あなたもできるデジタル出版

ピヨ バイブル ミニストリーズ

 

井草晋一

日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY- 編集委員

ピヨ バイブル ミニストリーズ / Piyo ePub Communications  代表
日本メノナイトブレザレン教団 武庫川キリスト教会 協力牧師

 あなたもできるデジタル出版

 ~「第二の宗教改革」の備えとしての「電子書籍とPOD版出版」
   12年の取り組みと今後の可能性~

◎「第7回 日本伝道会議」<分科会 9> 発題  2023年9月20日

<参考記事>  待った無し! キリスト教会の出版革命「電子書籍」

日本発の「第二の宗教改革」 ~南原繁の挑戦を受けて~

私は、1980年4月に 福音聖書神学校(EBS)に入学しましたが、その前年の7月に、大阪キリスト教書店で南原繁著『国家と宗教』を購入しました。

著書の最後、第4章「ナチス世界観と宗教」の後に「補論  カトリシズムとプロテスタンティズム」の論文があり、その中の「六」に記されていた、将来、「日本発の『第二の宗教改革』」が起きるとの預言的な一文が、非常に心に響きました。

 

<参考>

南原繁著『国家と宗教』 p.259-261
「カトリシズムとプロテスタンティズム」
(「国家学会雑誌」昭和18年8~9月号)

・・・・・・

ヨーロッパ世界に教会が発展して来たのには、固有の伝統と歴史的環境を必要とした。いま欧米のごとき何らの歴史と伝統を持たないわが国に必要なことは、それを創りまた模倣することではなくして、ヨーロッパ世界とは異なった出発をなすべきであろう。何か。それは原初にして且つ新たな方法である。すなわち、ひたすらキリスト・イエスの人格において象徴せられるごとき神的絶対理念との結びによって、内面的に更生された新たな人格的関係である。

そうしてそれには、長い歴史を通じ君臣・父子のあいだの絶対的忠信と信従の関係を実践し来たったわが国には、ただに絶対主義的・封建的道徳という以上に、それを超えた、固有の高い道徳的基礎を欠きはしない。かようにして、国民の各個がこの聖なる深き結合関係に入り込み、ついには全体のわが国民的共同体が真の神的生命によって充たされるにいたるまで、神の国の形成は已(や)まないであろう。しかるとき、日本国家の内的基礎は最も鞏固(きょうこ)な永遠の精神と地盤の上に据えられたものとなるであろう。「日本的キリスト教」とは、これ以外のものではないのである。その他に、いかなる現代の宗教運動と宗教哲学からもーーしかり、無の弁証法や神秘的汎神論からも、真に何事をも期待し得ないであろう。

以上のごときは、往々「無教会」主義の名をもって呼ばれるところのものである。それをかくのごとく徹底して提唱した近世思想家は、ヨーロッパにおいてはおそらくキェルケゴールを挙げ得るであろう。彼はニイチェと同じく当時ヨーロッパの宗教界の現状ーーその官能化、政治的権力化と道徳的退廃に反対し、しかし、ニイチェのごとき「超人」の理想ではなく、あくまで神の前に謙虚な「孤独の人」を説いたのであった。わが国において、キェルケゴールの役割をさらに預言者的洞察と情熱とをもって果敢に実践したのは、内村鑑三その人であった。今より約半世紀前、わが国に西洋文明の流行旺盛を極め、キリスト教界また英米教会の糟粕(そうはく)を嘗(な)めつつあった時代に、およそドグマと制度の教会の権威に反対して、敢然(かんぜん)純粋福音主義のために闘ったのは彼であった。だが、彼はしばしば国人に誤解されたごとき個人主義者では決してなかった。筆者の解するところによれば、彼はキェルケゴールのように単に神の前における「孤独の人」を説いたのとは異なり、神の前に真の「日本人」たることを教えたのであって、彼の無教会主義信仰の裏には、燃ゆるがごとき祖国愛が脈うっていた。

