髙山飛騨守とロレンソ −久保田典彦−

※ 写真の正面の山が、沢城のあった 城山 ( 525m )

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第35回 

 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 

 髙山飛騨守とロレンソ

● 大和を治める 松永久秀 ( 弾正 ・ 霜台 ) のもとにあって、大和 ・ 沢城を託されていたのが、髙山飛騨守 ( 右近の父 ) でした。

主君の松永久秀は、熱心な法華宗徒でしたが、家臣の髙山飛騨守も 同様でした。

飛騨守は、同じ 松永久秀に仕える ・ あれほどの学識のある結城山城守、そして、清原枝賢までもが、キリスト教の話を聞き、信じて、洗礼を受けたことを知り、これは 重大な出来事であり、キリスト教には、何か 重要なことがある と感じました。

● 丁度、二人に洗礼を授けるために 奈良に来ていたヴィレラ神父が、日夜、ロレンソ修道士を通訳として、神のことを伝えていた集まりに出かけて行き、くりかえし熱心に、神 ・ デウスのことを聴聞し、異常なほどの感銘を受けたのでした。

そして、ただちに、そこで ヴィレラ神父から洗礼を授けてもらい、
“ ダリオ ” の霊名を授かったのでした。 髙山ダリオ飛騨守

● ダリオ飛騨守は、沢城に戻って来ると、ヴィレラ神父に宛てて、御礼と要請の手紙を記しました。

神父が 自分に洗礼を授け、救いの道を教えてくださったことを 繰り返し 感謝すると共に、

「 私は、まるで、大いなる領国をいただき、その国の君主にしていただいたかのような、いとも、心豊かに うれしく思います。
私は、もっとゆっくり 教えを聞くことが出来るように、尊師をお呼びしたいのですが、道中、敵がいて 危険ですので、目下のところ、あえてそうするわけには いきません。
しかし、デウスの愛のため、ロレンソ修道士を ご派遣いただきたいと思います。
彼なら、日本人ですから、もっと自由に、道中、旅が出来るでしょう。
私の家族や家臣たちは、説教を聞きたがっていますので、彼に説教してもらいたいのです。」

● ロレンソ修道士が、沢城に やって来ました。

 ロレンソは、ダリオの家族や 兵士たちに、説教を続けていき、一同は、聞いたことを 良く理解することが出来ましたので、150名の者に 洗礼を授けました。

その中には、マリアの霊名を与えられた ダリオの妻、
ジュストの霊名を与えられた 長男の 彦五郎 ( 後の右近 ・ 12歳 )
ほか、息子3人 ・ 娘3人 がいたのでした。

髙山右近受洗之地の碑(奈良県宇陀市榛原大貝)

● 沢城から 5里隔たった所にある 十市城にも、ロレンソを案内し、石橋殿と、妻子 ・ 家臣たちも 洗礼を受けていきました。

故郷の 高山 ( 大阪府豊能郡豊能町 ) には、老齢の母がいましたので、ロレンソを高山に案内しました。
「 彼女が、男女の召使い達と一緒に説教を聞き、一同 大いに喜んで聴聞し、洗礼を受けた。」

 

 

● 一年後には、ダリオの 大の友人で 遠縁にあたる、余野 ( 高山の隣りの地域 ) の クロン殿 ( 黒田? 蔵人? ) に便りを書き、

「 切に 心から勧めて言うには、是が非でも、デウスのことを聞いて キリシタンになられるように。自分は、この教え以外には、いかなる 他の救いの道もないことは、絶対 確実だと保証する。」

ロレンソ修道士が招かれて 余野に出かけ、40日間、余野に滞在して、彼らに 説教を続けました。
余野には、日本の宗教のことに通暁した人達がいて、絶えず 修道士と宗論しましたので、時間がかかりました。

ついに、この期間の終わりに、
クロン殿 ・ 妻子 ・ 兄弟 ・ 父 および家臣たちが 洗礼を受けるに至り、同家の人たちだけでも、53名を 数えました。

その中に、後に 右近の妻となる、娘ジュスタ も含まれていたのでした。

 

【 参考図書 】  「 フロイス日本史 1 」 織田信長篇Ⅰ ( 中公文庫 )

 

 

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久保田 Ucon 典彦

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

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髙山右近やキリシタン達を通して、いっしょに考えていければと思います。