女性の真実な尊厳と、それを利用した政治運動 −明石清正−

 

 

明石清正
カルバリーチャペル・ロゴス東京 牧師
ロゴス・ミニストリー 代表

日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY-  論説委員

 

 前もって書かないと誤解を招くと思いますので、前置きを書かせていただきます。

 私は実際に、痴漢行為をし始めていた現場を目撃したことがあります。すぐに行動に移し、その女性が逃げることができるようにしました。日本において、痴漢にしてもその他の性犯罪にしても、周りの人々が支援しない、助けないという保身の風潮があり、私はこれに対して激しい怒りを抱いています。アメリカであれば、彼女に叩いたりして手を出している彼氏がいたら、近くにいる男が殴り倒しても何も文句も言われないどころか、やらなければいけないこと、当然のことだと思われます。こうやって、虐げられている人を救うのは神の御心であるし、神も虐げられている人のゆえに、その叫びを聞かれ、激しい怒りをぶつけられると律法で言い表しています。

 けれども、その多くは泣き寝入りにされています。いや、本当に被害を受けたからこそ、押しつぶされて被害はもみくちゃにされます。けれども、神は見ておられます。その叫びを聞いておられます。主は終わりの日に、必ずその悪事に対して報いてくださり、公正に裁いてくださいます。

 なので、次の話題は決して女性の被害を軽視していることではないということをお断りいたします。

「日本の秘められた恥」  伊藤詩織氏のドキュメンタリーをBBCが放送 

マスコミによる印象操作、取材相手への失礼な行い

 伊藤詩織さんというジャーナリストが、イギリスBBCに出演して、ご自身が受けた性暴行を伝えているドキュメンタリーの番組が報道されたようです。加害者は山口敬之氏で、当時はTBSのワシントン支局長。職を求めに来た詩織さんと、その夜、山口氏が性的行為をしたことに対して、準強姦違反として訴えたのですが、不起訴処分になっています。一度ならず、二度、証拠不十分で不起訴です。けれども、彼女は告発本を書き、また今回、BBCにも出演しています。

 私は、いろいろな意味で、山口氏以外にも道義的な間違いを犯していると感じました。単純な性犯罪とは言えないと感じています。

 第一に、私はBBCに怒りを感じています。この特集において、国会議員の杉田水脈さんがインタビューを申し込まれて、二時間以上かけて答えたのですが、どのような番組かの説明とは内容が大幅に異なり、そしてその中の僅かな言葉だったようです。私も、アメリカのマスコミから文書による取材を受けたことがあり、答えた時に似たようなことをされたことがあります。何のために取材しているのか明確に説明していない、取材を受けているものが何の話題なのか理解していないで答えているものを、勝手に編集して自分たちの報道したいように利用していました。こうやって世論操作をしているのだ、と思ったものです。

法を犯さない努力をしているからこそ国内では報道されなかった

 そして出来上がったBBCの番組ですが、ステレオタイプの「古い日本人」を糾弾するのみの話となっており、レイプについての法が古く、また日本のマスコミが取り上げなかったことを日本の恥としているというのです。しかし、これは古い日本だからではなく、むしろ昔は、推定段階で誰かを犯人扱いして、どれほどマスコミが罪を犯したか、その教訓があるからに他ならないということです。かつてロス疑惑の三浦和義さんは、逮捕される前から犯人扱いにされ、逆に名誉訴訟を起こされ、マスコミは全面的に敗訴しています。(参考記事

 もちろん、日本は性倫理において緩く、それをキリスト者であれば果敢に取り組まなければいけないのは当然であり、今回の件も、そもそも山口氏は職務上の倫理規定違反で社内でも、社会的に制裁を受けて当然しかるべきことをしました。そして、果たしてその不起訴に問題はなかったのか?それはそれで問題追及しなければいけません。そして、強姦に関する法律や制度も改善もしていかなければいけないでしょう。けれども、不起訴処分になっている人を犯罪者のように扱うことは、名誉棄損というまた新たな罪になるわけで、法を遵守するということが試されているのです。

