一夫一婦・キリシタンの結婚 −久保田典彦−

写真(絵画):「祈る髙山右近」(水戸成幸・画、「髙山右近研究室・久保田」蔵)

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第39回 

 

 

 

 

阿武山福音自由教会 教会員

 久保田 Ucon 典彦
「髙山右近研究室・久保田」主宰

一夫一婦 ・ キリシタンの結婚

・ キリシタン達(男性)は、周りが、正妻以外に他の多くの女性を抱えたり、関係を持ったり(多妻・側室・愛妾など)・・・・・ といった悪習や色欲に溺れた生活が普通であった中で、

① 「貞潔を守り、一夫一婦」であるべきこと

② 「結婚は、デウス(神)が定められたもので、永続的な絆と永続的な義務が存在する」ということ

③ 「結婚は、デウスが結び合わされた契約である」

━━ ということを、宣教師達からしっかりと教え込まれていました。

・ 多くの妻や側室を持っていた者たちがキリシタンになるためには、“ただ一人の正妻以外の女性との関係を、解消・精算すること” が求められました。

・ あの豊臣秀吉でさえも、冗談半分に、

「もし伴天連らが、予に多くの女を侍らすことを許可するならば、予はキリシタンになるであろう。その点だけが、予にはデウスの教えが困難なものに思えるのだが・・・・・」

と言ったほどでした。

・ 結婚だけではなく、有名な 「十戒」(十のマンダメントス)の中には、

「邪淫を犯すべからず」 「他の妻を恋すべからず」

とあり、普段の生活の中においても、キリシタン達には、“ 性的なきよさ ” が求められていましたよ。

・ 勿論のこと、髙山ジュスト右近も、お父さんの髙山ダリオ飛騨守も、小西アゴスチイノ行長も、黒田シメオン官兵衛も・・・「一夫一婦」 側室などはいませんでしたよ!!

  • そもそも、「聖書」では、“結婚” についてどのように記し・教えているのでしょうか?

※ 「天地創造」の時点では、

勿論 「一夫一婦」 です。創造主・神によって、最初の人間として創造されたアダムとエバは「一夫一婦」の夫婦です。

最初に男・アダムが造られ、つづいて、ふさわしい助け手となるようにと、アダムのあばら骨を取ってそれを材料にして、女・エバが造り上げられました。

二人は、しっかりと結び合い・助け合い、“一体” というべきものとなりました。「もはや二人ではなく、一人なのです。」 二人を結び合わせ・結婚させたのは、主なる神でした。

このように、主なる神が結び合わせた、祝福いっぱいのアダムとエバの夫婦だったのですが、主なる神から、警告の戒めを受けていたのに、悪魔の誘惑に従ってそれを犯してしまい、悪・罪を、知る者・受け入れる者・愛する者となってしまいました。(原罪)

その結果、天地創造の時点の祝福は失われてしまい、人間だけでなく、自然・他の動植物など、被造物全体が苦難・患難を経験するものとなってしまいました。

あらゆる自然災害・病気・死・戦争・犯罪・暴力・いじめ・・・・・ すべて、天地創造の時点にはなかったものばかりです。

愛も歪んだものになってしまい、男女の関係も、性的に乱れたものとなってしまい、祝福・幸せの基となるはずの「結婚」までもが、歪められてしまいました。

一夫多妻 多側室 多そばめ ・・・・・

こうしたことの結果として、結婚本来の祝福をのがしていき、混乱していき、その誤りに対する当然の報いを、それぞれが、自分の身に受けていっているのです。

※ 「旧約聖書」では、

「多くの妻を持ってはならない。」(申命記 17:17)と、厳しく命令されていましたが、「詩篇」の大部分の作者であり・信仰の大勇者というべき、あのダビデ王ですが、性的にはグチャグチャで、信じられないほど節操がなく、「十戒」の第7戒「姦淫してはならない」・第10戒「隣人(となりびと)の妻を欲しがってはならない」を、次々と犯していきました。

おまけに、隣人の妻をわがものとするために、第6戒「殺してはならない」 殺人の大罪まで犯してしまいましたよ!

・ 妻 ミカル    によって     子ども無し
・ 妻 アヒノアム  によって     長子 アムノン
・ 妻 アビガイル  によって     次男 キルアブ
・ 妻 マアカ    によって     三男 アブシャロム
・ 妻 ハギテ    によって     四男 アドニヤ
・ 妻 アビタル   によって     五男 シェファテヤ
・ 妻 エグラ    によって      六男 イテレアム

これで終わりかと思いきや、これ以外に「さらに、そばめたちと妻たちをめとった」と、聖書は、ダビデの性的な罪を、ありのままに記していっています。

そして究極は、殺人・姦淫の大罪を犯しての「略奪婚」です。

忠臣ウリヤの妻バテシバを妊娠させ、ウリヤには、激戦の真っ正面に送り出し、部下に命じて、ウリヤを置き去りにして死ぬようにさせて、殺させました。

しかし、当然のことですが、「ダビデの行なったことは、主のみこころをそこなった」 のです。

ダビデの家庭は、祝福のない、どうしようもないほどの、平安がなく、争いが絶えないものとなっていきました。

ダビデと妻バテシバの子・ソロモンが、王位を継承していきますが、父ダビデの姿を見て育っていっていますから、性的には、どうしようもないほどのダラシなさです。

豊臣秀吉の女性関係のことが、よく問題になりますが、そんなレベルのものではありません。

ソロモン王には、700人の妻と300人のそばめがいたのです。

その子どものレハブアム王には、18人の妻と60人のそばめがいましたよ。

ダビデも ソロモンも レハブアムも ・・・・・ 「十戒」を犯し続ける一方で、他のものでは決して代用のきかない祝福を、のがしていってしまったのです。

※ 「新約聖書」では、

当然のことながら、「一夫一婦」です。 「ひとりの妻の夫である」ことが求められています。

“ひとりの妻の夫” というように、“ひとり” であることが強調されています。

「十戒」 の第7戒「姦淫してはならない」 についても、主イエス・キリストが、

「だれでも、情欲をいだいて女(異性)を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」

と教えておられます。

こうしたことにまで、厳しく私たちの思いを向けることが、配偶者(夫・妻)に対する真実の愛を育てていくことになり、あわせて、そのことが神からの祝福につながっていくわけですよネ!

 

※ トップの写真(絵画):
「祈る髙山右近」(水戸成幸・画、「髙山右近研究室・久保田」蔵)
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久保田 Ucon 典彦

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

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