訪韓した牧師たちの行動は、今、正しいことなのか?(三・一運動と提岩里事件から100年) − 井草晋一 −

*写真:タプコル公園(パゴダ公園)の「三・一運動」のレリーフ
(Wikipedia より)

 

 

 

 

井草晋一SALTY 編集長
・ピヨ バイブル ミニストリーズ 代表
・Piyo ePub Communications 代表

訪韓した牧師たちの行動は、今、正しいことなのか?(三・一運動と提岩里事件から100年)

 

・日本のキリスト教徒17人が韓国・提岩里訪問 「過去の侵奪を謝罪」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190227-00000053-yonh-kr

このタイトルの記事は、2月27日(水)に、Yahoo のWEBに掲載されている【華城聯合ニュース】の記事です。

「華城聯合ニュース」によると、
韓国・ソウル近郊、京畿道華城市の提岩里の教会で1919年4月15日、日本の陸軍(12名)により20人余りが殺害された事件が起きてから100年になるのに合わせ、日韓親善宣教協力会所属のキリスト教徒17人からなる「謝罪団」が27日に提岩里の三・一運動殉国記念館を訪れ、その後、提岩教会の礼拝堂で「日本の過去の侵奪を深く謝罪します」などと書いた横断幕を掲げ、床にひざまずいて謝罪した、とのことです。

 

今回の尾山令仁先生の「謝罪行動」の問題点

 日本のキリスト教会における尾山令二先生のお働きや先生ご自身に対しては、青年時代から敬意を払っておりますが、この「謝罪」のお考えや行動は、違っているのではないかと考えます。

 日韓関係が非常に微妙で、時に険悪となっているこの時期に、このような形で行動されることは、尾山先生の思いとは裏腹に、真の意味での日韓の関係回復と「平和」には程遠い状況を作り出してしまうことになります。

 このような「謝罪」活動は、当初、尾山先生の「提岩里事件」に対する個人的な謝罪の思いから始まったことで、1967年には、提岩教会の礼拝堂再建のために、1000万円の献金を携えて赴かれました。
 しかし、昨今の「慰安婦問題」、「徴用工問題」、「日本の哨戒機に対する攻撃用レーダーの発射」、「韓国国会議長による昭和天皇をあたかも戦犯扱いするような、現天皇陛下に対する謝罪要求の言動」、など、全ての領域に対して糾弾し謝罪を求めるという現在の韓国の文政権や韓国内の風潮、言動にに対して、火に油をそそぐことになり、様々な形で利用されてしまうことになります。
 

 日韓の歴史的経緯を客観的にまた、冷静に見つめている韓国の歴史学者や保守派の人々、また、その時々の朝鮮半島情勢や政権の意向を踏まえて、北朝鮮に対して厳しい対応をとってきた、当時の韓国政府高官や韓国軍の将軍、将官のOBでさえも、自国の「行き過ぎ」に対して声を上げにくくなっているのではないかと、危惧しています。

私は、このような意味合いにおいて、今回の尾山先生をはじめとする「提岩里」訪問と、報道されたような「謝罪」行動は、違っている、誤っていると思うのです。

 
 以下は、3月1日の朝、心に感じ、あらためて考えさせられる中で書いた一文ですが、以下に記させていただきます。
 

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「EXPLO’74」での体験

 
 確か、1974年(大学二年)の時の「EXPLO’74(エクスプロ ’74)」(国際キャンパスクルセード、韓国の全プロテスタントの教団・教派の合同による開催)の韓国での「大宣教大会」の時だったと思います。
 
 会場の永楽教会の礼拝堂での集会の時に、日本の牧師たちの指導と促しで、礼拝堂のベンチに後ろ向きに座ったり、ベンチの下に後ろ向きに座って、ベンチに手を乗せる形で「跪いての謝罪と悔い改めの祈り」を一斉にしたことがありました。
日本から、200名くらいの大学生も参加していました。
 
おそらく、当時、尾山先生のような考えを持つ牧師たちも福音派の中には多かったのでしょう。
 
 洗礼を受けて一年目くらいで、十分に現代史における日本と韓国の戦前、戦中、戦後の歴史的な事実を把握する、遥か以前の時だったので、指導的な牧師たちの促しと言うことで、そのまま受け止めたのが日本から大会に参加した大勢の日本人クリスチャンや大学生たちだったと思わされます。
「床に後ろ向きに跪いての祈り?」=見方によっては「土下座の謝罪?」ということで、今、振り返ると「残念」なことでした。
 

