・写真:ビオラの花
バイブル・ソムリエ:亀井俊博
「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師
「新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(1)」
執筆:2021年1月13日
<第1回>
・4回の連載で掲載いたします。(SALTY編集部)
(一)コロナ論議
こんなに長期戦になるとは思っていませんでした。新型コロナ・ウイルスとの戦いです。戦争ならどこか遠くに戦線があって、夕食のTVニュースを見ながら心を痛めているのですが、この戦いは私たちの日々の生活が最前線で、私の様な後期高齢者にはいつ弾が当たって感染、死に至る病になるか戦々恐々です。医療者、経済界、教育者、政治家、ジャーナリスト等、様々な観点から意見や、行政の取り組みに批判を述べています。中には宗教界からも、コロナ封じの御祈祷の勧めがなされています。まさに総力戦の観を呈しています。私も今まで、その時々に意見を述べてきましたが、ここにキリスト教福音派の視点で神学的な考察を試みてみます。なお参考資料の「拙著」は電子図書で刊行されています。
(二)新型コロナ・ウイルス感染症とは
新型コロナ・ウイルス感染症(COVID19、WHOによる正式名称)は、疫病の一つで、す。2019年、中国の湖北省武漢市の海鮮市場か、約300m離れた「中国科学院武漢ウイルス研究所」が洞窟で捕獲したコウモリ、起源のウイルスがヒトに感染したと言われます。中国当局はこれを否定しており、欧米首脳の要請によるWHOの調査が待たれます。
ハンセン氏病、マラリヤ、ペスト、天然痘、コレラ等の「風土病」(エンデミック)がある限定された地域に広がった疾病が「疫病」(エピメデック)であり、世界規模に拡大流行したものが「感染爆発」(パンデミック)です。今回の新型コロナ・ウイルスはまさにパンデミックです。感染経路はヒトーヒト感染であり、初期症状は発熱、咳の風邪症状に似ているが、中に劇症化する者があり特に高齢者は死に至る病です。
コロナと言うのは王冠(クラウン、ラテン語でコロナ)の意味で、中国名は“冠状病毒”です。コロナ・ウイルスは小さなタンパク質の殻(カプシド)の中にRNA(リボ核酸)が収まった構造体で、カプシドの外側にさらに膜(エンベロープ)があり、スパイクと呼ばれる20nmの突起がたくさんあってエンベロープに刺さっています。このスパイクの先端が膨らんで王冠のような形をしているので、コロナ・ウイルスと呼ばれます。この突起を使ってヒトの体内に侵入・増殖し病害をもたらします。
対処法は、三密を避け、手洗い、マスク着用と言う個人努力が求められています。感染した時の特効薬は現在のところありませんが、治療経験が積まれ対応が進んでいます。疫学、公衆衛生法に基づく行政的な対処法は都市封鎖(ロックダウン)が有効と言われますが、経済活動を停止し生活が困難となり、命と経済の葛藤に苦慮しています。期待のワクチン開発が急速になされ世界で接種が始まっています。その社会経済に及ぼす被害は甚大であり、国家的危機を招いています。人類共通の敵として対策が急がれます。
なお以下、新型コロナ・ウイルス感染症をコロナと略称します。
(三)コロナの神学的考察
コロナはキリスト教神学にとっても見逃せない課題を孕(はら)んでいると強く思い、ここに神学的考察をいたします。キリスト神学には、神学4分野(聖書神学、教義神学、歴史神学、実践神学)があります。以後コロナと神学4分野との関りを述べますが、主に教義神学的考察を重視します。さらにその中の、創造論、救済論にフォーカスします。なぜならウイルスは人為現象ではなく自然現象であり、それを取り扱うのは創造論であり、またウイルスのもたらす被害の解決は救済論に属するからです。聖書神学、歴史神学の二分野に最初に簡単に触れ、教義神学に大きく触れ、最後に実践神学で締めます。
(A)聖書神学的考察
まず、コロナと聖書神学的考察を簡単にします。聖書はコロナをどのように考えているか,と言うことです。勿論、聖書の編集された時代にコロナ等は存在していなかった?存在していたかもしれませんが医学的知見の無い時代ですから、広く“疫病”(旧約ヘブル語で“デベル、マゲッパハ、マウエト、マッカ、ネゲプ、ケテフ”等多くの用語、新約ギリシャ語では一語 “ロイモス”)と言う概念で聖書には記述があります。
