『その時に備えて』に備えて(1) 信徒に罪を犯させるな! − 田口 望 −

田口望
田口望

 

 

 

 

田口 望
大東キリストチャペル 教役者
大阪聖書学院 常勤講師
日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY- 論説委員

『その時に備えて』が教会に頒布されることに備えよう

昨年11月に「その時に備えて」と題して日本福音同盟社会委員会から、本年5月に行われる天皇の御代替わりについて考える小冊子が出版されました。

 しかしながら、この冊子には多くの行き過ぎ、偏り、非キリスト教的な思想を内包するため、教会に分裂をもたらし、教会を離れる人も出てくるのではと私は考えています。そこで、この冊子に対する応答として、オピニオンサイト ソルティーに緊急連続寄稿をすることといたしました。
 事態は急を要すると私は考えます。なぜなら、

この冊子は、はしがきこそ「天皇制擁護派と批判派の対話」を訴えているように装っているのですが、その構成は、反天皇制一色であり、「天皇制を容認することはモーセの十戒の第一戒めに違反する!」と言う主旨の大変ショッキングな文言もあります。

 この冊子が全国の諸教会で配られ、牧師が「信教の自由を守る集会」と称して、内実「天皇制反対!」などといいだした時、一体どれだけのキリスト者がその同調圧力に屈せずにおれるでしょうか?この冊子に、あるいは活動に執心する牧師に対して、それまで良心に従って皇室を崇敬していた一般のキリスト者のうち一体何割の人が、神学的にその行き過ぎや過ちに反論することが出来るでしょうか?
 おそらく、皇室を敬愛する多くの一般のキリスト者はこの冊子によって、聖書によらずに罪に定められ、不必要に良心に呵責を感じることが考えられます。
 また、「日本福音同盟社会委員会」という権威ある機関から活字となって発行されたこの冊子と、左傾化した一部教職者からの同調圧力によって、多くの一般信徒のクリスチャンも良心に反して不承不承に天皇制反対の運動に加担させられることがあるとすればそれもまた悲劇です。

良心を麻痺させることを唆(そそのか)してはならない!

 新約聖書ローマ書14章22~23節には確信を持たずに疑いながら行うことは罪だと言明します。天皇制反対であれ、天皇制擁護であれ、良心を麻痺させること自体を神様は嫌われます。

 私の執筆の主旨は、御代替わりのある本年、この冊子によって、罪でもないもの罪ではないかと悩んだり、天皇制反対に与することは不敬だと感じながら周りの圧力に屈してその様な集会に動員させられる等の行為から日本中のキリスト者を守るためです。また、多くの求道者が副次的なことである政治信条がためにキリストを主と告白することに二の足を踏むことがないように、との意図をもって寄稿することまず最初にご理解願います。
 私が、寄稿するのは自身の政治信条からではなく、一キリスト者として信仰心からであり、キリストの福音を守らんがため、信徒を守らんがため、教会の分裂を防がんがためです。教職者たるもの信徒に罪を犯させるな、その一心からの緊急寄稿でございます。
 神学的素養がない、一般信徒がこの冊子がために良心に反する行いを教会で強いられそうになったとき、「福音派の教職者の中でもこういう意見もありますけど」一言添えて、反天皇制の集会主催者に拙文を差し出すだけでも、天皇制反対に与しない一般のキリスト者の信仰的立場は幾分でも守られるでしょう。そうして一人の信徒でも救われるなら、一人の求道者の入信至る障壁を取り除けるなら、私にとってそれ以上の幸いはありません。

 

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