画像:2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降2011年までにイスラム過激派の攻撃を受けた国(ウィキペディア Angelo De La Paz – 投稿者自身による作品)
明石清正
SALTY論説委員
カルバリーチャペル・ロゴス東京 牧師
ロゴス・ミニストリー 代表
中東諸国では、トランプ?バイデン?
米国の大統領選が投票集計の渦中にあります。米国内のみならず、超大国であるため世界の国々が固唾を飲んで、その結果に注意を寄せています。中東諸国も同じです。私はイスラエルを注視していますが、そこはトランプ支持者が多いです。アラブ諸国はと言いますと、大半がトランプ支持です。イランとカタールでは、バイデン支持になっています。
ここに如実と、中東の勢力関係が明らかになっています。イランが地域覇権を目指し、テロをアラブ諸国に輸出しています。カタールも同じです。ムスリム同胞団を庇護している国であり、ハマスはムスリム同胞団から出た組織であり、ムスリム同胞団は、世界のイスラム化を目指している組織です。アラブ諸国は、対イラン、対ムスリム同胞団と戦う最前線におり、それゆえ同じ敵と戦っているイスラエルと協調してきているという構図になっています。(参考記事)
イスラム思想研究者である飯山陽女史は、ツイッターで「イスラム過激派テロリストは、もし1票持っているなら必ずバイデンに投票する。中東情勢をほんのわずかでも理解していて、なおバイデンを支持する人は、はっきり言えばテロリストの仲間だ。」と言い切り、その理由をこう言っています。「オバマ時代、中東は大混乱しテロリストが跋扈した。トランプはそれを収束へと向かわせ和平構築まで結びつけた。」
「アラブの春」は中東の惨劇の始まり
私も大方、同意見です。アラブの春において、西側リベラル勢は「ついに民主化だ!」と歓喜に包まれましたが、私はそんなのおかしい、悲劇の始まりだと声を上げました。オバマ政権下で、ムスリム同胞団が勢力を巻き返し、イスラム国などの過激派の台頭、シリアとリビアの内戦化、イランの地域覇権とテロの拡散という流れができ、加えて、彼は「見えぬ戦争」を全面的に推進、ドローンによって民間人が数多く巻き込まれ、血を流しました。
対してトランプ政権は中東について言うならば、トルコのエルドアン大統領の意向に合わせてなのか、シリア北東部の米軍の早期撤退を口にしたことで、トルコが侵攻、多数のクルド人とキリスト教徒少数派の民族浄化が起こったという汚点を残しました。アメリカの保守派は、トランプ政権に猛烈な批判をその時、しました。
しかし大局的には、中東全体の安定と和平をもたらしたことは疑いようがありません。大統領に就任した時、中東の外遊先の始めはサウジアラビアで、そこにイスラム教の諸国の指導者たちに会い、それからイスラエルに向かいました。パレスチナへの支援も、脅しによって援助金を引き出していた指導部のやり方に乗らず、テロ扇情を止めない彼らに援助金を止めました。そして、イスラエルが長年かけて行ってきた、アラブ諸国への水面下での和平工作に則り、アブラハム合意によって、アラブ諸国のいくつかと国交正常化の仲介を果たしました。これは、中東戦争勃発以来の歴史的快挙で、日本の人々に分かり易く言い変えるならば、自由・民主主義的な朝鮮半島の統一が目の前で起こったような、良い意味の衝撃です。
「リベラル派」が「イスラム過激派」に協調する、耐えがたき矛盾
そういった状況を見ると、自由や人権、多様化などを掲げるリベラル派が、むしろイスラム過激派に近づき、テロを容認するという異様な動きは、かなり前から気づいており、耐えがたいものがあります。むしろイスラム教諸国で、そういった過激主義と猛烈に戦っている国々のほうこそが、リベラル勢が連携すべき相手だと思いますし、トランプ政権の動きは、動機は別にしても、まさにそのリベラル思想に則った動きです。
先の飯山陽女史は、「インテリはなぜバイデンを支持するか?」という題名の記事で、以下のように述べています。「ブルックナーという哲学者は、「自称リベラル・実態左翼」は、イスラム教が社会不安を煽り混乱させる力を理解しているので、資本主義の破壊という至上目的を実現させるため、一時的にイスラム教と手を組むことを選んだ・・」左翼の破壊思想に根拠を見ています。
道徳的相対主義
