新型コロナウイルス感染拡大と教会(2)−大橋秀夫−

・写真:あべのハルカス

大橋秀夫牧師の『新型コロナウィルス感染拡大と教会』の<第2回>です。
世界各国の危機的な状況の中で、日本の教会が直面している課題を明らかにしつつ、今後の歩むべき道を問いかけ指し示しておられる内容です。
皆様、ぜひ、ご一読くださいますよう、ご案内いたします。

第1回 より  <—– クリック!

● 3回の連載:<第2回>

 

 

大橋秀夫
「日本教会成長研究所」
(現、JCGIネットワーク)
コメンテイーター、理事、全国講師
日本福音自由教会
クライストコミュニティ教会  顧問牧師

 

2,教会の対応

 ではキリスト教会の対応はどうなのか。コンコーダンスによると、「疫病」と言うウイルス性の感染症を表すだろう言葉は66回ある。そのうちの1回だけが新約聖書ルカの福音書21章11節にある。そこには次のように書かれている。
「大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい光景や天からの大きなしるしが現れます。」と。これは終末の前兆を知りたがる弟子たちの求めに対して語られたのであるが、他の福音書はもとより、ヨハネの黙示録の終わりの日に下される災いの中にも「疫病」は含まれていない。今回、終末論に結び付けて対応するという過去の間違いを踏襲しなかったのは、教会の成長と言えるかもしれなない。

 しかし、過去を振り返ってみると必ずしもそうとは言えなかった。黒死病と言われるペスト、あるいは腺ペストの世界的流行は知られているだけで3回あった。A.D.540~590年のユスティアヌス疫病と言われたのが第1回。次はA.D.1346年~1361年のペストの大流行。3回目はA.D.1665~1666年のロンドン大疫病である。

 特に2回目のペストのパンデミックは、歴史を変えた出来事となった。
まず感染を広げる犯人探しが行われてユダヤ人がそれだと指摘された。ユダヤ人はロシア西部に追いやられる。これがのちの帝政ロシアによるユダヤ人迫害の根っこになった。もう一つは、教会の中から「むち打ち苦行運動」が生まれた。疫病を神の罰によると考えた人々が、懺悔をすることを強いたことから端を発した。罰を受ける前に自分に罰を加えて神の罰を免れようとした。教会はこれを集団懺悔として認めた。当時の法王クレメンス自らペストの侵入を食い止めようとアビニョン河で公開のむち打ち苦行を命令した。これが1349年10月まで続いた。

 この行為に非難が高まると、教会は一転してむち打ち苦行に参加した者たちを絞首刑や火あぶりにして死に至らしめた。やがて教会改革の声が高まる。公然たる敵対行為が始まり、それは宗教改革へと発展していった。

 近代の医療の発展によってかつてのようにパンデミックが長く続くとは思えない。しかし、これまでの世界または社会に変化をもたらすことは否めないと考える。そして教会もその波を避けることはできない。そんなことをすれば教会が語る福音は、社会に対して何の影響も与えられないことになるだろう。

3,これからの教会

① 苦しみの意味

 新型コロナウイルスによる感染が広がり始めたころの3月、「主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。」(哀歌3章33節)のみ言葉が与えられた。以来、その意味が何であるかをずっと祈り求めてきた。行き着いた答えは新しいものではない。しかし、その答えに到達するまでに辿った道こそコロナ禍が、いや神が語るメッセージだったと思う。すなわち、新型コロナウイルスの感染拡大によって、人間の世界がどこを走っているのかをあぶり出したと言える。

 人間の歴史は、神の造られたエデンを離れて以来、都市を造ることとウイルスとの闘いであった。 こお点については、少し説明が必要かもしれないが、紙面の都合で割愛することをお許しいただく。要は、聖書の中には都市の神学があるということだ。アダムとエバを離れたカインが最初にしたことは町を建設することであった(創世記4章17節)。以来、バベル、ソドムとゴモラ、そしてエルサレム、バビロン、と続き、神の都へと救済の歴史は綴られている。実際に現代でも、人間は都市を建設し、神は自然を作ったという言葉が生きている。

 ところで、小生がこのことに再度気づいたのは、ロックダウン(都市封鎖)された世界の大都市の異様な光景をテレビの映像を通して目の当たりにした時だった。人間は神が作られたエデンの園を追放されてから、ずっと自分の手による、自分の気に入ったエデン(都市)を建設するために知識や科学など全力を投入してやって来た。そして天にも届けと超高層ビルや塔を建て、それを誇りとしてきた。しかも、彼らは最早神など必要ないと言ってはばからなくなっている。
だがしかし、目には見えないウイルスと言う微小な生物によって、その誇りとする都市はもろくも死の町と化してしまうのだ。その光景はまるで神が人間に挑戦するかのように映った。人間が作り出した都市(エデンの園)の脆弱さ。それに病院に運ばれていくのを最後の別れとしなければならない命の儚さである。

 それらは、唯物主義とそれによる背信の輩と化した人間が作り出したシステムの矛盾でもある。近代的な都市と高度に発達した通信手段によって、都市生活者は、世界がまるで一つにつながっているかのような錯覚を持っている。しかし、コロナ禍によって消毒、マスクが常態となっている都市とは違い、日常の手洗いの水さえ事欠く人々。自分の臓器を切除して売ることによってその日の食をようやく手に入れている人々が現実にいるということ、しかもそのような人々は、コロナ禍によって死ぬ人々(これまでに約180万人が死んでいるが)、毎年その約10倍にも達している。それにも拘わらず、彼らは世界の都市生活者から忘れられていしまっている。新型コロナ禍の感染阻止のために使われる天文学的金額の僅か一部でも、このような矛盾と格差に苦しむ人々に回されれば、世界の貧困は一気に解消できるのだ。これもまた矛盾である。

 新型コロナウイルスによる世界の危機感は、感染の恐怖だけではなく、こうした恐ろしい現実が同じ地上に以前から存在していたことに対する神の挑戦ではないだろうか。それはまるで忘れていたものを思い出させる出来事である。そうしてこの出来事は、未信者たちだけではなく人間と教会、クリスチャンたちを原点に立ち返えらせる神のメッセージだと気づかされたのである。

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 注:都市の神学については、エリユエール著作集7,「都市の意味」(すぐ書房)を参照されたい。
フランス語オリジナルの表題は、『住むに家なく』 −「大都市についての聖書神学的試論」− となっている。

 都市に象徴される人間の一切の営みの基盤は、聖書にこそ啓示されていると
する。そして、今日その顕在が知られはじめた都市の隠された意味の諸側面の解明をとおして、聖書が永遠に神の啓示の書とされるゆえんを、きわめて雄弁に明証する。

 

 

<第3回に続く>    <—– クリック!

3,これからの教会

② 世界のニュー・ノーマルは「共生」である

 

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参考文献

 

・アルベール・カミュ著
「ペスト」(新潮社)

・フレデリック・F・ジャートライト著
「歴史を変えた病」(法政大学出版局)

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*・写真:あべのハルカス
・撮影場所:宝塚市(中山桜台)
・撮影: Shinichi Igusa      ・2020-12/4