聞きませんでした。ヨーロッパはようやく殺し合いに疲れたのでした。

 倉山氏は、1648年のウエストファリア条約が「人を殺してはならない。」という起点となり「異教徒を殺さない。」という理解が多数になったゆえに、振り返ってこの時点が「ウェストファリア体制」の成立とします。

 クリスティーナ女王の「異端の者も殺さなくて良いじゃない」という言葉の方が受け入れられます。これが「宗教的寛容」です。
 ただし、「人を殺してはならない」ではないことを注意してください。人は人だから殺してはならない、いわゆる人権思想が世界の多数派になるのは、たかだか最近の百年か二百年のことです。
 宗教戦争や異端審問が横行した時代のヨーロッパでは、「自分と違うことを考えているかもしれない者は、殺さなければならない」が常識だったのです。(p.119-120.)

 このキリスト教が植民地主義をもってついに日本にまで押し寄せてきたのが、江戸時代の幕末です。ヨーロッパの内部で、「人を殺してはならない。」が確認できても、ヨーロッパの外では「人間」として認められねば殺されるわけです。人間と非人間をわける根拠は「文明」です。人間であれば「文明」を持つからです。そこでヨーロッパに対して日本が「文明国」であるとアピールするために、大きく動いたのが明治維新です。日本が侵略され日本人が欧米列強の意のままに殺されないためにも必須であったか。このために日本はどのヨーロッパ諸国よりも国際法を守ることで、「文明国」であるとアピールします

 主権国家の並立体制としての「ウェストファリア体制」は二重基準でした。主権国家たるヨーロッパの国には文明の法が守られるけれども、自力救済の資格がない有色人種は植民地とされるだけでした。良くて、半文明国です。
 こうした体制を大日本帝国が、真に国際法としたのです。主権国家の成立、主権国家が対等に存在する国際社会、そして文明の法としての国際法を「ウェストファリア体制」と呼ぶなら、それは1907年に日本が打ち立てたと言っても構わないでしょう。(p.216.)

 日本では「人を殺してはならない。」など、はるか昔から当たり前の話です。当たり前の話を日本が真面目に守り行動してみせることで、逆にヨーロッパにおける国際法の秩序を明確にし、ヨーロッパ以外でも国際法が基準となったことになります。ですから、もし1648年のウェストファリア条約よりもっと後に「ウェストファリア体制」の確立を見ようというのであれば、日本が日露戦争に勝利しヨーロッパ諸国が日本を対等の国と認めて大使館をおいた1907年のことであったとするのが、倉山氏の主張です。1867年の大政奉還から明治維新が始まって、実に40年も後です。

<日本のキリスト者のすべきこと>

 私はこの倉山満著『ウェストリア体制』を日本のキリスト者にこそ読んでほしいと考えています。この本はキリスト教が日本人の目からどのような姿に見えるかを教えてくれます。そのとき、日本の福音宣教にあって、私たちキリスト者が何をする必要があのるかが見えてくるはずです。同じ一つのキリストの福音であっても、日本のキリスト者でしか語れない福音メッセージがあるはずなのです。私なりに考えたことは以下のことです。

 まず、カトリックとプロテスタントで、同じ神を信じるもの同士が仲良くすることです。教義的な違いや感情的対立など、互いに受け入れられないこともあるでしょう。しかし、ここは日本です。どんな事情があれ、ヨーロッパでの喧嘩を日本に持ち込んで、同じ神を信じる者同士が500年以上も喧嘩していたら、さすがに物笑いの種にしかなりません。

 次に、日本を愛し日本のために祈りましょう。かつて、ヨーロッパのキリスト教がやってきたように、植民地にした国の文化伝統を否定したり破壊するような真似はやめ、日本人が喜ぶところで喜び、悲しむところで悲しむ当たり前のことをしていくのがいいです。

 最後に、ヨーロッパのキリスト教が犯した過ちや失敗を、過ちであり失敗であるとちゃんと理解して、日本では同じことをしないと宣言することです。そうでなければ、過ちと失敗の連鎖が続き、また同じことを繰り返そうとしてしまいます。

 これをして真実に歩んでいるのをみて、初めて日本人はキリスト教を受け入れてくれるでしょうし、またヨーロッパから伝わったキリスト教に対しての日本からの有意義な応答となるでしょう。みなさんは、この『ウェストファリア体制』を読んでみて、何を考えるでしょうか。