被害者もウソをつく、私の体験的「慰安婦問題」(その2)−西岡 力−

・写真:「反日種族主義」李栄薫 編著/文藝春秋(2019-11/14)

 

 

 

西岡力
日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY-  主筆
救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)会長
モラロジー研究所教授・麗澤大学客員教授

被害者もウソをつく、私の体験的「慰安婦問題」(その2)−西岡 力−

 

<その1>より

  • 慰安婦像撤去を求める韓国良識派のデモが始まった

 しかし、真実は強い。昨年、李栄薫・前ソウル大学教授らが、「慰安婦は日本軍の管理下にあった公娼だ。朝鮮王朝時代は両班という支配階層が身分の力でキーセンや奴婢という被支配階層の女性の性を搾取した。日本統治時代に公娼制度が導入され、当初は日本人が日本から連れてきた女性の公娼を利用していたが朝鮮経済の近代化が進むにつれ朝鮮人が多数利用するようになり、それにつれて朝鮮人公娼も増えた。慰安婦制度は公娼制度を戦地に持ち込んだものだ。韓国独立後も、韓国軍と在韓米軍には慰安婦制度が維持された」という学問的主張を『反日種族主義』という本にまとめて韓国で出版し、10万部を超えるベストセラーになった。日本語訳が日本でもベストセラーになっているが、もともと韓国人に歴史の真実を伝えるために書かれた本だ。

1991年8月15日「ハンギョレ新聞」の金学順記事
「1924年満州吉林省で生まれた金さんは父親が生後100日で亡くなってしまい、生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあるキーセンの検番に売られていった。3年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れられていった所が、華北のチョルベキジンの日本軍 300名余りがいる小部隊の前だった。」と記されています。

 そして、ついに、慰安婦像撤去を求める韓国良識派のデモが始まった。実は、ソウルの日本大使館前では平成4年(1992)以来、毎週水曜日に金学順さんをはじめとする元慰安婦と支援者が「水曜集会」と称する路上反日行動を続けてきた。その集会の千回目を記念して平成23年(2011)12月に大使館前に慰安婦像が建てられた。令和元年(2019)12月4日、水曜集会が行われている同じ時間にそのすぐ近くの路上で「慰安婦像撤去、水曜集会中止」を求めるデモが始まったのだ。その中心人物が『反日種族主義』の共同執筆者の1人である李宇衍・落星台経済研究所研究委員だ。李宇衍氏らは「慰安婦像と戦時労働者像設置に反対する会」を結成して様々な活動を行ってきた。

 12月4日の慰安婦撤去デモでは、金学順さんがどのような経緯で慰安婦になったのか、本人が語った証言が朗読された。「事実を知りましょう。強制連行ではなく貧困の結果、慰安婦になったのです。本人の証言を読み上げます」李宇衍氏らは落ち着いた語調で金学順さんの証言をくり返し朗読した。

 ただ、李宇衍氏らを囲み「売国奴」「日本の手先」「親日派」「恥を知れ」などと叫ぶ反日運動家らはその朗読に一切耳を傾けない。取材に来ていた韓国の記者らもその朗読を無視した。李宇衍氏らは慰安婦像が撤去されるまでどのような妨害があっても抗議行動を続けると宣言した。12月11日には持っていたプラカードが蹴られて破損し、12月18日には李宇衍氏が顔面を殴られた。それでも黙々と、李宇衍氏らは真実を掲げてウソと戦い続けている。

  • 裁判で争うやり方は言論人として恥ずかしくないか

 ここまで、韓国で最初に名乗り出た金学順氏について、彼女は貧困の結果、母親によってキーセンとして身売りされて慰安婦になった経歴の持ち主だったのに、朝日新聞の植村隆記者(当時)の捏造記事によって、いっとき、日本中がだまされて、あたかも軍による強制連行の被害者であるかのような誤解が広まった経緯について書いてきた。

 そのことを一番最初に気づいたのが私だった。それを平成4年(1992)から繰り返し雑誌論文や単行本に書き、テレビ討論などでも主張してきた。ところが、金学順氏を韓国から連れてきて日本政府を相手に裁判を起こした弁護士で反日運動家である高木健一弁護士が突然、名誉毀損で私を訴えた。私が著書で、金学順氏を結果的にさらし者にした高木氏らの運動について「事実を歪曲しても日本を非難すればよいという姿勢」「反日日本人」などと表現したことが名誉毀損に当たるというのだった。

 しかし、東京地裁は平成26年(2014)2月、「記述の前提事実の重要な部分が真実であるか、または真実と信じたことに相当な理由がある。公益を図る目的で執筆されており、論評の域を逸脱するものではない」として高木氏の訴えを棄却した。2審東京高裁も1審を支持した。平成27年(2015)1月14日、最高裁第二小法定は原告側の上告を棄却し、私の勝訴が決まった。

