「 無い無い尽くしの中で 」  − 久保田 Ukon 典彦 −

『キリシタン史からのメッセージ』
  高槻・Ukon:第5回

 

 

 

 

久保田Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 

「 無い無い尽くしの中で 」 

 
● 中世の頃、キリシタンの時代。
 聖書の全巻翻訳はありませんし、各国語に訳されてもいません。
 印刷も、活版印刷の技術は発明されたとはいえ、大量には無理。
 たとえ、あったとしても、人々は読めません。一般の識字率は低いのです。
※ 現代の私たちは、聖書の全巻翻訳は、日本語で、何種類もなされていますし、
 一家に何冊もあるほどに、大量に印刷され、手にすることも出来ます。
 現代の日本語に訳された聖書を読むことが出来ます。
 読んでいくことが出来るのは、義務教育が行き届いているおかげと言えるでしょう。

● このような状況の中で、
 どのようにして、全世界に出て行って、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えていけばいいのでしょうか。
 実際になされていったのは、
 簡潔にまとめた [信仰箇条・祈り・基本の教え] を準備し、
 人々はそれを暗誦し、そのことを実践していくようにすることでした。
 宣教師フランシスコ・ザビエルが、1549年8月15日に、日本にやって来た時も、
 それまで教理説明に使用していた「ドチリナ」(Doctrina・教えの意)を、薩摩出身の弥次郎の協力を得て、日本語に翻訳したものを携えて来ています。
 ただ、用いた宗教用語が、すべて仏教語でしたので、
(神・デウスが「大日」であったり)誤解を招きやすく、翻訳も不十分でしたので、続いて用いられることはなく、現存していませんが、[二十九箇条]のタイトルはわかっています。
 使徒信条(Credo) ・ 主の祈り(Pater noster ) ・ 天使祝詞(Ave Maria ) ・ 十戒 ・ 肉体的七つの慈悲の業 ・・・・・ など。
 その後の「ドチリナ・キリシタン」に記されているものの原形を見ることが出来ます。

 

● 当時の人たち・キリシタン達は、
これらの短く簡潔にまとめられた

「ドチリナ」を、しっかり暗誦するように教えられ、そのように暗誦し、それを実践していきました。
 信仰告白し・祈り・ご大切のわざを実践していきました。

 

● 現代の私たちクリスチャンは、

 全巻翻訳された日本語の聖書を持つことが出来、読解も出来ます。
 聖書や信仰書がいつも手元にありますので、
 暗誦はしませんので、キリシタン達のようには、なかなか実質のものになっていかないようです。
 舞台で、台本片手に芝居をしていたり、楽譜を手に持って オペラを演じていたり ・・・・・ していては、感動はありませんし、話になりませんよネ。
 

久保田 Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
  
「髙山右近研究」をライフワークにしています。
 髙山右近やキリシタン達を通して、いっしょに考えていければと思います。