新しい資本主義とは?〜その心情倫理〜 −亀井俊博−

写真:阪急 大阪梅田駅(撮影:2022-2/20)

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

 

「新しい資本主義とは?〜その心情倫理〜」

2022・1・26

(A)新しい資本主義とは? 島田恒先生の年賀状

 私は今年80才を迎えます。この歳になっても年賀状を沢山いただき、ありがたく思っています。その中に、教友で関西学院大学客員講師のキリスト者経営学者の島田恒先生が、“「新しい資本主義」って何なのか”と言う、短文ながら流石と思わせる文章を書いておられるのでご紹介します。

“岸田総理の公約の中で最も印象的なものは「新しい資本主義の実現」である。資本主義市場経済は社会主義経済を圧倒し、経済成長を支え富の拡大に貢献した。・・しかし勝ち誇った資本主義市場経済は新自由主義と言われ、企業による最大利潤追求、個人には能力主義が強化され、所得格差・環境軽視・公共倫理の低下などの問題が生じている。このままでは立ちいかなくなる現実の前に、岸田総理の言う「新しい資本主義」がテーブルに載せられたということができる”

と見事な分析がなされています。

 昨年、岸田氏が自民党総裁候補に名乗りを上げた時、“新しい資本主義構築を目指す”と公約を掲げ、私はきっと岸田氏なりの構想を総理になれば発表するのか、と思っていました。しかし、首相にえらばれると、これから諮問委員会を設けて検討する、と言う。がっかり何にも構想などなかったのです。失望でしたが文春2月号に首相自身の寄稿による構想が遅まきながら発表されました。その前に、TV番組BSプライムで発表されたのを、紹介します。

 岸田首相の分析では、現代経済の問題は、①格差、②デジタル化、③気候変動、だと言う。まず①格差問題は、経済だけの問題ではなく中間層の二極分解をもたらし、民主主義の基盤である中間層崩壊に至る危機だ。だから中間層再生を目指す政策が必要である。それが分配への注力である。しかし分配すべき富の算出には成長を欠かすことができない。そこで新しい資本主義のエンジンとなるべき、成長モデルが②、③への取り組みから生まれる。その具体策が(a)デジタル化推進、(b)気候変動対策、(c)経済安全保障、(d)イノベーション推進、である。

 政治はウエーバーによると、結果倫理だと言う。新しい内閣に期待して良き結果が出る様祈る者であります。しかしその前に焦眉のコロナ対策に成功するのが必須です。そこで私としては、心情倫理を求める牧師としての立場で、“新しい資本主義”のエートスを考察したいのです。以下、“新しい近代資本主とは?〜その心情倫理〜” との観点で、考え直すのもいいことではありませんか。

(B)島田恒先生の提案

 さてその上で、経営学博士の島田恒先生は次のような「新しい資本主義」を提示しておられます。“「基本方針」経済システムとしては市場主義を推進、発展を期し、その副作用を修正する。具体策:①経営者の所得制限(従業員平均年収の例えば30倍)、株主への配当制限(純利益の例えば一定期間で30%)、②所得税、相続税、贈与税、固定資産税の累進強化、③学生奨学金、成人スキルアップ研修の拡大、④教育費、医療費、福祉費の負担軽減と充実、⑤法人税は、成長と安定のため税率はあげない、⑥大企業にCSR担当取締役を義務付け、独立CSR機関を設置して派遣、企業の社会性を担保。ちょっと左寄りかな(笑)、みんなが総理になったつもり(笑)で考えてみたい”と結んでおられる。

 ドラッカー経営学の権威として企業経営、学界、教育界に長年貢献された島田先生のお説は誠に傾聴に価します。そこで私も素人ながら、“みんなが総理になったつもりで”考えよとのお勧めに従い愚考します。

(C)佐伯啓思名誉教授の論説

 そこで目に留まったのが、同様な趣旨で、最近保守の論客で有名な京大の佐伯啓思名誉教授(経済学)が「新しい資本主義」の問題提起をした記事です(朝日NP、「資本主義」の臨界点、2021・12・18)。