 大学生時代の「EXPLO’74」における私のこの日の体験は、人や特定のグループに対して膝まずいたのではないことは、幸いでしたが、「謝罪」の意味合いがこもってのこととなると、少し、微妙だったと今でも思います。

 あの当時(1970年代)には、歴史的事実(韓国併合下の国民学校の教育、インフラ整備、経済的投資、韓国語及び日本語教育の進展、治安・行政・教育における韓国の人々の就職(就任)など、今の時よりも「実体験」されていた牧師や人々(日本、韓国の)も多かったと思うのですが・・・。
(終戦時、20歳でしたら、「EXPLO ’74」の時には、50歳)
「なぜなのか?」の疑問は、今も残っています。
 
 ただ、「漢江の奇跡」の時代、日本からの膨大な経済援助がなされていた時期でもあり、日本と韓国、及び、相互の人々との関係ははるかに良かったと思います。

今回の謝罪行動の問題点とその課題

〜「糾弾する側」と「謝罪し続ける側」の固定化〜

「華城聯合ニュース」の報道の「動画」の中で、尾山牧師は、「私は、何度も謝罪しています」と語られています。
100年前の事件を糾弾する人がいる限り、謝罪し続けるのでしょうか?

ここでの問題点は、常に「糾弾する側」と「謝罪し続ける側」を固定化させていくという点です。
そこには、真摯に歴史に向き合うことも、客観的な歴史的事実に対して、お互いに向き合う努力を放棄させます。
と同時に、常にこの構図を維持させるために「新たな事例(例えそれが真実でなくても)」を次々と持ち出させることにつながります。
近年の「慰安婦問題」「徴用工問題」「航空自衛隊の哨戒機に対する攻撃用レーダー(ビーム)の照射問題での謝罪すべき事柄(立場)の逆転的論理展開」、また「昭和天皇を戦犯者扱いするに等しい、韓国の国会議長からの謝罪要求」などなど。


・互いの関係回復の努力を損なっていく

 1970年代中頃に、カナダの一地域やアメリカで始まった紛争解決の方法、すなわち、「被害者・加害者の和解プログラム(VORP)」や様々な類似的な方法では、その中心的な事柄、鍵となる考え方、思想は、「愛をもって真理を語り」「尊敬をもって互いに人を自分よりも優れたものと思う」の二点です。
これらは、聖書の教えそのものであり、21世紀の現在では、数千、数万?の大小様々な「平和的紛争解決」、「平和構築の働き」として進められています。
「糾弾する側」と「謝罪し続ける側」の固定化は、これらの努力を一切放棄させるものであり、相互の愛も、真理や真実を見つめることも、互いに尊敬を払うことも、相互にへりくだることも、はるかかなたに追いやってしまうものです。

これは、どんなに「キリスト者」であると自他共に表明し、日本、韓国のキリスト教会に所属し、何らかの社会的、政治的な影響を与え、よき貢献をしようとしても、全くその実が見えてこないことになります。
なぜなら、自明のことですが、クリスチャン、キリスト者が信じ慕っているイエス・キリストのお姿とは程遠いところに自らの身を置いているからです。

そのことを考えると、今回の【華城聯合ニュース】の記事で報道されている内容、特定の人々やメディアの前での尾山先生たちの謝罪行動は、問題があると言わざるをえません。 また同時に、このような行動を「当然だ」と内心思っている韓国の皆さんや日本のキリスト者の方々も、同様なのではないでしょうか?


・立場を逆転させようとする思いや行動を起こさせてしまう

<「糾弾する側」と「謝罪し続ける側」の固定化>の問題点は、「謝罪し続ける側」すなわち、常に「糾弾され続ける側」にとっては、あまりにも長期に渡ると、それを逆転させようとする思いや行動、力が働き出します。
それによって、直面させられていることがらとは、時代的にも、状況も全く異なる<題材・話題>が取り上げられてきます。
 このことによって、時に、<「糾弾する側」と「謝罪し続ける側」の逆転 >が意図されたり、生じてくることにより、さらに相互理解や関係回復の道が閉ざされ、新たな「火種」となって、さらに複雑で困難な状況に根本的な問題解決を押しやってしまうことになるのです。


