『わが体験的コリヤ論』(西岡力著)の出版 −後藤献児朗−

 

 

 

 

 

日本キリスト者オピニオンサイト-SALTY-代表
有限会社サーブ介護センター 代表取締役

2021年11月8日

日本人であれば誰もが関心を持つ「北朝鮮拉致問題」に、クリスチャンとして人生をかけ取り組んで来られた西岡力先生が、信仰を前面に出した『わが体験的コリア論』を出版されました。

「拉致なんてない」と政治家自らが拉致を否定していた時代がありました。また、その言葉に同調し、キリスト教界もが「拉致」を否定していた時代があります。そんな頃から活動を続けて来られた西岡先生の孤高の戦いが、今に至るまで続いてきました。そして今も尚、拉致被害者の方々の完全奪還を目指し、全国を飛び回っておられる西岡先生のパワーはどこから出ているのでしょうか?

そう! 紛れもなく信仰から出ているのです。拉致された方々やそのご家族に対する「愛」ゆえの活動です。朝鮮半島情勢を誰よりもよく知る西岡先生の本です。楽しみにしておりました!!

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西岡力

日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY-  主筆
歴史認識問題研究会会長
モラロジー研究所教授・麗澤大学客員教授

2011年11月8日(記)

新著「わが体験的コリア論」のまえがきの一部です。

 コリア(韓国と北朝鮮)について研究し始めて約50年になる。その中で、いつも、研究と道徳、あるいは価値観は切り離せないと思ってきた。

私にとって道徳とは何か。コリア研究をしながら体験的につかんだのは、道徳とは命よりもたいせつなもの、あるいは命をかけても実現すべきこと、だということである。

 今から20年ほど前、いじめなどを理由にした中学生の自殺事件が多発していたとき、テレビで識者と言われる人々が次々出て、自殺をするなと呼びかけていた。異口同音で命は大切だ、命を粗末にするな、命を捨てるくらいなら全てを捨てて逃げなさい、などと語っていた。命が一番大切だという主張だ。

それを見ながら私は、命より大切なものがこの世にあるはずだ。大人の役割は若い世代に命をかけてなすべき価値がこの世界にあるということを教えることではないかと、思っていた。

 命至上主義はある意味で戦後の日本の象徴かもしれない。そして、実は私も高校生の頃、髪を肩まで伸ばしジーンズをはいてベトナム反戦デモに参加しながら命こそが大切だという「反戦フォークソング」を聞いていた命至上主義者だった。

加川良という歌手が自作自演していた「教訓1」という歌だ。その歌詞の一部を紹介したい。

命はひとつ人生は1回
だから命を捨てないようにネ
あわてるとついフラフラと
御国のためなのと言われるとネ
青くなって しりごみなさい
にげなさい かくれなさい
御国は俺達死んだとて
ずっと後まで残りますよネ
失礼しましたで終わるだけ
命のスペアはありませんよ
青くなって しりごみなさい

にげなさい かくれなさい

 戦前のわが国の歴史を否定して、国のために命を捧げることは馬鹿らしいと歌うのだ。このような反日自虐史観を持っていた私は、大学3年時に交換留学で1年間、韓国の延世大学で学ぶ中で強いカルチャーショックを受けた。いや、より正確に言うと思想的転換を迫られた。

当時の韓国では軍人は大変尊敬されていた。ソウルの街には休暇で部隊を離れている軍服姿の兵士らが多数、目についた。屋台のおばさんらは兵士が店に来ると、国のために苦労していると言ってねぎらいの言葉をかけ、盛りをよくしたり無料で料理を追加したりしていた。

 親しくなった韓国人の友人は私のうちに日の丸がないことを知ってこう語った。

「今の日本人は愛国心がないな。祝日に国旗を掲げるのは国を愛する国民が当たり前にすることだ。最近の新聞記事によると、日本の若者の大多数が戦争になったら逃げると世論調査に答えていた。嘆かわしいな。韓国の若者は違う。俺はもし、日本が独島(竹島のこと)に自衛隊を送ってきたら志願してでも戦うぞ。お前ももっと愛国心を持って日本に帰って自宅に日の丸を掲げろ」

 考えてみれば、韓国は日本の統治時代に当然ながら自国の軍隊を持てなかった。だから、独立後、韓国軍を持ったことが誇りなのだ。また、朝鮮戦争で北朝鮮が奇襲南侵をしてきて、国を失う直前まで追い込まれたから余計、軍の必要性を切実に感じていた。

命をかけて国を守らないと国が亡くなる。だから、世界中の国が自衛のために軍隊を持っている。戦後の日本も自衛隊を持っている。国という共同体を守るために命をかけることは世界の常識だった。そのことに私は韓国に留学して気づいた。

新約聖書に次のような言葉がある。
私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

(エペソ書2章10節)

私たちがこの地上で命を与えられたのは、その命をかけてなすべきことがあるからだ。命はそのために使うものだ。命より大切なものがある、それが私にとっての道徳だ。これが50年近くコリア研究をしてきた私の体験からくる結論だ。
そのことを皆さんと共有したくてこのつたない書物をまとめた。

『わが体験的コリヤ論』