二正面作戦から二焦点作戦へ−亀井俊博−

 

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

 

「二正面作戦から二焦点作戦へ」

2021・5・15

(一)二正面作戦から

 二正面作戦は、最も愚かな戦い方だと言う。二兎を追うもの一兎をも得ずの結果となるか、前門の虎後門の狼で挟み撃ちにされるか、股裂きにされるか、いずれにしてもリスク最大の作戦だからです。コロナ禍対策とオリンピック開催の同時成功を狙う策がこれです。

 しかし、心ならずも虎と狼に挟まれた羊には羊なりの生き抜く知恵が必要です。今や世界は、米中対立が厳しくなり新冷戦とまで言われ、両陣営からどちらに就くか踏み絵を迫られて、日本、韓国、東南アジア諸国初め世界の羊の群れは苦慮している。日本政府・外務省アメリカン・スクールは米側に、与党・外務省チャイナ・スクール・財界は中国寄りにと、バランスを取って両にらみの様です。

(二)二焦点作戦へ

 私のスタンスは、二正面作戦ではなく、二焦点作戦です。これまで何度も説いている、明治の預言者的キリスト者内村鑑三・昭和のキリスト者哲人宰相大平正芳の説いた「楕円思考」外交です。つまり “一つの中心” 覇権国家が世界を支配する円思考から、“二つの焦点” 両超大国が世界に仕える楕円思考と言う事です。

 ウオーラステイン「世界システム論」のような “一つの中心” 覇権国家と周辺従属国家群と言う、今までの円思考だと、米中対立の激化の果て、冷戦、熱戦どちらかの結果雌雄が決する、と言う事になります。しかしその間、二正面作戦を強いられる周辺国家群の緊張と被害は甚大で、さらに焦眉の地球規模の課題が取り残されます。むしろ新しい「世界システム」の構想を「楕円思考」として、世界を“二つの焦点”である両超大国の存在こそが必要であり、むしろ両超大国が互いに切磋琢磨して地球規模の課題、パンデミック・温暖化対策等に取組み世界に貢献させる、「二焦点作戦」を日本主導で展開すべき、と言うのが本論の主旨です。

 さらに二焦点両超大国の関係は “愛し合いながら戦う”(K.ヤスパース)であり、二焦点と周辺との関係は “サーバント・リーダーシップ”(後述)です。と言う事でこの論述はかつて “SALTY” 誌上に発表した拙論、“米中対立の向うに” 以後の歴史の展開を踏まえた続編です。

「米中対立の向こうに』 2020-11/12(3回連載)

「新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察」 2021-1/25(4回)

「中国キリスト教の躍進に学ぶ」 2021-3/1(3回連載)

(三)米中対話の評価

 新たな歴史展開と言う意味で、3月18・19日アラスカで開催された、米中対話に注目します。冒頭ブリンケン米国国務長官が、新疆ウイグル自治区のジェノサイド、香港民主化運動弾圧、台湾威嚇、等中国の専制政治、人権問題、覇権的侵略行為を非難したのに対して、楊潔篪(ヤン・ジエチー)中国共産党政治局員は「アメリカはみずからの民主主義を押し広めるべきではない。アメリカが普遍的な価値や国際世論を代表することはできない」と激しく反発。米国こそ大統領選挙に露呈した国民の分裂と言う民主主義の弱点、BLM運動に露呈した非人権的黒人差別を解決できず、また海外で数々の侵略行為を行ってきたではないか。上から目線で中国に説教する時代は過ぎた。米国こそ説く事とやって来た事の矛盾・欺瞞を反省すべきだ。そもそもアジアは欧米に侵略され、その圧政に耐えてきた。いつまでそれに甘んじろと言うのか!と楊潔篪政治局員は外交辞令抜きに激しく感情を吐露した。しかし欧米始め日本のメデイア報道は、中国の覇権主義の開き直りだと悪評であった。

(四)アジアのルサンチマン

 しかし私は一概にそうは言えないと思う。よくぞ言ってくれたとさえ思う。私の論は、識者や福音派キリスト教徒の反発を受けるかもしれないが、落ち着いて聞いていただきたい。今さら歴史のおさらいをする必要はありませんが、徳川時代末期、砲艦外交で開国を迫られ1854年以来、屈辱的不平等条約を欧米諸国に結ばされ、明治外交の主眼は不平等条約改正であった。日清・日露戦勝利でようやく列強扱いで改正。以後富国強兵路線でひた走り、その挙句ABCD包囲網に会い(今や中国包囲網を日本が主導する歴史の皮肉)無謀な太平洋戦争に突入、敗戦により連合軍占領後75年余を経た。1951年独立後も沖縄中心に多くの米軍基地を許し、果たして独立国家と言えるのか。しかも敗戦を認めず終戦とすり替える“永続敗戦論”(白井聡)とさえ言われる現在日本の欺瞞的メンタリテイではあります。しかし欺瞞意識にすっかり慣れっこになるばかりか、その利権に与る親米・従米保守派は別にして、民族さらに大アジア主義の流れを汲む志ある人士は、ルサンチマン(怨恨)が鬱屈。

