・写真:Merry Christmas ! (Mukogawa Christ Church_2017)
バイブル・ソムリエ:亀井俊博
「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師
「米中対立の向うに」
執筆:2020年11月12日
<第3回(最終回)>
・3回の連載で掲載いたしました。(SALTY編集部)
—–> <第2回>より
(9)中国の改革
世界史の二系列
その際、特に中国は何を西欧・日本から学ぶべきかを次に考えます。その前提に経済史の速水融元慶応大教授(TVの歴史番組で人気の歴史家、磯田道史氏の師)の説く「世界史の二系列(複線)説」を紹介します。(ブログ、2020・12・2“新しい世界史像への挑戦”)
この説は、京都学派の生態学者梅棹忠夫元京大教授の「文明の生態史観」に強く影響を受けた説です。即ち世界史は従来の西欧中心の歴史学が説く、古代→中世→近代、と単線的に発展したものではない。これはアジア大陸の東西辺境の地、西ヨーロッパと日本にのみ共通した歴史発展理論であり、これを「世界史の第一系列」と速水氏は呼ぶ。それに対して、アジア大陸の中央部(中国、インド、モンゴル、ロシア、アラブ)では、古代に形成された専制的諸帝国の興亡が循環するだけで、歴史的発展が「化石化」し、いわゆるアジア的停滞となった。これが「世界史の第二系列」です。
「第一系列」は近代科学革命、近代市民革命を経て、民主主義政治、産業革命、資本主義経済と言う近代化を成し遂げた。しかし「第二系列」は帝国の興亡が循環するだけで歴史的発展は見られず近代化に遅れ、結果、大航海時代、産業革命、植民地市場化に進んだ第一系列の世界支配に甘んじる事になった。この様に世界史を二系列複線化で見て、初めて正確に認識できるのであって、西欧の歴史観をそのまま当てはめても特にアジアは理解できないと速水氏は説く。
そして戦後、植民地解放独立運動により、第二系列の諸国が近代化する際は、西欧・日本の民主主義政治・自由市場資本主義経済とは異なる、全体主義的社会主義あるいは、民主主義や資本主義を標榜してもいわゆる開発独裁・国家資本主義的性格を取らざるを得なかった。長い歴史的背景があると解明する。
第二系列中国の問題と改革
この観点から中国を見ると、その専制的、帝国主義的政治経済体制が「世界史の第二系列」に属する歴史的な性格だと言う事が分かる。しかし、2009年日本を抜いて中国がGNP世界二位になり、2020年には日本円換算1億円以上の資産を持つ富裕層が200万人余になっても、一人あたりの年収は3万元(約45万円)でブラジル並、6億人が月収1000元(約1万5000 )の貧困層.だと李克強首相が暴露。かつやがて人口は減少しいわゆる人口オーナスの時代に入り、特に生産年齢層が減少する人口学的予測から、「中進国の罠」から抜け出して、先進国の仲間入りするか、周辺国群に落ちるか瀬戸際にある。このための改革のポイントは、政治の民主化、経済の真の自由市場化である。このことを改革開放以来、欧米日に留学したエリ-ト層の官僚、学者、起業家、ビジネス・パーソンは熟知、痛感していると言う。以下中国の諸問題と改革策を例示します。
第一に、政治における共産党一党独裁では、多様な民意をくみ取れず社会は停滞する。さりとて共産党の正統性を失えば現代中国のアイデンテテイは崩壊する。人権尊重、結社・表現・信教の自由、複数政党制による自由選挙で選ばれた議会制民主主義、法の支配という第一系列の民主制と第二系列的専制制の折り合いはどこにあるか模索している。改革のヒントの一つはシンガポールの民主政治でありながら実質専制的なモデル、今一つは日本の戦後民主主義政治の秘訣、即ち保守革新対立の55年体制における、実質自民党一党支配モデルを考えているようです。
第二に、経済はWTO、IMF等、欧米の資本主義経済のシステムに改革開放以来、世界の自由市場に参加を許されその恩恵を十二分に享受しながら、自分自身は自由化せず、政府の(共産党幹部の利益の源泉)影響下にある国営企業が民間企業を圧迫、為替は市場変動ではなく政府管理、いいとこどりで現在まで発展GNP2位、やがて米国を追い抜く勢い。しかしこのままでは民間の活力はなくなりイノベーションも起こらず、欧米から資本主義のグローバル・スタンダードに従い、公正な競争を強く要望され、世界市場から締め出される危機的状況になっている。その改革のヒントに、明治維新時「殖産興業」で政府が創業した官営事業を、やがて民間に払い下げし民間企業を育成した日本のモデルは有効です。
第三に、軍拡による領土領海拡張、いわゆる“戦狼外交”は世界から総スカンを食う憎まれっ子状態である。習近平の皇帝的専制政治経済の毛沢東路線復帰に未来はなく、鄧小平の改革開放路線の徹底への路線変更しか道はないと思う。
明治24年神戸で講演した近代中国革命の父、孫文が「われわれは、アジアをはじめ全世界の被圧迫民族と提携して、覇道文化たる(欧米)列強に抵抗しようと考える。日本は世界文化に対して西方の覇道の番犬となるか。はたまた、東方王道の干城となるを欲するか」と迫った。孫文は当時のアジア侵略の日本の野心に警告したが、今日そのままこの現代中国の覇道に革命の父の警告をお返ししたい。
第四に、以上現代中国に求められる改革は、中国封じ込め政策と言う外圧によるよりも、中国自身の身を切る自成的構造改革が求められる。それによってのみ、現在の軍事衝突の危機は回避されると思います。中国伝来の歴史観、「易姓革命」が起こることを期待します。
(10)第一系列、欧米に求められる改革
第一系列の勝利か?
