キリスト教界の反日的な傾向(1)~その原因を探る~ −中川晴久−

 

 

 中川晴久
東京キリスト教神学研究所幹事
主の羊クリスチャン教会牧師
SALTY-論説委員

 

キリスト教界からなぜ反日的な声明がでるのか

 元号「令和」の発表や天皇の皇位継承「御代替わり(みよがわり)」における昨今の世相を見ていると、皇室皇統が日本国民からとても大切に思われていることが分かります。譲位された上皇陛下御夫妻は、日本国民からとてもよく愛されていたことが改めて確認できました。

 人が大切にしている事柄を否定して、物事が上手くいった試しはありません。
残念なことに、私たちの
キリスト教界からは様々な声明や宣言が表に出され、その多くは一般的な日本人の感覚からは「反日」的と言われても仕方ないものとなっています。

 私たちキリスト者は、時代が要請する問いに回答を用意せねばなりません。また「真理」を体現するものとして自己批判を持ち、時に身を危険にさらしても語るべきは語らねばなりません。それがキリスト者の精神と心得ています。ゆえに、あえてここで「反日」という厳しい言葉を使用するのも、世間が要求する問い(この場合「なぜキリスト教界は反日的か?」)に対して、回答を用意する必要があるからです。この点については予めご了承願います。

<日本キリスト教協議会(NCC)を中心とした声明>

 キリスト教界の「反日」的と言われてしまう動きで、もっとも代表的なのは、最近の朝日新聞の記事【即位巡る儀式「政教分離に違反」 キリスト教団体が会見】でしょう。この記事では以下のように書かれています。

 プロテスタントやカトリックなど国内のキリスト教の教団や教派団体が30日、東京都新宿区で記者会見し、天皇代替わりの一連の儀式を国事行為・公的行事として行うことは「憲法上、国民主権の基本原理や政教分離原則に違反し、国家神道の復活につながる」と主張した。

 2019年4月30日、日本キリスト教協議会(NCC)を中心とした諸団体が、「キリスト教団体」として『各団体声明集』を配布し、記者会見をしました。これをもって、キリスト教界全体の「総意」と受け取られることは甚だ迷惑と思うクリスチャンも多いことは事実です。私自身もその一人です。

 この『各団体声明集』に収められた「声明」「宣言」は全22ページにわたります。その宛名はすべて「内閣総理大臣 安倍晋三 様(殿)」となっています。

 発信した個人・組織・団体は、ざっと以下の通りです。
日本カトリック司教協議会、日本基督教団総会議長(石橋秀雄)、日本キリスト教会大会議長(冨永憲司)・北海道中会議長(秋本英彦)・東京中会議長(斎藤修)・近畿中会議長(有賀文彦)・九州中会(澤正幸)、日本バプテスト連盟靖国神社委員会、日本キリスト改革派教会大会議長(川杉安美)、第41回日本基督教団総会、日本キリスト者医科歯科連盟第103回全国委員会議長(西脇洸)、日本聖公会主教会正義と平和委員会、カンバーランド長老教会日本中会、日本キリスト教会役国神社問題特別委員会委員長(古賀清敬)、日本バプテスト同盟宣教部長(久保親哉)、日本同盟基督教団「教会と国家」委員会、同委員長(柴田智悦)、同靖国問題委員会、日本バプテスト連盟性差別問題特別委員会、日本キリスト教婦人矯風会、日本福音ルーテル教会九州教区常議員会、日本ルーテル教会社会委員会、同委員長(小泉基)、靖国神社国営化反対月例デモ市民の会、日本同盟基督教団第70回教団総会、日本キリスト教団東京教区北支区常任委員会、日本バプテスト連盟理事会。

<声明をどう理解するか>

 さて、日本キリスト教協議会(NCC以下「NCC」と記載)とはいかなる存在であるかの解説はあえて後にして、まずこの声明を実際にどう理解するべきなのか、NCC加盟の中核団体で日本最大の教団である日本基督教団の2人の牧師(匿名希望)に聞きました。内容はできる限り変えずに私なりに編集すると、以下のようになります。

1人目の牧師に対する質問と答え
ーーーよくNCCから出される声明についてはどう考えているのですか?