 中国またしかり、18世紀まで世界一の超大国だったにもかかわらず、1840年アヘン戦争で英国に負け、1895年三国干渉以来欧米列強の、また同じアジアの日本にまで植民地化の草刈り場にされた屈辱感を思うべきです。さらにインド初め、東南アジアも18世紀まで世界のGDP、文化の中心圏であった誇りが、産業革命以来の欧米の科学技術・経済・軍事力の前に敗北。アジアがその誇りを傷つけられたトラウマ、200年の阿Q的弱者のルサンチマンを思うべきです。やがて19世紀後半、福沢諭吉の脱亜入欧策で近代化した日本の挫折、意外にも1978年以来の改革開放以来の眠れる虎が目覚めた中国の驚異的躍進、米中対話で世界の覇者米国と渡り合うアジアのチャンピオン中国。日本が果たせなかった東西文明の対等性を主張する中国に、同じアジア人として誇りに思うべきではないかと、こう言う見方もあります。

(五)大アジア主義

 実は明治初期の脱亜入欧路線以来、形成された欧米と自己を同一視し、台頭する中国を嫌悪・嫉妬する落ち目の日本世論が無意識にあります。しかしそれとは全く別のアジアへのアプローチが、同じ明治初期にあったのです。

 それが岡倉天心の “アジアは一つ” に始まる大アジア主義(インドのタゴールも唱えた)の視点なのです。それを米国と自己を同化して中国を一方的に非難するとは、日本人バナナ論、つまり外側は黄色だが、中身は白だ、と侮蔑されるだけです。アジアのアイデンテテイを失ってはならない。大体にして欧米は、「オリエンタリズム」(E.サイード)で、かつてヨーロッパ文明の師であったアラブ世界を蔑視し、さらにアジアが台頭すると、黄禍論(イエロー・ペリル)を持ち出し攻撃するのです。白人支配を脅かす、アラブ、黒人、そしてアジアの黄色人種が許せないのです。今、欧米の路上で黒人に次いで、アジア人がヘイト・クライム(人種憎悪犯罪)で暴行されている醜態を見れば分かります。それを日本人は名誉白人扱いだと、情けない脱亜入欧精神でアジアのアイデンテテイを失うなら、鳥からも獣からも信を失って見捨てられたコウモリになりますよ。日本人は名誉白人ではない誇り高きアジア人である。中国がそのチャンピオンとなるなら批判も含めて支援する。これが私の立場の片面です。二焦点作戦の一つの焦点です。

(六)欧米の普遍的価値観

 しかしもう一つの焦点があります。それは欧米の価値観の普遍性です。確かに楊潔篪政治局員の糾弾する様に、欧米の言う事とやってる事の矛盾、欺瞞性を指摘すべきです。しかし同時に欧米の説く価値観に普遍性があり、アジアを始め世界に貢献している面のある事も高く評価すべきです。そして現代中国の自己中心的価値観に基づく行動に断固抗議し、普遍的価値観を尊重するよう迫るべきです。それこそ、人権の尊重、思想・信教の自由尊重、複数政党議会制民主主義、法の支配です。そもそも中国も、欧米の法の支配の恩恵の元、今日の繁栄を獲得した。私的所有権の保証・商法・会社法等による世界的自由市場参入や国際金融への参加、公海航行の自由の国際法による国際貿易・通商の保証、知的所有権による知的財産の購入、国連、WHO、WTO、IMF等国際機関の加入による様々な利益保証、紛争解決・・数えることが出来ない程の恩恵に与ってきた。

 それを鄧小平の韜光養晦(とうこうようかい)策で隠して爪を研いでいた中国は、経済・軍事面で今や実力をつけてベールをかなぐり捨て、爪をむき出しにしたと言うのか。領土的野心、海洋進出、経済・軍事的世界支配、宇宙支配の中華帝国再来の野望を、“中国の夢”として公表した。強権的対策でいち早くコロナ禍から立ち直った中国は、弱り目のコロナ禍に苦しむ世界に付け込む振る舞いは目に余る。これでは面従腹背の諸国家は生まれるでしょうが、信任は得られないでしょう。