私は、「道徳的相対主義」が今世紀に入って流行し始めたと見ます。以前、自身のブログ記事「悪を善、善を悪とする」時代で、「<絶対的、圧倒的悪>を直視できない人々」について書きました。人間とは不思議なもので、「「絶対的な悪」を目の当たりにする時、なぜか「その悪と協調する」という人間の異様な行動」があることを指摘させていただいています。
イスラム過激派に近づく「進歩的知識人」は多くいます。アメリカの哲学者ノーム・チョムスキー氏がイスラム教シーア派組織ヒズボラの幹部と会いました。キリスト教関係者もいます。英国の聖公会の司祭であった、スティーブ・サイザー氏が同じく、ヒズボラの幹部と会見しています。
スティーブ・サイザー氏は、結局、その反ユダヤ主義発言によって聖公会の司祭職から除名(あるいは辞退)させられています。彼は、クリスチャン・シオニズムへの強硬な反対者です。反シオニズムが神の御心だと信じてやまず、悪魔化したゆえ、自分自身が反ユダヤ的になり、反イスラエルで共闘してしたのです。そして、この司祭の著作を紹介したのが、ある、日本の福音派の神学校で教鞭を取っている教授で、ディスペンセーション神学に猛烈に反対し、異端的とさえする勢いを持っており、まさに「テロ容認の神学」を構築してしまっています。
絶対的悪の存在
「人間がここまで悪であるのか」という衝撃を、私たちは歴史の中で味わいます。その頂点はもちろん、ナチスの最終計画(ユダヤ民族抹殺)ですが、当時の人々は、まさかそこまで考えているとは思っていなかったのであり、しかし、人間の心奥底に潜む悪を最大限、煽って、引き出した結果、起こりました。
しかし、ナチス思想だけでなく、前世紀から今世紀に至るまで、共産主義の下で、ナチス・ドイツによって殺されたユダヤ人よりも多い自国民に対する殺戮を、スターリン支配下のソ連、毛沢東の文化大革命の中の中国、カンボジアのポルポトなどが行ったのです。そして現在進行中で、北朝鮮ではスターリン顔負けの強制収容所の中で、成人映画にもできないおぞましい虐待と殺戮が、キリスト者に対しても含めて行われています。
そして、イスラム国の台頭による大量虐殺にあるように、おぞましいイスラム主義の思想が世界を渦巻いています。フランスでは、実に、教会の礼拝中の方が斬首される事態となっているのです。
聖書に基づく人間観
ここで、人間が自分たちでも分からぬほど邪悪だという認識を持っていなければ、冷静にこの事態を見つめることができないのです。それができるのは、私は、聖書に基づく人間観だと信じています。人は救いようのないほど堕落しており、過去にはそれゆえにノアの時代に洪水の裁きを受け、これからも火による裁きがあると信じています。
自分自身にもそういった悪があるのだと認識し、ゆえにキリストの十字架を眺め、あのおぞましいほどの憎悪、妬み、罪の集合は、実に私の内にあるものなのだと悟り、悔い改めて、神の憐れみによって、その血潮によって、神の霊によって清められるのです。
周囲の環境に原因を求める弱さ
しかし、そこまで人は悪くないと思っているところで、けれども、それほどの悪を引き起こしたことをそのまま受け入れられず、「そうした悪を行った環境が悪いのだ」とします。それが、アメリカの左派にあるのは、伝統的なユダヤ・キリスト教の価値観であり、その差別構造が若者をテロ行為に駆り立てているのだとするのです。
実態はその反対で、むしろアルカイダの首謀だったビンラディンは裕福層にいた者であり、学歴があり、イスラム国でシリアに向かった者たちも、そこまでの渡航費を支払うことのできる比較的裕福な者たちなのです。差別構造で言えば、彼らは上流階級にいる者たちです。
絶対悪を悪としない悪
悪を絶対悪としないことによって、悪ではないもの(欧米の近代国家の体制など)を悪とし、善ではないもの(イスラム過激思想)を、どんな理由があっても正当化することによって、善としているのです。「わざわいだ。悪を善、善を悪と言っている者たち。」(イザヤ5:20)
絶対悪など存在しない。すべて価値観は相対的なものだとする道徳相対主義は、結局、物事を相対化できずに、悪を容認し、善を圧し潰すことになるのです。むしろ、絶対があることによって、絶対ではないものを相対化することができます。私たちにとっては、それが神とキリストであり、聖書の真実性なのです。
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