 教授によると、“今まで市場経済と呼ばれていた現在の経済システムの問題を岸田総理は従来の資本主義の危機と認識し、それを克服するため「新しい資本主義」を提唱しているとすれば、重要な見識である。そもそも資本主義の基本概念「資本」とはキャピタルで「頭金」の意味だ、キャップ、キャプテン等の原義である。頭金を基に市場に投資して収益を得て価値増殖を図り、さらにその資本を再投資して無限の価値増殖を図るのが資本主義だ。その結果、最小の経費で最大の利益を得るため、賃金は労働者から収奪、資源エネルギーは自然から略奪し、今日の格差、環境破壊問題が危機化している。勿論、このような市場至上主義の新自由主義の弊害を是正するため、政府による市場介入による、弊害是正政策がなされるが、人間の無限の欲望を肯定・拡大する資本主義の源である近代人の生き方を肯定する限り、解決は無理だ” と言う。

 結局佐伯教授の分析は、“科学技術を手に入れた人間は、自然を改変し自己の欲望を達成する事から、AI、遺伝子工学、生命科学、脳科学等で人間自身を改変し、飽くなき自由・富・寿命(不死、私のコメント)を得ようとしている。即ち本来有限で「死すべきもの」であるのに、無限で「永遠なるもの」(神、私のコメント)へと接近、人間の分限を超えようとしている。資本の無限の拡張の病根は、近代人の無限の欲望にある” と批判している。

(D)佐伯教授論説への評価

(a)非市場、市場経済

 佐伯教授のお説は鋭い。しかしいくつかの重要な問題がある。第一に資本主義の基本概念「資本」(capital)は元来、羊や牛の頭を指すカプート(caput)と言うラテン語で、家畜の頭数の多少が資本の規模になった古代ギリシャの経済(オイコス・ノモス)の考えです。マリノフスキー、ポランニー等の経済人類学の教えるところによれば、先史時代の共同体は自己資産の剰余(過剰)は蕩尽していたが、やがてそれを頭金(資本、元手、カプート)として他の共同体に投じて何らかの利益を得るための、贈与、略奪、戦争、交換、市場と言う多様な投機的経済関係が歴史的に発展していたのです。ですから佐伯教授の経済学の前提である市場は、様々な経済関係の一部でありそれ以外の大きな非市場経済関係があったのです。

 そこで第一に、市場経済一辺倒の行き詰まりの現代資本主義経済の弊害打開の為に、古来の非市場経済の重要性が見直され、贈与・寄付(ドネーション)やコモンズ(社会的共通資本・宇沢弘文、後期マルクス・斎藤幸平)が注目されているのです。第二、佐伯教授はノアの時代からある欲望肯定の資本主義と、近代資本主義の差異を無視している。教授はマルクシズムを批判されるが、教説は結局マルクスの祖述です。即ち資本の自己増殖運動こそ資本主義経済のシステムだと言う。その根底に近代人の無限の欲望肯定と言う根源悪があると言う。

(b)近代資本主義、前期資本主義

 しかし経済史の告げる処は、近代資本主義は、禁欲・勤勉の宗教倫理(アスケーゼ)を説く、プロテスタンテイズム、中でもピューリタニズムのエートス(倫理的生活態度)から生まれた歴史上一回限り、16、17世紀の西ヨーロッパに発生したのです(ウエーバー、大塚説)。即ち一攫千金のギャンブル的・僥倖的資本投機による、欲望肯定の資本主義を「前期資本主義」(海賊資本主義)と呼ぶなら、経営計画的資本再生産と言う資本投資のアスケーゼの資本主義こそ、「近代資本主義」と呼ぶべきだと言う事です。

 さらにそのアスケーゼの源はカルビニズム神学教理の「神による人間救済の二重予定説」にある。神が選ばれし者である確証は、神の召命である職業を通じ、神を愛し、隣人を己の如く愛すべしと言うイエスの教説を勤勉に実践する事によって得られる、とする宗教改革・ピューリタンの精神からのみ発生した。