 NCCは団体ではなく、連合体です。
 .だからそこからでる声明とかはNCCに加盟している団体の「総意」ではありません。実際「声明」は、各団体のNCC担当者たちが相談して作成しているものに過ぎません。運営はNCCの執行部や各団体のNCC担当者が動かしているものです。

―――NCCは日本基督教団にかなり負っている面があるように私には見えるのですが。

 実際問題、NCCのやっていることが日本基督教団の各個教会に影響を及ぼすことはほとんどありません。 声明も、教団(日本基督教団)の声明なら多少気を使うけど、NCCの声明なら気にとめないという感じです。

ーーーそんなに無関心でよいのでしょうか。NCCが声明を出せばその中核団体としての日本基督教団が同意していると思われてしまいます。

 日本基督教団は、その構成上非常に問題を抱えています。
日本基督教団は伝道所を含め、全国に1700もの教会があって、5つの認可神学校のある団体です。とてもじゃないけど、一枚岩ではありえません。自分の教区外で起きていることは「教団新報」などでしか、知る由がないわけです。さらに、旧教派から成る幾つかの派閥、学閥のようなグループに分かれています。それに加えて教団内で〈教会派〉〈社会派〉という思想的に全く相容れない人たちが、ふだんは乖離、分断したまま、同じ教団の中に一括りに名を連ねています。これが日本基督教団の現実であり、問題です。

2人目の牧師に対する質問と答え
ーーー日本基督教団からよく出されている「反日」的といわれてしまうような「声明」について、どう思われますか。

 「声明」といっても、誰がそれを言っているかが大事だと思います。
 日本基督教団から出されている声明は、議長名であれば「議長が個人で出している。」と理解します。委員会名であれば「委員会を形成している人たちが出している。」と受け取ります。総会名であれば「総会が出している。」といった感じです。
(個人名と委員会名の声明に関しては、まるで自分たちとは直接関係ないと思っているようでした。)
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ーーー「声明」が議長名であれば、他の人たちはみな日本基督教団が声明を出したと考えるでしょう。
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 そうですね。でも、議長の個人の声明です。
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ーーーここの教会は反政府的な社会活動をしていないようですけど、大船方面の日本基督教団の教会に行ったら、掲示板やら受付に社会活動のチラシがたくさんありました。
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 私も神奈川の教区にいたことがあるので、よく知っています。今、日本基督教団でも社会派の牧師が政治活動を言っても、若い人たちは右から左に聞き流してしまい、ほとんどついてこないでしょう。

ーーー日本基督教団は、沖縄の基地反対運動などでも「暴力」が容認されやすい印象があるのですが、どうなのでしょうか。

 確かに、日本基督教団は1970年代には、「暴力」がかなり容認されていました。団塊の世代の学生運動の影響でしょう。でも、今はそういったことはありません。日本基督教団は東京教区がどちらかというと保守的なのですが、総会も開かれず機能していない時期がありました。でも、東京教区が機能し始めて総会に戻ると90年代からは安定しました。私(現在50歳代)が神学生の時は、もう大丈夫でした。

 この2人の牧師だけでなく、日本基督教団の他の牧師にも問いを投げかけてみたのですが、「上のものと末端の牧師は違う。上でやっていることに口出ししない。」というものや、「牧師が私的に行動していることについて、教団は目をつむっていることがある。」「上位のやったことの責任を負う気はない。」(内容を変えず、加工編集あり)という正直な意見なども聞きました。ただ、これらは無責任なのではなく、実際のところで日本基督教団が大きな教団で活動の幅が広く、かなり自由があるところからのものであろうと、私は推測します。

改めて、記者会見をした「キリスト教団体」の『各団体声明集』の発信者を見てみると、「〇〇議長」などの肩書をもった個人名および委員会名ばかりが目立ちます。どうも教団全体の「総意」であるのか、個人および委員会の声明なのか、いざとなればどちらとも都合よく言い訳できる形での『各団体声明集』という裏の意図が感じられます。

<大いなる疑問の始まり>

 話を先のNCCを中核とした諸団体の記者会見に戻しましょう。

 この記者会見の会場に私(中川)は実際にいたのですが、記事になっていない部分で、記者の質問に対してNCC総幹事の金性済(キム・ソンジェ)牧師が、次のように語ったことに、私は疑問を感じました。
金性済牧師は、日教組が語ってきたような自虐史観をそっくりそのまま語った後に、現在懸念していることを語り始めました。

 「若者は天皇制や立憲民主主義の問題を語っても聞く耳を持たない。」そして、それを解決する「一つの突破口は・・・」

 もはや天皇制の問題であれ、日本の立憲民主主義を守ろうとする運動であれ、日本の国内だけの日本人自身の市民運動で自己完結できるのかという問題を問わないといけない。やはり隣の韓国をはじめ、国をこえて一緒に考えていこうという。北東アジアの中で歴史の問題を一緒に考えていこうというですね。国と国をまたいでいこうという、そういう対話をしていかないと。

 若者の力が足りないからといって、なぜ日本の市民運動に外国の人たちを入れないといけないのか。何で外国人が日本で政治活動して、さらに市民運動に加勢しないといけないのか。「韓国」や「北東アジア」?韓国と区別するところの「北東アジア」というのは、「北朝鮮」のことではないのか。

 この疑問はさらに大いなる疑問の始まりにすぎなかった。

日本のキリスト教界の反日的な傾向(2)
日本のキリスト教界の反日的な傾向(3)