
ピヨ バイブル ミニストリーズ
代表 井草晋一
・SALTY 論説委員
・日本メノナイトブレザレン教団
武庫川キリスト教会 協力牧師
・「剣道とキリスト教」主催
「剣道とキリスト教」(第5回)
『必勝の神機』
~「気理合一」を目指して~
最近、小野派一刀流 宗家の笹森順造先生のいくつかの 言葉を思い起こします。
「必勝の神機」、「気理合一」、「日本人のとらざるところ」・・・。
「必勝の神機」とは、何でしょうか?
剣道の教えと、聖書の奥義「圧倒的な勝利」について、お話しします。

ピヨ バイブル ミニストリーズ
代表 井草晋一
・SALTY 論説委員
・日本メノナイトブレザレン教団
武庫川キリスト教会 協力牧師
・「剣道とキリスト教」主催
「剣道とキリスト教」(第5回)
『必勝の神機』
~「気理合一」を目指して~
最近、小野派一刀流 宗家の笹森順造先生のいくつかの 言葉を思い起こします。
「必勝の神機」、「気理合一」、「日本人のとらざるところ」・・・。
「必勝の神機」とは、何でしょうか?
剣道の教えと、聖書の奥義「圧倒的な勝利」について、お話しします。
2020年9月12日のコルネリオ会(防衛関係キリスト者の会)の例会(オンライン)で語られた、スティーブ・タウンさんのメッセージ(第4回)です。

米陸軍退役大佐
スティーブ・タウン
-2020.9.12 コルネリオ会での証-
<第5回:最終回>
<第4回より> <—– クリック
最後にもうひとつの話をします。市ヶ谷勤務を終了して、私はやっと軍を退役することになりました。32年間米軍将校として勤務しました。普通より2年長く勤務しました。予備役だったからです。私が最後の横田基地勤務をしていた時に、毎日通勤途上に、綺麗な大きな結婚式場があり、それを宣教センターとして使いたいと思っていました。ある時私は、その中に入り外側の階段を登りました。上からの景色は素晴らしく、これ以上日本で綺麗なところはないと思いました。私は、祈りました。「イエス様これが私に本当に与えられたら、イエス様のためにこれを使いたい」と祈りました。
本当に夢のような話ですが、助けて下さいと何度か祈りました。
写真(絵画):「祈る髙山右近」(水戸成幸・画、「髙山右近研究室・久保田」蔵)
『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ucon:第39回

阿武山福音自由教会 教会員
久保田 Ucon 典彦
「髙山右近研究室・久保田」主宰
・ キリシタン達(男性)は、周りが、正妻以外に他の多くの女性を抱えたり、関係を持ったり(多妻・側室・愛妾など)・・・・・ といった悪習や色欲に溺れた生活が普通であった中で、
① 「貞潔を守り、一夫一婦」であるべきこと
② 「結婚は、デウス(神)が定められたもので、永続的な絆と永続的な義務が存在する」ということ
③ 「結婚は、デウスが結び合わされた契約である」
━━ ということを、宣教師達からしっかりと教え込まれていました。
※ 写真:シロツメクサ
『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ucon:第38回

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
━ 久保田 Ucon 典彦 ━
キリシタン時代、聖書の翻訳は どうなっていたのでしょうか。
マルチン・ルターは、ドイツ国民の誰もが 「 聖書 」 を読むことが出来るようにということで、1522年に、ドイツ語訳の新約聖書を完成させ、出版していきました。
キリシタン時代の日本では、聖書翻訳は どうだったのでしょうか。
※ 写真:シモクレン(紫木蓮)
『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ucon:第37回

━ 久保田 Ucon 典彦 ━
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

西岡力
日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY- 主筆
救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)会長
「なぜ、父なる神さまはこのようなことが起きることを許しておられるのか」
キリスト教を信じるようになった後、多くの信者が心に抱く疑問だろう。少なくとも私は40年間の信仰生活で何回もこの疑問に直面して悩んだし、いまも悩んでいる。
昨年6月に、40年以上前に愛する娘を北朝鮮によって拉致され、ずっと救出のための国民運動の先頭に立ってこられた横田滋さんが天に召された。愛するめぐみさんに会えないどころか、その消息さえ正確に分からないままで、だ。
2020年9月12日のコルネリオ会(防衛関係キリスト者の会)の例会(オンライン)で語られた、スティーブ・タウンさんのメッセージ(第3回)です。

米陸軍退役大佐
スティーブ・タウン
-2020.9.12 コルネリオ会での証-
<第3回>
<第2回より> <—– クリック
9・11事件と予備役召集
その間、あの2001年9・11事件がありました。そこで予備役達がみんな少しずつ軍に戻されました。私も3年続けて何度も呼ばれましたが、海兵隊の力で呼び戻されることはありませんでした。しかし、最後に2004年にラムズフェルド国防長官が皆に向かって戻っていない陸軍予備役がいればクビになるとのことで、私は、ワシントンDCに呼び戻されました。再び軍に戻り、軍服を身に着けました。
でも信じられないのは、1992年に現役を退役した時は、階級が大尉でしたが、予備役から戻ったときは大佐になっていました。私はワシントンDCに戻って1年間勤務しようと思っていましたが、「あなたが行くところは、イラクのイラクのアブグレイブというところで仕事を担当して欲しい」と言われました。その時、私はその場所がどういうところか聞いたこともありませんでした。後でニュースなど聞いたのですが、捕虜収容所で規律が大変乱れていた場所だという事がわかりました。
そして司令官室で「なぜ私がそこに行くのですか」と聞いてみたところ、「あなたが選ばれたのは新司令官として現在の最悪状況を国連の規定に従うように、きちんとしたやり方に戻す任務をして頂きたい」とのことでした。つまり、「そこを片付けて元の捕虜収容所のように良い場所に戻して頂きたい」と言われました。
私は全くそのような関係の仕事をしたこともなかったのでとても心配でした。けれども祈りました。家族にも祈ってもらい、皆でこのために祈りはじめました。そこに行く2日前に司令官に呼ばれて、私が言われたのは、不思議なのですが、「あなたは日本の東京にあるアメリカ大使館において駐在武官になってもらいたいので、アブグレイブの任務から東京に戻します。」と言われました。
・写真:梅の花(能勢川バイブルキャンプ)