キリスト教がわが国体と相容れるか否かは、もはや論議を超えた問題である。それは三谷隆正氏の言えるごとく、 「・・・問題はもはやキリスト教を取るか捨てるかではなくて、これをいかに摂取するかである」。日本民族は、これまで世界的宗教たる仏教を摂取して、勝(すぐ)れて日本的なものに創り上げたのであった。近世の初め、ローマ的=ラテン的キリストから独立して、第一の宗教改革を断行したものは、ゲルマン的ドイツ民族であった。これによって人類に普遍的なキリスト教共同の使命を保持したと同時に、古代のドイツ人が嘗(な)めて受け容れたものの中から異質的なものを排除することによって、よくドイツ的キリスト教を完成したのであった。

同様のことが、将来第二の宗教改革として、東洋の日本民族によって遂行し得られないと、誰が断言し得るであろうか。否、その礎石はすでに築かれたと見ていい。それは第一の宗教改革が原始キリスト教を再現しようとしてできなかった原因を芟除(さんじょ)するものでなければならない。そうして、それが何よりも「教会」を問題とするものであることは、上に述べ来ったところによって、もはや明白であるであろう。日本が将来、世界の精神界に寄与し得る大なる一つの道は、この本来東洋的にして世界的なキリスト教の東洋的還元と日本化にあると思われる。そして、そのことが完成せられる暁に、それを核心として、新たな意義において世界的なる新日本文化の展開を期待する者は、ひとりわれわれのみであろうか。

南原繁著『国家と宗教』p.259-261 「カトリシズムとプロテスタンティズム」

(「国家学会雑誌」昭和18年8~9月号)
昭和17年11月27日 第一刷 発行/昭和50年10月30日 第五刷 発行
(アンダーラインは、著者による)

< 2015-0924    文書作成:井草晋一 >

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それ以来、神学生時代も、地域教会の専任牧師(32年)としての働きの中で、また、その後 2015年4月の伝道団体(ピヨ バイブル ミニストリーズ)設立に伴う牧師・伝道者としての働き、さらに、キリスト教文書の新たな出版事業(Piyo ePub Comminications)を進める中で、「日本発の『第二の宗教改革』」実現を確信し、多少なりとも貢献したいとの思いを新たにしています。

<参考1>『南原繁と短歌』 南原繁研究会(2023年1月 例会にて)>
<参考2>『第二の宗教改革』 メノナイト協議会 機関誌 「かけはし」1994年1月31日>

 

1.「南原繁シンポジウム」と「南原繁研究会」への参加と「第二の宗教改革」実現への研鑽 

毎年、11/3(祝日)、東京の学士会館で開催されている「南原繁シンポジウム」に、2015年から毎年参加するようになり、2019年に「南原繁研究会」に入会。現在、毎月の例会に Zoom で参加中。

(コロナ禍の 2020年から、Zoomで参加できることは、幸いでした。)

南原は、『国家と宗教』の著書「補論 カトリシズムとプロテスタンティズム」(「国家学会雑誌、昭和18年8-9月号」)の中で、「将来、日本発の「第二の宗教改革」がなされる。それは、何よりも「教会」を問題とするものである、・・・」と述べている。(上述、参照)

神学校の卒業論文(1983年3月卒業)は、「第二の宗教改革」というタイトルで、渡瀬モデルをベースに「教会組織の研究」をまとめました。

後日、MB教団の按手礼(1994年11月)を受けるにあたっての按手礼論文は、これらに加えて、第二部として「再洗礼派の歴史」をテーマにしました。

いよいよ、<社会的アプローチ>、<歴史的アプローチ>を踏まえた中での、第三部「新約時代の教会形成」をテーマに、<聖書的アプローチ>をまとめていきたいと思います。

本当は、「21世紀の教会形成」への提言の予定でしたが、早くも、21世紀も、もうすぐ四半世紀!、しかし、取り組みに遅いことはないのかもしれません。

「コロナ後の教会形成」というサブタイトルも良いかと思う昨今です。 

 

2. 第二のグーテンベルク出版革命


16世紀の『第一の宗教改革』は、グーテンベルクの出版革命(活版印刷の発明)がその技術的土台にある。

同様に、『第二の宗教改革』の備えとして、21世紀の「電子書籍」と「POD版(プリント・オンデマンド)」出版と AI翻訳による日本語からの多言語出版が、まさに、技術的土台と言えましょう。