 経済活動で言うなら、利己欲ではなく隣人愛のため投資する。そのため、自己の能力と時・金と言う資本を蕩尽・浪費せず、計画的に再投資して神の栄光を現わす経営活動が求められる。しかしその後、経済史は信仰の冷めるに従い「聖俗革命」(村上陽一郎)が起こり、神の栄光追及の宗教的情熱は失われ、前期資本主義の無限欲望拡大が復帰支配し、しかも勤勉、経営の鉄のエートスのみが残ったのです(「プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神」ウエーバー)。

 ですから近代資本主義は佐伯教授の説く欲望の無限肯定ではない。全く逆の禁欲・勤勉宗教的教説マインドから始まったのであり、教授の学説は近代資本主義発生史を無視している。単に人間のエゴ肯定を問題にしているに過ぎない。それでは解決は色即是空を説く仏教的出世間的厭世哲学か無為自然を説く老荘思想に返るか、いずれにしても歴史形成の原動力にはならない。

(c)生命の意義

 そもそも「生命とは何か」(ポール・ナース、ノーベル医学生理学賞)によると、生物学者のナースは、生命とは負のエントロピーをもたらす存在だと言う物理学者シュレジンガー(ノーベル物理学賞)の説を支持している。

 すなわち宇宙138億年の歴史、地球46億年の歴史、これは熱力学第2法則、エントロピーの法則(高温高圧は他からエネルギー・物質が新に補充されない限り、冷却・減圧し、秩序は崩壊する)が貫徹している壮大な歴史である。しかしおよそ40億年前、ただ一回限り、ある唯一の場所でエントロピーの法則に逆らう物質が発生した。それが生命だと言う。生命の特徴は、自己保存・維持と自己増殖である。それで生命の個として単位である細胞や個体は死滅しても、種としての生命は延々と存続・増殖し生命史40億年を豊穣に展開している。佐伯教授の欲望否定は生命否定である。なぜなら自己保存・維持、自己増殖の欲望こそ生命の徴なのだから。

 ただし、現代科学が量的生命拡大の欲望(バイオフィリア、E.フロム)駆られて暴走しているのに対して、キリスト教は質的生命、QOLを問い、バイオ(生物学的生命)の生命論に対して、ゾーエー(永遠の生命、永遠なる神との愛の交流に生きる)と言う霊的生命論を提示し(ヨハネ11:25,26)、欲望を煩悩・苦発生の根源として否定し、「色即是空」つまり生命の無・空化の絶対死(ネクロフィリア、フロム)を究極の救済とする死の宗教・仏教と大きく乖離している。なぜなら創造者なる神が生命を創造され、「はなはだよい」と肯定「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と生命を祝福されたからです(創世記1:28,31)。

 カルバンの説いた禁欲のアスケーゼは、量的生命から霊的生命へのコンバージョン(回心)を迫る教説なのです。佐伯教授の無意識の仏教的諦観が問われています。勿論、生命が神ではなく、神の被造物です。生命が自己増殖を至上命題としても、「あなたは私の他に、なにものをも神としてはならない」(十戒、第1戒)のであり、生命はあくまで神の栄光に仕える存在としての限定の中で、祝福されるべきです。強欲資本主義の生命論の問題は、創造者なる神を忘れた所にあるのです。ではその限定とは何か、を述べます。

(d)二つの道

 数十年前の事、私の教友某が若き日に米国で経営学を学んだ、P.ドラッカー教授のクラスで質問した事がある、“アジアでも資本主義経済が勃興しているが、ドラッカー教授はどう思われるか?”と。教授は“アジアの資本主義の将来はキリスト教を受容するか否かに掛かっている!”と答えられたそうである。近代と言うと、ルネサンス→啓蒙主義→フランス市民革命→ロシア革命しか眼中にない、日本の学者の啓蒙主義的視野狭窄問題があります。