では、世界は中国封じ込めに成功し、再び欧米日の「第一系列の歴史」の勝利に帰すべきか。日本の親米派、従米派はそう説き、日本は経済的価値より民主的価値観を選び、中国市場を諦め、中国以外に市場をシフトし、あるいは少なくともチャイナ・プラス・ワンにすべきと言う。そして価値観を共有する米国につき断固中国と戦え、核兵器もミサイル原潜も所持せよ、これは経済ではなく人類普遍的価値観の正義の戦いだと言う。
しかし私はそうは思わない。確かに民主主義・資本主義の価値観は重要です。そして現在の中国の共産党専制政治や国際的覇権主義は論外で是正すべきですが、中国を代表とするアジアの文明から人類が受けて来た恩恵もまた大だと思います。再びアジアを欧米の文明的植民地にしてはならい。そもそも長大な人類史の中で、紀元前数世紀の間に起こり、現代もその影響下にある偉大な文明思想、宗教、いわゆる「人類思想の枢軸時代」(K.ヤスパース)「哲学革命」(伊藤俊太郎)の内の3大文明(両河、中華、インド)、思想宗教における仏教、儒教、道教、科学技術におけるゼロの発見、インド・中国医学、紙・印刷、火薬、羅針盤の四大発明は西欧・日本の第一系列ではなく、アジア大陸の第二系列から生まれたのですから。
何より日本は2千年前頃まで未開であったが、中国文明、さらにインド文明に直接間接(朝鮮半島経由)で接して以来、政治制度、宗教、軍事、文化の受けた恩恵は計り知れない、この駄文も中国文明抜きには書けないのですから。さらに17世紀まで中国を筆頭にアジアはGDPで欧米を遥かに凌ぐ先進地域だったのです。ですから第一系列の欧米文明は、第二系列のアジア文明を高く評価してこそ、現代の文明的危機を打開する道が開かれるのです。まさに、21世紀は、第一系列と、第二系列文明の戦いによるいずれかの円思考的勝利ではなく、協力して真の世界史の段階を形成すべき楕円思考的状況なのです。さもなければ、米中新冷戦は人類の破滅をもたらす可能性すらあり、何としても選択を誤ってはならない危機的分岐的に立っています。そこで両文明の狭間で苦悩した経験を持つ、近代日本の歴史的経験は大きな指針となると信じ、次に記します。
日本の二つのアジア論
日本では、明治維新の近代化に際してアジアとの関係に二つの路線がありました。一つは「脱亜入欧」路線(福沢諭吉)、文明開化(近代化)に遅れた野蛮なアジアを脱して欧米文明にならえです。この選択はやむを得なかったとは言え、結果として今日も少なからず無意識に存在する、いわれのないアジア蔑視観を国民に植え付けた。1980年代ヨーロッパの東洋趣味“オリエンタリズム”の内実を、西洋のオリエント支配の思考、人種偏見、帝国主義の正当化思考として批判した、E.サイードの主張のアジア版が「脱亜入欧論」です。これは現代「ポストコロニアル理論」として、旧宗主国の植民地支配の文化的側面批判の対象となって、日本にも自己批判を迫られています。
しかし今一つの重要な論議が明治期既にあったのです。「アジアは一つ」(岡倉天心)に発する「大アジア主義」路線(竹内好)です。欧米の帝国主義的侵略によるアジア植民地から、誇りあるアジア文明を守るためアジアは一致団結すべし、と言うものです。「大アジア主義」はやがて大東亜戦の思想戦として京都学派が提唱した「近代の超克」論に至ります。即ち世界史は、西欧の世界支配の完成と言う近代の歴史観を超克して、アジアの台頭による歴史を加えてこそ初めて真に「世界史」になる、そのアジアの盟主として日本は天皇を中心にアジアを糾合して欧米と戦う(八紘一宇思想)と言うもので、思想とは裏腹に現実は日本帝国主義のアジア侵略戦争に帰し、多大の犠牲をアジア各国に強い、今にトラウマを与え深い反省を求められています。敗戦とともに退けられたのは当然です。
しかし、新しいアジアの盟主としての中国台頭により、過去に苦い経験をした日本は、「大アジア主義」「近代の超克」にバプテスマを施し、その罪性を洗い流し、その意義を現代に生かして、中国を善導し、真に世界史に貢献するグローバル・ヒストリーを描くべき時が来ているのではないか。やがてインドが、インドネシアが加わり、さらにアフリカが参加するなら、実に多彩・豊穣な21、22世紀世界史の展開を人類は迎えることが出来る。(ブログ、“アジア主義からの中国への忠告” 2020・9・30)