日本からの世界への発信は、日本語の特殊性(世界で、最も習得に時間がかかる言語)と、長年にわたる外国語の習得方法の問題点の故に、英語での発信や出版にハードルが高い。(翻訳コスト、出版コストがかかる)

また、誰でも電子書籍による出版が可能となった 2010年(iPad の発売)前は、出版については、「出版社」が独占していた状況であり、個人が書籍を執筆し、印刷・製本し、流通ルートに乗せることは、ほぼ絶望的か、あるいは、自費出版として試みても、その冊数や費用、流通期間などの制約が大きかった。 

<私自身の取り組み

*展示中の POD版書籍(Amazon にて販売中)、ご覧ください。

・2010年5月に、Apple の iPad が発売され、本が PCやiPad  で電子書籍の形で読めるとのことを知り、同年6月に「Sigil」のソフト(無料)で、電子書籍の制作に取り組み、「ePubs.jp」のサイトと、個人のホームページ「ペーター・プーの電子書籍」で無料出版を始めました。

・2011年8月31日、Apple の iWork(マイクロソフトの Office  のようなソフト)のバージョンアップに伴い、Pages から直接に ePubファイルが書き出せるようになった。さっそく、動画入りの電子書籍を作成し、自らのHPなどで出版。 iBookで読む。

・2011年10月5日    Piyo ePub Communications  創立

・2012年7月   東京ビックサイトでの「国際電子出版フォーラム」(IDPF)に参加。
その後毎年、2014年まで「東京国際ブックフェア」の研修会などに参加。

2012年7月 「国際電子出版フォーラム」(IDPF)

・2016年8月、Amazon から電子書籍「キンポーデンの心のハチミツ(No.1)」を出版

・2018年12月  でんでんコンバーター」の「マークダウン方式」によるデータの作成と  ePub ファイルへの書き出しで、最初の縦書きPOD版『剣と兜』を Amazon Kindle ストアから出版

・2019年3月29日 Pagesが縦書きのEPUB書き出しにも対応したので、Pagesで電子書籍とPOD版を発行する。

・2023年1月、国際図書コード(ISBN)取得。

・5月、「電子書籍」50冊、「POD版」34冊を発売中。 AI翻訳(TexTra、DeepL、他)による英語出版を準備中。AI編集・校正(ChatGPT、他)の活用も検討中。

・9月現在、「オーディオブック」の出版を準備中。

・・・・・

今でも鮮明に思い出すのは、2012年7月  、東京ビックサイトでの「国際電子出版フォーラム」(IDPF)に参加した時のことです。
7/4(水)の午後の講演会<カンファレンス(3)>の冒頭で、田代 豊 氏 〈(株)集英社 デジタル事業部 部長代理]〉が、「グーテンベルクにより最初に聖書が印刷され聖書が家で読めるようになり、その結果、宗教改革につながり社会の大変革が起きましたが、同様の変化が、今、起きていることを痛感しています。」と「Conference 3」の冒頭で触れておられました。

まさに、私自身が考えていたことでもあり、「第二の宗教改革」の備えとしての「第二のグーテンベルクの出版革命」、すなわち、「電子書籍」出版の大きな可能性を覚え、あらためて思い(志し・ビジョン)を新たにしました。

 

3. キリスト教書籍の出版事業とその困難さを見聞きし、実体験する

1980~ ルツ・ウィンズ宣教師(EBSキリスト教教育 主任教授)の「教会教育推進会」(CEM)の分級別教案(スクリプチャー・プレス/後の、クック・コミュニケーションズ の版権に基づく日本の教案)の制作、発行、販売、および、教会学校教師研修会などに関わる。日本全国の教会に販売。 

教師研修を進めるための超教派の牧師たちの団体、「チャーチ・エデュケーターズ」(CE’S)のメンバーとして奉仕。(大橋秀夫、徳本篤、清水昭三、吉木裕、増田博、井草晋一、ほか、二十数名)

