軍に仕え、信仰を最優先に(1)−スティーブ・タウン−

2020年9月12日のコルネリオ会(防衛関係キリスト者の会)の例会(オンライン)で語られた、スティーブ・タウンさんのメッセージです。
ご本人とコルネリオ会から了解をいただきましたので、SALTYとして掲載いたします。

 

 

 

米陸軍退役大佐
スティーブ・タウン

「軍に仕え、信仰を最優先に」(1)

-2020.9.12 コルネリオ会での証-

第1回>

1.はじめに

 私は、スティーブ・タウンと申します。アメリカのOCF(軍人将校クリスチャン交流会)の会員です。コルネリオ会との交わりは、日本の自衛隊にとっても大切であると感じています。

 今日の私の証は「軍隊に仕え、信仰を最優先する」という題で、お話させて頂きます。

 私が米軍に所属し、どのように神の恵みによって支えられたかについて説明します。結論から申しますと、「イエスを追いかけている人は、いつもイエスに支えられるのが当たり前であり、絶えずその通りになる」ということです。私達は軍隊に所属していても、神様は「私たちがイエスに仕えることができる」ようにしてくださいます。

 今日の聖書のみ言葉は、コリント人への手紙第一15章10節です。
「しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜った神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。」

 私たちは、自分の努力だけでは不十分で、神の恵みがなければ何もできないのです。神の力が働いていることは確かであると思います。

 今振り返ると、私は子供時代から、イエスが私の命(いのち)であり、私の生活に関して神様がいつも私と一緒にいて引っ張ってくれていたように思います。

2.イエスのために生きる「神の恵み」

 私は、アメリカ生まれですが、2歳の時に両親とともに日本に来ました。父親が宣教師でしたので、2歳から14歳まで四国の愛媛県で育ちました。父親は、そこで伝道して7つの教会を立ち上げました。私は、それを見て育ったことを非常に感謝しています。

 私の一番大切なことは、子供の時に日本の文化を習い、日本が大好きになり、日本を愛していたということです。特にアメリカに帰国した後も日本にいつか戻りたいと思っていました。

 私が小学校3年生の時、イエスを受け入れました。その時、私は自分の家族がクリスチャンでしたから、私もクリスチャンだとずっと思っていました。しかし、その日の牧師先生のメッセージを聞いて、「一人でイエス様の招きを受けなければいけない」ということがわかりました。帰ってから、母とベッドの隣に座ってイエスの救いを受け入れました。その夜、私がクリスチャンになったことは確かでした。

 アメリカに帰国した時、丁度中学校2年生の時でしたが、もう日本に戻れないことについて本当に苦しみました。それは、父が牧師になってアメリカに残ることを決めたからでした。父からのプレッシャーがあったのかもしれませんが、「聖霊を受けましょう」と言われて、私は本当にイエスのために一生仕えるかどうか考えました。その時、アメリカの8年生(日本の中学2年生)でしたが、本当にイエスのために生きようと決心しました。

 それで私は、高校を卒業して、ウィートン・カレッジという有名なクリスチャンの大学に入学しました。ビリー・グラハム師が卒業した大学です。ですから人気のある大学で、授業料がとても高かったのです。その当時、牧師の家庭でお金がないので、私は軍隊に入隊するという条件で、米国陸軍からの奨学金を申請して承認されました。

 大学最後の4年生の時、陸軍人事担当の人が来て、「あなたは米陸軍でどんな職種を希望するのか」と問われ、私は「日本に行きたい」と言いました。陸軍人事担当者は、「それは希望職種ではない」と言われました。私は、卒業後陸軍に入隊する目的は、「日本に戻るためです」と言いましたが、人事担当者は「日本には米国陸軍が少ないので、その補職は非常に難しい。しかし、君のために日本に行けるように祈りましょう」と言いました。

 次の日、私のところに来て祈った担当者は、「アイディアがあります。あなたが日本語専門将校になれば日本に戻れる可能性は高いです。しかし、日本語専門将校になるために、まず先に普通の米軍将校として任官して普通の特技を取得した方が良い」と言われ、さらに「あなたはミサイル部隊の将校になった方が良いのではないかと思う」と言われたので、再度聞いたら、「ナイキ・ホーク部隊の将校になれば後2~3年でその部隊組織が終わるのでミサイル防空将校は、比較的簡単に別の他職種に転換することができ、語学専門将校になれる」と教えてもらいました。

 直ぐにミサイル専門将校になることを希望しました。しかし,米陸軍の中から日本語専門将校になれるのは毎年2名のみです。今直ぐには決められないのですが、私はその希望が叶うよう祈っていました。その後、ドイツでの防空ミサイルのナイキ・ホーク専門将校として4年間の任務を終了し、やっと日本語専門将校に選ばれました。私は、その時“神様の恵み”が、いつも私に与えられていることを感じました。

 

<第2回>  に続く <——  クリック

●「コルネリオ会」ニュースレター(No.155) 2020年12月 掲載

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<紹介>
スティーブ・A・タウン
アメリカ、モンタナ州出身。
宣教師だった父親の関係で小学生まで日本の神戸に暮らす。
アメリカに戻ったのち、アメリカ陸軍の奨学金を得て大学を卒業。
その後、アメリカ陸軍の日本語専門家として沖縄で勤務。
一旦アメリカに戻るが、日本のアメリカ大使館へ武官として赴任。
武官を2年務めた後、陸軍横田基地に戻る。
ちょうどその頃、東日本大震災に遭遇。防衛省のある市谷に日米連絡所を設置し、アメリカの「トモダチ作戦」をサポート。

その後、大佐で除隊。軍事会社に転身した。

著書:『日本人だけがなぜ 自衛隊の実力に気がつかないのか?』
  スティーブ・A・タウン 著
宝島社:2018年 7月3日  発行

  (著者プロフィール より)

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