日本人、また、日本のキリスト者が『別の道』を選択していく可能性

 もし、韓国の教会のキリスト者や・指導者が、そして日本のキリスト教会の一部の指導的立場の方々の中で、この<「糾弾する側」と「謝罪し続ける側」の固定化 > の問題点に気づくことも対応することもなく、また、いささかも声を上げる者がないとするならば、・・・・。
戦後の日本と韓国の政府間の良好だったと思える時期や、キリスト者としての今までの良き関係と交流があったとしても、日本の国民や日本のキリスト者は『別の道』を選択して行かざるを得ないでしょう。

それは、日韓という同盟関係、重要なパートナー、同労者としてのあり方から、福沢諭吉がかつて語っていた『脱亜論』、あらためて現代風に言えば『隣国謝絶論』への「日本国民」、および「日本のキリスト教会」としての『転換』ということになります。

*『脱亜論』から『隣国謝絶論』へ   —– 近日中に「SALTY」にアップされる記事をご参照ください。

もしかすると、日本の、また、日本人の同胞へのキリスト教の宣教は、この『隣国謝絶論』を踏まえた日本人キリスト者による新たな挑戦こそ、実を結んでいく道なのではないか?と、切に思わされます。


日本人キリスト者としての私自身の思い

近現代史、すなわち、明治維新以後における日本、日本民族として歩んできた「功罪相伴った歴史的事実」を直視し、その誇りとすべき事柄とともに、その非とされる事柄もしっかりと受け止めていきたいと願います。
そして、これらのことを象徴的に担って来た日本の「国旗(日の丸)」と「国歌(君が代)」を大切に受け止めていきたいと、あらためて思わされます。

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*最後に、いくつかの記憶に残る訪韓時の体験を記させていただきます。

 堤岩里教会は、二回ほど訪れています。
播州地区の牧師会のツアーと日韓宣教協力会の牧師のツアーで。
もしかすると、一回は、学生時代だったのかもしれません・・・。
と同時に、「独立記念館」での体験と、38度線の休戦ライン直下の「北朝鮮が韓国侵攻のために掘った<地下トンネル>」の内部の視察が心に残っています。
 この二つの事柄が、まさに、現在起こっている「日韓問題」「北朝鮮問題」が複雑に絡み合ってきている「原点」「象徴」そのものであるように感じられます。
 
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「独立記念館」見学で感じたこと
 1986年〜1995年の9年間、加古川市にある土山キリスト教会で、牧師をしていた時でしたが、「播州地区宣教協力会」という、姫路を中心とした播州地区のキリスト教伝道や「市民クリスマス」などの諸集会で協力している教会の牧師たちの集いがありました。

ある時、1990年代のはじめ頃でしたが、有志による韓国ツアー(地域教会の訪問やキリスト教に関係する史跡などの見学)が計画され、参加した私たちは「独立記念館」にも訪れました。
各種の蝋人形や拷問の道具(特に、長い将棋型の狭い棺桶のような箱の内側に、「針千本」のような釘がたくさん打ち込んであるもの)など、日本ではキリシタンの時代にさえも見たことがないようなものがたくさんあり、極めて疑問に思いました。
 この時のツアーのいくつかの視察ポイントの観光などコーディネートしてくださった大韓教会の先生は、その意味すること(反日的、虚偽?)などわかっておられるためか、独立記念館では、終始、無言であったことが、今でも印象深く思い起こされます。
  

 この時は、政府の高官ともコンタクトのあるこの大韓教会の先生の取り計らいで、38度線(休戦ライン)直下の北朝鮮が掘ってきて、韓国軍によって発見された「地下トンネル」の内部を見学できたのは、幸いでした。

まさに、国連軍と北朝鮮軍が<休戦中>の只中、、韓国軍の非常に緊張感のある周辺の警備の中での視察でした。

 ・・・・・・・
  

一日も早く、相互の冷静な歴史認識に基づく日韓の正常な関係が再構築されるようにと願っています。
そして、歴史的事実を厳正に考察する中で、今も、本当は緊迫した現実の中にある「朝鮮半島情勢」であるということに対して、祈りの心をもって受けとめていきたいと念願いたします。

●キリストの平和(シャローム)がすべての人々に訪れますように!!