(七)大人の中国へ

 中国には小人的姑息な世界政策や、欧米による屈辱的歴史へのリベンジ、かつてのアジア諸国に朝貢冊方を求める中華秩序編入と言う、上から目線の外交強制を止める様求めます。むしろ中国人の理想像である大人(たいじん、徳の高い立派な人(広辞苑)、“社会の責任を負い、他者を助けるだけの余裕がある人、小人(しょうじん)は自分のことで精いっぱいの人”(朝日2017・1・26,「論壇時評」歴史社会学者、小熊英二)として、世界に貢献する余裕あるノブレス・オブリージュ的態度に、成熟する事を求めるものです。大人虎変(すぐれた賢者が、時の流れに合わせて、日に日に自己変革すること(易経))と言うではありませんか。そして、かつてベトナム、朝鮮半島、日本にまでその儒教的文化で貢献した様に、敬意を表される文化・道義国家になってもらいたい。そして東洋と西洋の二大焦点を持つ楕円世界システムで、世界を支配するのではなく、世界の課題に仕えるサーバント・リーダーシップ国家になってもらいたい。勿論これは同時に欧米にも要求される事であります。

 勿論ありうべき仮定として、二つの焦点のいずれかを選択、米中対立の激化の果て、究極の選択を迫られる事がないとは言えません。その時は日本も覚悟して普遍的価値観に立つべきです。私は米中がそこまで対立を先鋭化する愚かとは思いません。しかし仮定としてあり得ます。それは人類破滅を意味し、何としても回避するためには日本、韓国、東南アジア、インド、EUが共同して二焦点化推進を図るべきです。

(八)日本の役割と必要

 この様にして「円思考」に基づく米中対立への「二正面作戦」と言う愚策ではなく、「楕円思考」に基づく、「二焦点作戦」― “作戦” が穏当を欠く表現なら「二焦点世界政策」でも結構ですーを日本外交は採用し、堂々と欧米・中国に説き続けることを私は提唱するものです。これこそ世界を米中対立の危機、さらに地球環境の危機を救う、グランド・デザインであります。日本は現代世界史の両プレイヤーの、名バイ・プレイヤー(脇役)を果たす資格と能力と責任があると信じます。

(九)サーバント・リーダーシップの根拠と可能性

 さらに支配から奉仕へと向かわせる精神(エートス)こそ、一般的な支配型リーダーシップに替わる、イエスに発するキリスト教のサーバント・リーダーシップ(支援型L.)の教えなのです。その実現可能性の根拠は、私が米国は勿論、現在中国に広く浸透しつつありやがて2億人に達すると予測される、キリスト教に期待しているところであります。決して机上の空論を述べているのではありません(SALTY誌上拙論「中国キリスト教の躍進に学ぶ」参照)。

 キリスト教マイノリテイの日本では想像しがたい事ですが、目を挙げて世界をご覧ください。これが世界の現実なのです。日本人こそ、至急イエスを迎える必要があります。そして私の提唱する「楕円思考」的世界システムの「二焦点作戦」に加わり、東西競合による世界平和実現に貢献すべきではないでしょうか。

 

「異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力を振るっている。あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、なたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなた方の間でかしらになりたいと思う者は、僕(しもべ)とならねばならない。それは人の子(イエス)が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためである」
(マタイの福音書 20章25~28節)


亀井俊博(かめい としひろ)

1942年香川県に生まれる
単立「西宮北口聖書集会」牧師、「芦屋福音教会」名誉牧師
同志社大学法学部法律学科卒、日本UPC聖書学院卒
(同志社大学神学部、神戸改革派神学校、神戸ルーテル神学校聴講)
元「私立報徳学園」教師、元モンテッソーリ幼児教室「芦屋こどもの家」園長
元「近畿福音放送伝道協力会」副実行委員長、

*<亀井俊博牧師のブログ>
「西宮ブログ」の『バイブルソムリエ


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(5)まれびとイエスの神」講話(人称関係の神学物語)

(6)「時のしるし」バイブル・ソムリエ時評

(3)「モダニテイー(上巻):近代科学とキリスト教」講話

(4)「モダニテイー(下巻):近代民主主義、近代資本主義とキリスト教」講話

(2)「人生の味わいフルコース」キリスト教入門エッセイ

(1)「1デナリと5タラントの物語」説教集


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