古代は現代の様に医療が発達しておらず、疫病は即死の危機にさらされた訳で、恐れられていました。ですから疫病に無力な古代人は、宗教に頼らざるを得ず、神仏の人間の罪への罰と考えられ、また同時に宗教による治癒・救済が願われていました。たとえば仏典「維摩経」のー「衆生病則菩薩病」衆生病まば則ち菩薩病むーは大乗仏教の極地と言われる、深い病と救済の関係が説かれています。
聖書の舞台、西アジアでも多くの神々は多産、自然神であると当時に治癒神であったのは当然です。イスラエル宗教の神ヤハウエは、その中でもユニークで、一神教的人格的創造神であり、倫理面が強く人間の罪への裁きの手段として“疫病”が記述されています(出エジプト5:3、Ⅰ歴代21:12・・)。そこで治癒・救済も動物犠牲による贖罪が要求されています(サムエル下24章)。新約に至って、メシヤ・イエスは、神の国の福音を宣べ伝えると同時に、多くの病人を癒すカリスマ的治癒神として福音書に描かれています(「治癒神イエス」山形孝夫)。主イエス最期の十字架の贖罪は同時に病の癒しでもあった、「わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかってわたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、癒されたのである」(Ⅰペテロ2:24)。まさにウンデッド・ヒーラー(人の病を身代わりに負い傷つき癒す神)と言えます。
(B)歴史神学的考察
キリスト教の歴史上、パンデミック・疫病蔓延は時にその前後で大きく歴史を変えた事があります。有名な中世ヨーロッパに起こった黒死病(ペスト、1331~1855)はヨーロッパ人口の3分の1~2、2千万~3千万人を死滅させたと言われます。その死の恐怖の中から、感染を恐れ教皇庁から逃亡した教皇クレメンス6世に代表される、堕落したカソリック教会の無力に見限りをつけ、教会に蓄積した徳に与る救済、贖宥状の欺瞞を暴いた、宗教改革者ルターにより、教会の媒介に拠らず神と直接する信仰義認による救済が発見されました。ルターの宗教改革(1517年)からカルバンの聖書による社会改革(改革派)に進展し、近代市民革命、国民国家、近代民主主義政治、近代資本主義経済社会が生まれる、大転換点になったと言われます(拙著「モダニテイ、下巻」近代民主主義、資本主義とキリスト教)。
また非宗教化の方向に進んだカソリック教会批判の文学「デカメロン」(1348年、ボッカチオ、ペスト禍にステイ・ホームした男女10名の100の噺し、ダンテの「神曲」に対して「人曲」と言われる、聖職者の堕落振りを暴く)が生まれ、神から人間への人文主義(フマニスムス)から文芸復興(ルネサンス)、さらに人間理性による啓蒙主義が生まれ、フランス革命に結実し、神なき近代社会が登場。
実に中世のパンデミック、黒死病(ペスト)は、キリスト教的近代、反キリスト教的近代という、二つの近代の大潮流を生み出して現代に至っています。今回のコロナのパンデミックは、世界や日本社会にどのような転機をもたらすか、その中でキリスト教がどの様な働きをするかが、問われていると思います。私の予測では「環境神学」の形成と実践がその貢献の一つだと思います。
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亀井俊博(かめい としひろ)
1942年香川県に生まれる
単立「西宮北口聖書集会」牧師、「芦屋福音教会」名誉牧師
同志社大学法学部法律学科卒、日本UPC聖書学院卒
(同志社大学神学部、神戸改革派神学校、神戸ルーテル神学校聴講)
元「私立報徳学園」教師、元モンテッソーリ幼児教室「芦屋こどもの家」園長
元「近畿福音放送伝道協力会」副実行委員長、
*<亀井俊博牧師のブログ>
「西宮ブログ」の『バイブルソムリエ』
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・写真:ビオラの花(撮影・Shinichi Igusa)