MB教団の教会学校委員会として、CEMの  小学上級科教案「ジャンプ」の改訂(編集長)、

同、高校科教案「Hight School」新規制作・出版(編集長)に携わる。

しかし、「分級別カリキュラム」に基づく分級別教案は、各年代の発達段階に即しての内容で理想的だが、在庫問題(資金ショート)が常に生じる。

1970年後半に、分級別教案を発行していた「日曜学校助成協会」が倒産し、いのちのことば社に吸収合併される。当時のいのちのことば社のケネス・マクビティ宣教師の方針に基づき、日曜学校助成協会の分級別教案を廃して、統一カリキュラム(同じ日に、全ての年代の分級が、同じ聖書の箇所から学ぶ)に基づく「成長」の教案を出版することになり、現在まで続いている。

「成長」は、その季節だけでの「出し切り」教案なので、在庫を抱えなくて済むことは、日本のキリスト教界という「小さい」マーケットには、経済効率から考えると、適している面がある。しかし、子どもたちや青少年の発達段階との関係では、どうしても「信仰的、実際的」に足らなさを覚える。

<CEMの分級別教案> 

幼稚科 (「きょうかいがっこう」2年間/生徒用8冊、教師用8冊)
同 (改訂版 「スタート」)
小学下級:「ホップ」2年間/生徒用8冊、教師用8冊)
小学中級:「ステップ」2年間/生徒用8冊、教師用8冊)
小学上級:「ジャンプ」2年間/生徒用8冊、教師用8冊)
同(改訂版「ジャンプ」2年間/生徒用4冊、教師用4冊)
中学科 (「ジュニアーズ・ナウ」3年間/生徒用6冊、教師用6冊)
高校科 (「Hight School」3年間/生徒用6冊、教師用6冊)
 同  『RooTs』(新規出版・新カリキュラム:電子書籍/POD版)
(3年間/生徒用6冊、教師用6冊)

他、成人科 教案(創世記、マタイの福音書、エペソ人への手紙、他)

2019年に MB教団 教会学校委員会からの依頼を受けて、書籍と CDデータで出版していた『RooTs』を電子書籍とPOD版で出版する。

電子書籍は、2020年に出版。POD版は、2023年3月に出版。

なお、2020年3月、「教会教育推進会」は、40年の働きを終えて解散しました。

書籍(印刷本)としては、どのような書籍であっても、出版社や著者としては全く在庫なし(在庫を持たない)としてのPOD版出版で、対応できる時代が到来!

もちろん「電子書籍」や「オーディオブック」での出版も。

 

4. 教会の組織とリーダーシップ ~教会共同体のあり方と指導者の資質と働き~ 

私は大阪府大の経済学部で、1974年に渡瀬浩教授の『労務管理論』を受講しました。(渡瀬教授はその後、京大教授に)

毎回の授業では、手書き原稿を教授室の助手の方?が輪転機で印刷した資料(授業原稿)が配布されました。

渡瀬教授の「HO-SO」(ハードオーガナイゼイションとソフトオーガナイゼイション)の組織体の分析と、集団優位の「加重的二重構造論」による講義がとても興味深く思え、私は、全ての資料を綴じて、一冊の本にしていました。

・・しかし、7年ほど前に20年間のキャンプ場生活(能勢川バイブルキャンプの中の能勢川キリスト教会
牧師の時代)の湿気の問題で、他の蔵書とともに処分・・・

2022年11月、あらためてこの時の講義の内容の本を探していたところ、Amazon の古書で、渡瀬浩教授の著書『権力統制と合意形成 ~組織の一般理論~』(1981年発行)を見つけたので、早速注文。届いた本の内容を見ると、学生時代の講義内容(上述の写真)そのものでした。

今まで、いくつかの古書を購入しましたが、この度の本が一番嬉しく思いました。

https://amzn.to/3OLOuGG 

写真の p.101、102 は、南原繁が昭和18年に提唱した、<将来、日本発となる>『第二の宗教改革』における、もっとも重要な、集団優位の「加重的二重構造論」による教会組織の分析と、提言となる箇所です。