 もう一つの近代、宗教改革→ピューリタン革命→英米市民革命があり、しかも後者こそ前者に歴史的に先立つ近代革命であったことを忘れてはならない。前者は無神論革命であり、後者は有神論革命であったのです。今もこの二つの道は激しく世界の深層で戦っているのです。ドラッカー教授の透徹した警告・忠告に耳を傾けるべきは、単にアジア、中でも中国だけでなく強欲資本主義に傾く欧米も同様です。

 今や成熟し衰退の危機感さえ漂う日本の「新しい資本主義」を問う時、佐伯名誉教授の路線ではなく、島田先生・ドラッカー路線を取るべきでしょう。そのこころは「近代資本主義」発生期のエートスである、“隣人愛”さらにそれを発展させた“地球環境愛”(拙著「環境神学」参照)のエートスと言う、聖書の説く心情倫理の限定にあると言うのが私の提言です。

(E)島田恒先生の具体策

 島田先生の「基本方針」は、経済システムとしては市場主義を推進、発展を期し、その副作用を修正するで、一見市場至上主義(自由競争セクター、必要なマインドは“アニマル・スピリット”(ケインズ))に思えますが、決してそうではなく、市場経済の副作用の修正策として。

「具体策」:①経営者の所得制限(従業員平均年収の例えば30倍)、株主への配当制限(純利益の例えば一定期間で30%)、②所得税、相続税、贈与税、固定資産税の累進強化が掲げられています。また先生ご自身がドラッカーに倣って非市場経済活動「非営利団体」(共生セクター、必要なマインドは“寄り添いのこころ”(遠藤周作))を重視し、キリスト者として NGO、NPO、病院、福祉施設等の経営助言に尽力なさっている事で伺えます。また先生の「具体策」:③学生奨学金、成人スキルアップ研修の拡大、④教育費、医療費、福祉費の負担軽減と充実に政策として明示されています。

 さらに企業経営の理念として、格差と地球環境問題の経済面からの解決のためには、隣人愛とそれをさらに拡大した地球愛の倫理、CSR(企業の社会的責任),SDGs(持続可能な開発目標)、さらにスチュワードシップ・コード(受託責任行動規範)が求められています。島田先生の「具体策」では、⑥大企業にCSR担当取締役を義務付け、独立CSR機関を設置して派遣、企業の社会性を担保にやはり明示されています。

 冒頭に述べた、岸田首相の「新しい資本主義」は、新自由主義市場至上主義の弊害を解決するための「成長」と共に「分配」を重視する資本主義と言う事のようです。これを私の心情倫理の視点から説くと、プロテスタントのアスケーゼの倫理から始まった近代資本主義のマインド(心情倫理)は「隣人愛」であり、現代はこれに「環境愛」を加える。その方法が、スチュワードシップ(管理者精神)であり、メルクマール(指標)が、①アニマル・スピリットによる「成長」、②寄り添いのこころによる「分配」の2政策と言う事になるでしょうか。

 と言う事で近代資本主義が堕落・形骸化した、現代資本主義システムの危機を、再生するマインドはキリスト教にある。自然との一体を説く仏教や神道からは、これといった具体的責任ある提言はないのです。キリスト教は古いと言ってはなりません、絶えず聖書に立ち帰り、自己改革し常に新しいのです。島田先生のキリスト者経営学者としてのご提案にその実例を見る事が出来ます。また私の心情倫理的提示も参考にして頂ければ幸いです。温故知新というではないですか。

 黙示録は告げる「あなたは初めの愛から離れてしまった。悔い改めて初めの愛に返りなさい」黙示録2:4,5

「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるべきである」マタイ9:17

「自分を愛する様に、あなたの隣り人を愛せよ」マタイ19:19

 

(注)①島田恒先生の最新著作「教会のマネジメント、明日をつくる知恵」(キリスト新聞社)は、現代教会へのエールです。

②なお、拙稿「寄り添い世代と、アニマル・スピリット世代のコラボ」SALTY1月27日論説も参考下さい。

*「働き盛り」のNPO  の紹介(東洋経済 ONELINE)
『ドラッカーも推奨!会社員こそNPOに入ろう』
https://toyokeizai.net/articles/-/153627

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