欧米人が使う常套手段「非西洋文化圏の偏見、蔑視」

 こういった「法の遵守」と言った観点から、日本では盛り上がりに欠けているのですが、そういった背景を全く素通りして、昔の日本のステレオタイプを番組にしているところに「日本蔑視」を感じました。

 「日本や非西洋人は野蛮だ」という固定観念が、厳然としてあります。次は、言いづらい話になりますが、何件か、日本国内で犯罪を犯した欧米人の家族や友人から連絡を受けたりしたことがあります。その時に自らの無罪を晴らそうとしたり、あるいは刑罰を軽減してもらおうとする時に、(人間だれしも持っている罪ですが)日本がいかに後発的、未発達な考えを持っているから、自分たちの人権が守られないと言い訳して、つぶやきます。すると事情の知らない欧米人は、その陰謀論まがいの話を鵜呑みにしてしまうのです。

 どの人間も罪があり、その出方がその国民性によって違うのですが、欧米人にはそういった「未発達のアジア人」みたいな偏見を、自分たちを優位に立たせるために利用します。この部分が今回のBBC番組の態度にはありありだったので、強い憤りを感じました。ですから日本人が、純粋にレイプ事件として興味をもって当番組を観てしまう時に、私には、「動物園の動物にエサを投げて、よろこんで食べてくれている。」というような構図にさえ見えてしまいます。(これを、オリエンタリズムと呼ぶこともできます。参考記事。)

本当の草の根的MeToo運動と、政治運動の峻別を

 第二に、欧米リベラル発のMeToo運動という、政治運動の中で伊藤詩織さんは確実に動いているということです。これ自体の是非を問いたいのではなく、そういった背景があるということを知らないといけないということです。日本には、欧米リベラルのマスコミの思想が垂れ流しにされている、と言ってもいいでしょう。リベラルという思想は、かつてユダヤ・キリスト教の価値観がしっかりあった時代であれば、そこにある寛容やバランスを求める点で良かったのかもしれませんが、今は、神なしの人権を訴え、寛容という名によって人々の人権をむしろ蝕んでいるという逆現象が起こっています。

 MeToo運動は貴重な動きです。アメリカでは、想像をはるかに超える性犯罪が起こっていて、オリンピックに出る体操選手の少女たちを、選手専属の医師が、長年に渡って恒常的に性的嫌がらせをしていたことが、最近になってようやく暴露され、厳しい処罰が与えられました。(「米女子体操五輪チームの元医師、性的虐待で175年の禁錮刑」)その名乗り上げた第一の人はクリスチャンです。今や夫と子供を持っている女性が、犯人に悔い改めと罪の赦しを宣言する福音を、証言台に立って伝えていた映像を見ました。

 けれどもアメリカでは、ハリウッドと政治家の癒着があります。ハリウッドは、極めてリベラルです。そして、リベラルな政治家と結託して、一種の政治運動をしています。そうした女性の権利ということを擁護し、推進している政治家でさえ、実は本人は、性については極めて不道徳で、陰では猥談、また立場を利用した性行為をしていたということがあります。けれども、彼女たちは、自分たちの政治的目標をこれらの政治家は満たしてくれると思って、敢えて封印していたのです。

 また、ハリウッドの女性たちも、出世のための枕営業をします。そして、そうした枕営業をした女優たちが、今は性的嫌がらせを受けたとしてMeToo運動の中で前面に出ている、という醜さです。けれども、知名度がありますから、そのまま信じてしまう人たちが多いのです。

 性犯罪って、そんな安価なものなのでしょうか?力を持った、知名度や影響力のある人が、法には必ずしも問えない所謂「性犯罪」を訴えているのと、物理的にも心理的にも暴力的に本当に強姦された、性的嫌がらせをされたというのと、同列にしてよいものなのでしょうか?声なき声のために、真実に訴えている方々に耳を傾けるべきではないでしょうか?

 伊藤詩織さんのような存在が注目されて、それで日本社会における性的虐待が改善するのであれば、すばらしいことです。けれども、真実に基づいていない報道のされ方をしているために、寄与するどころか、問題はそのままにされて、複雑化するだけにしかすぎないと感じています。