事実を無視する韓国の戦時労働裁判 −西岡力−

 

 

西岡 力
「救う会」:北朝鮮に拉致された日本人を救出する全国協議会 会長
日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY- 主筆
国基研企画委員・麗澤大学客員教授

事実を無視する韓国の戦時労働裁判


安倍晋三首相は11月1日の衆院予算委員会で、韓国最高裁判決が新日鉄住金に戦時労働の賠償を払うように命じた4人の原告について、「政府としては『徴用工』という表現ではなく、『旧朝鮮半島出身の労働者』と言っている。4人はいずれも『募集』に応じたものだ」と答弁した。日韓のマスコミが使い続けている「徴用工」という表現を首相が否定したのだ。

●「徴用工」でない原告

 実は私はその日の産経新聞朝刊で同じ指摘をしていた。事情を知らない読者のために、4人の渡日経緯をここで紹介する。

原告1 と原告2  1943年9月に平壌で日本製鉄(新日鉄住金の前身)が出した工員募集広告を見て応募し、面接試験に合格。募集担当者の引率で渡日し、大阪製鉄所の訓練工となる。

原告3 1941年、大田(テジョン)市長の推薦で勤労奉仕の「報国隊」に入り、日本製鉄募集担当者の引率により渡日。釜石製鉄所の工員となる。

原告4 1943年1月、群山府(現在の群山市)の指示を受けて募集に応じ、日本製鉄募集担当者の引率で渡日。八幡製鉄所工員となる。

 朝鮮半島での戦時労働動員には3形態があった。1939~41年に民間企業の募集担当者が朝鮮に渡り、実施した「募集」、42年から44年9月まで朝鮮総督府が各市・郡などに動員数を割り当て、行政の責任で民間企業に引き渡した「官斡旋」、国民徴用令に基づき、44年9月から45年3月ごろまで発動した「徴用」である。44年9月以前に渡日した原告4人は断じて徴用工ではないのだ。

三つの動員形態とも動員先は民間企業で、期限契約による賃労働だった。待遇は総体的に良かった。ある徴用工は月給140円をもらっていた。ちなみに当時の巡査の初任給は45円、上等兵以下の兵士の平均俸給は月10円弱、少尉でも70円だった。(詳しくは『歴史認識問題研究』第2号、3号の拙稿参照)


● 「奴隷労働」の誤解を跳ね返せ

 判決はそれを「日本企業の反人道的不法行為」だと決めつけた。ところが日本では、政府も、多くのマスコミや識者も、その事実認識が間違っていることを批判しない。それどころか、安倍首相の答弁後も「徴用工」という事実に反する言葉が独り歩きしている。

このままでは、「過酷な強制労働をさせたことは事実だが、日韓はそれへの補償が1965年の協定で終わっているのかどうかで争っている」という間違った認識が国際社会に定着しかねない。すでに一部の米有力紙が「スレーブ・レーバー」(奴隷労働)という語を使っている。

繰り返し主張するが、日本の官民が協力して予算と人を十分投入し、国際社会に戦時労働動員と日韓戦後処理の真実を広報しなければならない。そのための公的研究機関を先ず作るべきだ。(了)