写真:大分・遊歩公園の 「聖フランシスコ・ザビエル像」
━ 久保田 Ucon 典彦 ━
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
“ 愛・宣教 ” の原点
キリシタン時代の「愛」の表現とは?
● キリシタンの時代にも、「 愛する 」 という言葉は使われていましたが、キリスト教でいう 「 愛 」 ではありませんでした。
優位にある者が 劣位にある者を “ かわいがる ” という意味でしか用いられませんでした。
“ 性的に もてあそぶ ” という意味で用いられることさえあったほどです。
仏教語としても、「 愛する 」 は、悟りを妨げる行為として、 「 科 」 ( とが ) と とらえられていました。
キリスト教でも、「 どちりいな きりしたん 」 で、 “ 悪を見知らぬ様にするもの ” として、「 愛する 」 ことが 誘惑 ( テンタサン ) である として、避けるように 言われています。
● キリスト教の本質である 「 愛 」 を、どのような日本語に翻訳していったら よいのでしょうか?
「 御主 ( あるじ ) デウスを、大切に思ひ奉るべし。
我が身を思ふ如く、ポロシモ ( 隣り人 ) を、大切に思ふべし。」
( 「 バレト写本 」 マタイの福音書 )
「 大切に思ふ 」。
日本語として、ずっと用いられてきた 「 思ふ 」 という語を基にして、
キリスト教の “ 愛 ” を、「 大切に思ふこと 」
“ 愛する ” を 「 大切に思ふ 」
━━ という、すばらしい日本語に置き換えて、宣べ伝え ・ 実践していったのでした。
● 私たちは、軽く ・ 簡単に、 「 信仰 」 とか ・ 「 愛 」 とか ・ 「 宣教 」とか ・・・・ などと言いますが、
日本への最初の キリスト教宣教師となったフランシスコ ・ ザビエルのとった行動を見てみますと、ザビエルの 信仰 ・ 愛 ・ 宣教の姿勢や 原点を知ることが出来ます。
“ これが 愛!” “ これが 宣教!”
● ザビエルは、日本へ来る前の 1541年4月7日、5隻の船で インドに向かいましたが、
当時の 遠洋航海は、生鮮野菜不足から 壊血病がはやり、飲料水不足、食料は腐敗していきますし、病人が絶えることなく、航海中に、たくさんの人たちが死んでいきました。
ザビエルたち ( 同行の パブロと マンシリャス ) は、
“ 病人や 貧しい人たちのために 労し、彼らのために 食べ物を捜し求め、汚れた衣服を洗い ” などして、日夜、病人の看護に、休む暇も ありませんでした。
乗客 ・ 乗員の間では、 「 聖なる神父 」 と、尊敬をもって 呼ばれていました。
● モザンビーク島で 冬を越さなければならなくなり、
ザビエルは、 “ 病院のそばに 小屋を作らせて、そこに住み、いつも 一番 重病の病人の傍らに ついていた。”
“ ついに、ザビエルも 高熱で倒れてしまった。幾分 回復すると 又、病人の世話を続けた。”
“ 船医 サラビアの話によると、その年、死者が少なかったのは、ザビエルたちの 献身的な働きの結果であった。”
ザビエル自身、モザンビークからの手紙の中で、
“ 病人の手助けとなったことに 喜び ” ━━ と 記しています。
しかし、手紙を書いている “ その日は、3回も 瀉血 ( しゃけつ ) して ” 、手紙を途中までしか 書く力がなかったほどでした。
( 瀉血というのは、治療のために、静脈から血液を取り出すこと )
● インドの ゴアに着いても、 [ 教皇代理 ] という 特別な立場にあった ザビエルでしたが、 “ 病院の そばの、そまつな家を住まいとして ”
毎日 午前中は、一番に、王立病院や サン ・ ラザロ病院の病人たちを見舞う活動を していきました。
病院のそばの小屋に住むのでなければ、
そのような人たちは しっかりと見えませんし、出かけて行って 世話をする、ということも 出来ません。そのような気持ちにも ならないことでしょう。
● イエス ・ キリストが、 「 マタイの福音書 」 25章で教えられた言葉が 思い起こされます。
髙山右近や キリシタン達も、「 ミゼリコルジア(慈悲)の所作 」 として、大切に考え、 “ 愛 ・ ご大切 ” を実践していきました。
一には、飢えたる者に 食を与ふる事
二には、渇っしたる者に 飲み物を与ふる事
三には、肌を隠しかぬる者に 衣類を与ふる事
四には、病人と 牢者をいたわり 見舞ふ事
・・・・・
“ これが 愛 ” “ これが 宣教 ” の 原点!
「 まことに、あなた方に言います。
あなた方が、これらの 最も小さい者たちの一人にしたことは、
わたし ( イエス ・ キリスト ) にしたのです。」
( マタイの福音書 25章40節 )
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・どちりいな きりしたん(ドチリナ・キリシタン) —– 近世初期にイエズス会によって作成されたカトリック教会の教理本。当時のポルトガル語で Doctrina Christã、ラテン語で Doctrina Christiana と表記。
【 参考図書 】
・「 キリシタンと翻訳 」 ( 米井力也 ・ 著 )
・「 聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄 」 ( 岩波文庫 )
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久保田 Ucon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
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「髙山右近研究」をライフワークにしています。
髙山右近やキリシタン達を通して、いっしょに考えていければと思います。