 

5. 日本初の『第二の宗教改革』の課題と提言

21世紀の日本、および世界の教会の課題とは、「共同体」のあり方「Our Goal」の確信と共有「弟子のたちの姿」に人々が感銘を受けるようになる、です。

その意味で、南原が言う「将来、日本発の「第二の宗教改革」がなされる。それは、何よりも「教会」を問題とするものである、・・・」は、まさに!と思わされます。

第1:渡瀬浩教授の「加重的二重構造論」から見る組織体(SO)としての「教会」の変革 

「組織-O」と「集団-G」からなる、「集団優位」の SO型(ソフト・オーガニゼーション)
の組織体の中でも、エルサレム教会やパウロたちが集っていたアンテオケ教会に見る SO-2型の教会。かたや、これと比較すると、時代とともに大きくなり、水増しされ(アイドル化・無為化)、SO-1型に陥っている現代の教会( SO-1型)。
今、「教会」の SO-2型 への復帰が求められます。

第2:「FACTモデル」による 教会形成 (1993年に提唱、按手礼論文、他)
F:ファミリー(家庭、家々で)  ―->  FC(ファミリー・チャーチ)に発展

  A:エリア(地域教会)  ――――>  AC(エリアチャーチ:地域教会)
C:センター(中央、中心) ―――>  CC (センター・チャーチ:機能的な側面、収容人数)
   T:トータル(総合的、包括的) ―>  TC 「〇〇にある教会」の呼称のような、トータル・

チャーチの形成が重要。

第3:「Our Goal 」の確信
「教会」、「神の家族」「信仰共同体」としてのゴールが、すべての構成員(教会のメンバー)にとって、「Our Goal」となっているのか、あるいは、「his goal」なのか、「His Goal」の理解で終わっているのか、それとも「Our Goal 」「my goal」としての確信を持っているのか?
そのためには、礼拝と交わり、また、何よりも「家々での聖書の学び」「グループ聖書研究」での インダクティブ・バイブルスタディ(帰納的聖書研究)の必要性、重要性がある。
世界軍人キリスト者の会(日本:コルネリオ会)では、限られたごくわずかの時間でも、数名の者たちがこの「インダクティブ・バイブルスタディー」で聖書を学びあい、共に祈り合っています。

使徒の働き
2:40  ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
41  彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
42  彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
43  すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。
44  信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、
45  財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。
46  そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
47  神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。

第4:「弟子のたちの姿」が感銘を与える

終わりの時代における日本のリバイバル、また、「日本発の『第二の宗教改革』」実現の鍵は、「弟子たちの姿」にあると言えましょう。歴史的、文化的に「姿」を見、また、重んじる日本人は、一言で言い表すと「武士道的精神」と呼ばれるような精神性、また、土壌を背景として生きてきたと言えます。そこに、キリストの姿を見、またキリストに倣うものとなった日本人キリスト者は、自らの身をもってキリストを現し、証しするという祝福の道が与えられています。

キリストの姿に倣い、身をもって、その「姿」を表していく者たちとされたいと思わされます。

使徒の働き
5:12
  さて、使徒たちの手により、多くのしるしと不思議が人々の間で行われた。皆は心を一つにしてソロモンの回廊にいた。
13  ほかの人たちはだれもあえて彼らの仲間に加わろうとはしなかったが、民は彼らを尊敬していた。
14  そして、主を信じる者たちはますます増え、男も女も大勢になった。

1コリント 11:1  私がキリストに倣う者であるように、あなたがたも私に倣う者でありなさい。

ヘブル 13:7  神のことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、覚えていなさい。彼らの生き方から生まれたものをよく見て、その信仰に倣いなさい。

 

『日本発の「第二の宗教改革」 ~南原繁の挑戦を受けて~』
・「第7回 日本伝道会議」<分科会 9> 発題  2023年9月20日
・福音主義神学会(西部部会)発題  2023年 5月22日
・SALTY神戸宣教会議 発題  20234年4月10日

