キリシタン時代の聖書の翻訳 −久保田典彦−

※ 写真:シロツメクサ

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第38回 

 

 

 

 

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

キリシタン時代の聖書の翻訳

━ 久保田 Ucon 典彦  ━

キリシタン時代、聖書の翻訳は どうなっていたのでしょうか。

マルチン・ルターは、ドイツ国民の誰もが 「 聖書 」 を読むことが出来るようにということで、1522年に、ドイツ語訳の新約聖書を完成させ、出版していきました。

キリシタン時代の日本では、聖書翻訳は どうだったのでしょうか。

宣教師達は、ラテン語に翻訳された聖書に基づいて、キリスト教を伝えていったわけですが、聖書の 必要な部分の個所を日本語に翻訳して、礼拝や 説教の中で用いることはありましたが、新約聖書全体 ・ 旧約聖書全体となると、聖書翻訳は、そう 簡単には出来ませんので、
当時の教会の記録を見ても、 “ 聖書そのものを 翻訳していく ” ということは行われていませんし、本の形で 出版されたり、遺されたものは 発見されてはいません。

● 各主日 ( 日曜日 ) や祝日の ミサにおいては、

ラテン語の 福音書の個所が読まれ、それを 日本語に訳したものが読まれ、それについて 説教がなされていきました。
( 1546年の 「 トレント公会議 」 の教令によります。)

ですから、一年間の 主日や 祝日の 福音の個所や、使徒信経 ( ケレド ) ・ 主祷文 ( パーテルノステル ) ・ 天使祝詞 ・十戒 などは、必要不可欠なものでしたので、優先して、日本語に訳されていきました。

「 マタイの福音書 」 から 38個所 ・ 「 ルカの福音書 」 から 32個所
「 ヨハネの福音書 」 から 27個所 ・ 「 マルコの福音書 」 から 4個所
「 使徒行伝 」 から 1個所 ( 聖霊降臨 ・ ペンテコステ ) などです。

● どのような人達が、日本文に翻訳していったのでしょうか。

日本語が よく出来る 外国人だけでは ムリ。
ラテン語がよくわからない 日本人だけでも ムリ。
個人では ムリ。
宣教に いそがしすぎても ムリ。
協同作業が 出来る人たちでないと ムリ。

いろんなことを考え合わせてみますと、
日本語がよく出来た フェルナンデス修道士に、日本人の 修道士 ロレンソ・ビセンテ洞院・養方パウロ といった人達が協力して、完成させていったのかも しれません。

● 日本語に翻訳された 「 ナタル ( クリスマス ) の福音 」 の個所を紹介してみましょう。

言葉 ・ 表現が、非常によく吟味されていて、見事な名訳になっていますョ!

「 カエザル・アウグストと申す 帝王諸国の 人数人 ( にんじゅにん )を記すべしとの 綸旨 ( りんじ ) を出だされければ、シリヤ国のシリノという守護人よりこれを始めらるるなり。

しかれば 上下万民 姓名をあらはさんとて、おのおの本国に赴きけるに、ガリレアのうち ナザレトの郷より、ダビヅの御子孫にてましますジョゼフ、その姓名を名乗り給はん為に、御懐胎たる御妻 ビルゼン ・ マリヤ 諸共に、ジュデアの国のうち ダビヅの故郷 ( ふるさと ) なるベツレムに上がり 逗留し給ふうちに、御産あるべき日数 達しければ、
若君を儲け給ひ、産衣に巻き奉り、置かれ申すべき御座無ければ、牛馬の物喰む為に定まりたる 土の くぼかなる所に、宿し奉られたるなり。」

 

※ [ 参考図書 ] 「 キリシタンの心 」 ( チースリク著、聖母文庫 )

※ トップの写真:シロツメクサ
・撮影:Shinichi Igusa
(宝塚市  2016年 6月13日)
ーーーーーーーー

 

 

久保田 Ucon 典彦

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

ホームページ:
[髙山右近研究室・久保田へようこそ]
ブログ: [ 髙山右近研究室のブログ ]

「髙山右近研究」をライフワークにしています。
髙山右近やキリシタン達を通して、いっしょに考えていければと思います。