この様な西洋と東洋を2焦点とする、内村鑑三に由来する遠大な「楕円思考」世界を希求する思想を欧米は持つべきです。日本も眼前の中国封じ込めの先を見据えて思考、行動すべきです。これこそ単なる親米、従米、あるいは親中、媚中に私が組しない理由です。
(11)米中対立の向うに見るべき希望
今日の米中新冷戦の解消の暁に、東西の文明を焦点とする「楕円思考」による世界文明の花が咲くとする可能性の根拠(エビデンス)を述べます。それはピルグリム・ファーザーズによる建国以来の米国の強大な市民宗教キリスト教、そして共産主義支配の中国にありながら、今や2億人に達する世界一のキリスト者人口を有し、さらに発展しつつある中国キリスト教と言うエビデンスが共通地盤となる可能性に私は注目しています。
キリスト教国アメリカは言うまでもありませんが、そもそも中国も7世紀には景教キリスト教が入り、19世紀以来キリスト教の影響大な洪秀全の太平天国の乱、国民党・共産党共通の中国近代革命の父と仰がれる、キリスト者孫文初代中華民国総統、同じく国民党の蒋介石総統と夫人の実家宋家三姉妹と米国教会との密接な関係、台湾のキリスト者李登輝元総統、と言う様に政治におけるキリスト教の影響は中台両岸に連綿と続いています。つまり米中二つの焦点を持つ楕円世界と言う円周は、キリスト教となることが出来ると言う希望です。Pax Americana et Sinica in Christus! (キリストにある米中の平和)ですね。
米中はキリスト教を共通のプラット・ホームとして、楕円世界の2つの焦点を形成し、人類共通の課題、気候変動、環境破壊、食料配分、人権尊重、教育普及、資源エネルギー枯渇、核・生物・化学兵器廃絶、パンデミック、格差、移民問題等「共通善」コモン・グッズ(アリストテレス、T.アキナス、M.サンデル)に取り組むべきではないでしょうか。
(12)日本の理念
理念駆動・現実的政治
ここで私の政治の方法論を述べます。それは理念駆動・現実的政治、イデー・ドリヴン・リアル・ポリテイックスです。政治家の姿勢に理念・理想を高く掲げる型と、現実の諸問題解決、利害調整、政治勢力バランスの現実型があります。私の乏しい政治との関りの経験からではありますが言える事は、革新政党は、いい事を言うが実行力が乏しい“口先番長 さらに理念実現のための現実策を実行する、ではないでしょうか。カントをもじっていうなら「理念なき政治は盲目であり、現実実行力なき政治は空虚である。」、あるいは剣道の極意「眼高手低」、目は高く理念を見つめ、実行の手は低く現実的に、ではないでしょうか。そこで今まで、日本政治の現実的な有り様を述べてきましたので、最後に理念を述べます。
幻を掲げて
まず日本政治の現実認識として、最近の国家神道への先祖返りにナショナル・アイデンテテイを求め、キリスト教への関心に薄いリアルがあります。しかし日本の将来は、米中キリスト教の盛んさの理由を評価し、イエスの福音に早く目覚めてグローバル・アイデンテテイを見極めるべきであると思います。これこそ真に日本の理念とすべきであり、宣教熱心な福音派の使命ではないでしょうか。
その上で「日本国憲法」、「日米安保条約」、「非核三原則」と言う戦後日本の規範・国是を堅持し、さらには時代状況の現実的変化に応じた再定義・改定を柔軟にしつつ、米中対立構造の「円思考」から平和構築の「楕円思考」に転換すべく、国連や国際機関と連携しつつ、国際社会で日本国憲法前文の理念・理想を高く掲げ尽力すべきだと信じます。
*「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」 日本国憲法前文より
*「幻なき民は滅びる」箴言29章18節、欽定訳聖書
Where there is no vision, the people perish.
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亀井俊博(かめい としひろ)
1942年香川県に生まれる
単立「西宮北口聖書集会」牧師、「芦屋福音教会」名誉牧師
同志社大学法学部法律学科卒、日本UPC聖書学院卒
(同志社大学神学部、神戸改革派神学校、神戸ルーテル神学校聴講)
元「私立報徳学園」教師、元モンテッソーリ幼児教室「芦屋こどもの家」園長
元「近畿福音放送伝道協力会」副実行委員長、
*<亀井俊博牧師のブログ>
「西宮ブログ」の『バイブルソムリエ』
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