 高木氏との裁判で勝訴が決まる直前の平成27年(2015)1月10日、今度は植村隆氏が私を名誉毀損で訴えた。なんと170人あまりの大弁護団が結成され、左派知識人らが「植村裁判を支える市民の会」なる団体を作った。植村氏は、私が著書や雑誌論文などで同氏が朝日新聞に書いた元慰安婦金学順氏に関する記事を捏造と評論したことを名誉毀損だと訴えた。

 私は当初から、言論人である植村氏が言論による論争ではなく、裁判に訴えるという異例の方法をとったことに強い違和感を感じていた。しかし、訴えられた以上、言論の自由を守るためにも裁判での争いに臨まざるを得なかった。そのこと自体遺憾だった。

令和元年(2019)6月26日、東京地裁は、植村氏の訴えを棄却した。植村氏はその判決を不服として高裁に控訴した。

令和2年(2020)3月3日に高裁判決が出た。地裁に続き私の完全勝訴だった。

 法的に説明すると名誉毀損で訴えられると、訴えられた側が相手の訴えに反論して名誉毀損による損害賠償請求は不当だと証明しなければならない。確かに、ある人が一方的に誹謗中傷されている状況を救出するという側面ではこの法理は合理的だと私も考える。誹謗中傷されている人の人権を守るということは必要だ。

 しかし、私は植村氏の人格や品性を攻撃したのではない。彼が記者として署名入りで書いた記事の間違いを指摘したのだ。彼には反論を書くという手段がある。それをせずに自分の記事への批判に対して賠償金を払えという裁判を起こすやり方は言論人として恥ずかしいのではないかと強く思う。

  • 高裁は「植村記事は捏造」という結論を下した

 そのような私の思いは裁判では考慮されない。私は裁判で損害賠償請求を棄却させるために、次の二つの要件を証明しなければならなかった。第1に、公共性と公益性、第2に真実性・真実相当性だ。前者は、内容が公共の利益に関することであり、目的が専ら公益であることだ。後者は、本や論文で書いた事実が真実であるか、あるいは真実であると信じるに足る相当性があるか、だ。

公器である新聞の署名記事に対する評論は、公共性と公益性がある。地裁も高裁もこの点は容易に認めた。争点になったのは、私が指摘した次の三つの事実の真実性・真実相当性だ。高裁判決からその部分を引用する。

①「控訴人(植村)は、金学順が経済的困窮のためキーセンに身売りされたという経歴を有していることを知っていたが、このことを記事にすると権力による強制連行という前提にとって都合が悪いため、あえてこれを記事に記載しなかった」

②「控訴人(植村)が、意図的に事実と異なる記事を書いたのは、権力による強制連行という前提を維持し、遺族会の幹部である義母の裁判を有利なものにするためであった」

③「控訴人(植村)が、金学順が「女子挺身隊」の名で戦場に強制連行され、日本人相手に売春行為を強いられたとする事実と異なる記事をあえて書いた」

地裁に続き高裁でも①、②は真実相当性が、③は真実性が認められた。特に③の意味は重大なので、判決からその部分を引用する。

〈原告[植村・西岡補以下同]は、原告記事A[1991年8月12日記事]において、意識的に、金学順を日本軍(又は日本の政府関係機関)により戦場に強制連行された従軍慰安婦として紹介したものと認めるのが相当である。すなわち、原告は、意図的に、事実と異なる原告記事Aを書いたことが認められ、裁判所認定摘示事実3[上記の争点③]は、その重要な部分について真実性の証明があるといえる。[傍線西岡]〉

 地裁に続き高決も、植村氏が「日本軍による強制連行」という認識はなかったのに、あえて事実と異なる記事を書いたと断定したのだ。言い換えると、同記事がねつ造であることを地裁に続き高裁も認めたことになる。

 私は裁判所にどちらが正しいか決めてもらう必要はない、それは論争の結果、読者が判断することだ、と考えていた。言い換えると私が植村氏の記事を捏造と断定するには十分理由があるという意味で、真実相当性が求められればよいと思って裁判に臨んでいた。しかし、判決は私の評論と同じく、「植村記事は捏造」という結論を下したのだ。それだけ植村記事が非道いものだった証拠だろう。

 私と同様に植村氏から訴えられた櫻井よしこ氏の判決につづき、私の地裁・高裁判決も慰安婦について「太平洋戦争終結前の公娼制度の下で戦地において売春に従事していた女性などの呼称の一つ」と明記した。私たちがずっと主張してきたことではあるが感慨深い。

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<続く>(その3)へ

 

 

・『朝日新聞「日本人への大罪」』2018年2/19 発行/悟空出版

 

 ・『日韓誤解の深淵』1992年 8/1 発行/亜紀書房

 

 ・『コリア・タブーを解く』1997年 2/1 発行/亜紀書房

 

 ・『反日種族主義』 2019年 11/14 発行/文藝春秋