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<参考1>『南原繁と短歌』 南原繁研究会(2023年1月 例会にて)>

南原繁と短歌

井草晋一   南原繁研究会 会員/武庫川キリスト教会 協力牧師

「ちぬの海・武庫川短歌会」主催者

1980年に福音聖書神学校に入学する一年前、大阪キリスト教書店で南原繁著の『国家と宗教』を購入し、そこに記されていた、<来るべき日に、日本発の「第二の宗教改革」が始まる>との南原の預言者的な挑戦が心に響きました。

それから月日が経つ中で、2015年より、学士会館で開催されている「南原繁シンポジウム」に参加するようになり、2019年に南原繁研究会に入会しました。

昨年の11月3日に開催された『第19回 南原繁シンポジウム』では、オンラインで参加。基調講演 (1) では、保阪正康先生が、南原繁と和歌のことも言及され、「昭和10年代の和歌『形相』には、自らの心情が吐露されている・・・。」と語られていました。 私自身は、南原の政治学上の論説、日常生活、キリスト者としての信仰など、「短歌」から本質に迫るのも一案かも?、と思わされ、講演を聞きながら早速、Amazon で発注したのです。 翌日、注文していた南原繁の短歌集「形相」が届きました。昭和11年~20年の「自選歌」なので、折々の南原の思うところ、世相と心情、その信仰が、そのまま表わされているように感じました。

かの日には聖きと知慧と真実を求めあへぎつつ死にしと記せ  (昭和14年 春愁 p.84)

我が庭の椎の根方に蕗の薹いくつか萌え出て春は来りぬ  (昭和15年 立春 p.101)

かなしみの極みにありて風を静め湖を歩み給ひしイエスを信ぜむとす (昭和16年 母逝く p.127)
われ五十になれる今日まで吾を愛しみいつくしみつつ死に給ひし母  (同、p.129)

独蘇戦五週に入りぬ黄に熟るるウクライナの麦刈り入れつらむか (昭和16年  独ソ開戦  p.133)

ひとたまりもなく陥落むといへりしキエフだにたもちて独蘇戦八週に入りぬ

民族は運命共同体という学説身にしみてわれら諾はむか  (同、十二月八日  p.140)

たゆたひつつ一年われの書きて来しナチス論文けふ脱稿す  (昭和17年 春闌く p.149)

天地のめぐみのままに生まれけるわが愛し孫のいのちをしぞ思う (同、誕生 p.155)

亡き友のいのちつくして書きにける幸福論を校正す吾は (昭和19年  三谷隆正君を憶ふ  p.182)

美しきものはわが見て善きものは読みてぞ置かむ明日は死すとも (昭和20年 焦土 p.220)

 

昭和23年3月の初版発行から20年後、復刊の「まえがき」で南原は次のように記しています。

「『形相』の後、発表したもの、また、未発表のものも若干あるけれども、この『形相』一巻をもって生涯の歌集としたい。私は、自分の専攻する学問もさることながら、それほど この時代は短歌によって生きていたと言っていい。・・・」

昭和20年以降の学究や戦後日本の土台を据えるという大いなる貢献ではなく、なぜこの10年間の短歌をもって自らの生涯の結び、集大成としての「生涯の歌集」と言い切ったのでしょう。

それは、偏に、この困難な時代を生きる中で「悲しみの人」を知り、自らもそのように生きたからではないでしょうか。「形相」の歌の全体を流れる情景、思い、心とは、自らの母の死や生涯の友三谷隆正の死を悼んだ「三谷隆正君を憶ふ」の85首の短歌だけではなく、愛する人々との出会いと別れ、また、日本と世界の人々の「悲しみ」そのもの歌であったと思えてなりません。

南原が詠んだ短歌『形相』を読む私たちは、そこから何を、また、どのような「人の姿」を見出すのでしょうか。

(2023年1月23日(月)  「南原繁研究会」(例会 Zoom)「形相」読書会 にて発表)

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<参考2>『第二の宗教改革』 メノナイト協議会 機関誌 「かけはし」1994年1月31日>

第二の宗教改革_1994-0131_「かけはし」

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