バイブル・ソムリエ:亀井俊博
「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師
執筆:2021年1月13日
<第4回(最終回)>
・4回の連載で掲載いたしました。(SALTY編集部)
<第3回>より <—– クリック!
(a)コロナと宣教学(ミッシオロジー)
世界宣教の使徒パウロは、議会サンヘドリンに訴えられた訴状で「この男は、疫病(ロイモス)のような人間で、世界中に」伝道している人物と紹介されています(使徒 24: 5)。今、世界の教会はパウロに倣ってコロナ感染の“疫病”に勝る、福音宣教力(感染力?)を頂く聖霊によるリバイバルの好機にいると信じます。
京都学派今西スクールの生態学者、梅棹忠夫の著作「文明の生態史観」にほとんど注目されませんが、興味深い疫病と宗教との関係を取り上げた、論文があります。梅棹によると、感染病はヒトの体に感染する様に、宗教も精神的に感染するので似ている。まあ、疫病と宗教を似ていると言うのは、冒涜的に思いますが、我慢してお聞きください。コロナ時代の宣教学に参考になる事もありますから。
・写真:エリカクリスマスパレード

バイブル・ソムリエ:亀井俊博
「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師
執筆:2021年1月13日
<第3回>
・4回の連載で掲載いたします。(SALTY編集部)
<第2回>より <—– クリック!
(c)コロナの非人称関係論的神学考察
①前近代的思考、近代的思考
まず、コロナを(われーそれ)非人称関係論的神学の観点から考察します。生態系としての地球環境の一自然現象としてのコロナと人間との関係です。コロナは自然現象であり、人格はありませんので、非人称関係と言う事です。
前近代の時代では、疫病は疫病神・怨霊の仕業、仏罰、神罰(梅原猛の怨霊封じ思想、古神道、仏教)、治療は加持祈祷、祭礼でした。また中国では天地の気の乱れが体内に侵入し身心バランスを崩すのが病気であり、鍼灸、漢方薬による合理的治療が一部でなされたが、やはり悪霊の業への非合理的呪術(道教)が大勢であった。まさにM・ウエーバーの説く「呪術の花園」(「儒教とピューリタニズム」)であった。さらにはキリスト者でも神の裁きだとか、現代でも一部の人は想うでしょうが、そう言う前近代的、非科学的思考はユダヤ・キリスト教による「脱呪術化」的思考により形成された近代科学教育の洗礼を受けた現代人には、少なくとも意識的には通用しないでしょう。勿論一皮むけば前近代的思考が深層意識にあって、こういう危機の際頭をもたげ、お祓いや厄落とし、疫病退散の護摩焚き祈願に向かうのですが、精神的退行現象です。
ここでは、19世紀「近代細菌学の父」と言われる、R・コッホ(結核菌、コレラ菌)、L・パスツール(狂犬病菌、炭疽病菌)による細菌の発見、治療法としてのワクチン開発、公衆衛生学の普及等の、近代医学と言う非人称(われーそれ関係(M.ブーバー、人間と自然科学の対象としての自然との関係でコロナを論じる)関係を共通思考の前提で考察します。
・写真:雪の中の蕗の薹

バイブル・ソムリエ:亀井俊博
「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師
執筆:2021年1月13日
<第2回>
・4回の連載で掲載いたします。(SALTY編集部)
<第1回>より <—– クリック!
これより本旨に入って、教義神学とコロナとの関係を考察します。教義神学にも多くの教義項目がありますが、特に創造論との関係を述べます。その前提の私独自の創造論を述べます。
万物の起源を論ずる神学が創造論であり、終わりを論ずるのが終末論です。万物の起源についての人間の考察は、①無起源・無終末を説く循環論(仏教、輪廻転生)があり、②起源を認める論には、“うむ、なる、つくる”の三つの立場があります(「歴史意識の古層」丸山真男)。“生む、成る”は神道、儒教的立場です。“造る”が三大一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)です。
創造論は特にキリスト教で発展し、近代科学を生み出す要因の一つになったと言われます(「近代科学の源流」伊藤俊太郎、「近代科学と聖俗革命」村上陽一郎)。正統的な創造論は既刊の神学書に譲り、現代の創造論を“生態論的創造論”とした神学者、J.モルトマンの立場で今回のコロナ問題に対応します(「創造における神」、J.モルトマン組織神学論叢 2 )。さらに構造主義神学的方法論として私の説く人称関係論的神学的観点からお話しします(拙著「まれびとイエスの神」、講話)。