※ 写真:シモクレン(紫木蓮)
『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ucon:第37回
━ 久保田 Ucon 典彦 ━
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
当時、戦時配給米の基準は、1人1日6合でした。それぐらい食べなければ、十分な戦闘は出来なかったのです。
※ 写真:シモクレン(紫木蓮)
『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ucon:第37回
━ 久保田 Ucon 典彦 ━
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
※ 写真:フランシスコ・ザビエル肖像(神戸市立博物館 蔵)
『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ucon:第36回
━ 久保田 Ucon 典彦 ━
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
● 公式に 中国 ( 明 ) に入国する手立てが 無くなってしまったまま、ザビエルは、 “ 何とかして 中国に入国したい! ” という 強い思いをもって、密貿易地である 上川島 ( サンシャンとう ) に、1552年8月の終わり頃に 上陸しました。
当時 この時期、ポルトガル人や 船乗り、その僕 ( しもべ ) たちが2千人ほど 住んでいて、ザビエルは、彼らのために、竹とむしろで 小さな聖堂を建て、司祭としての働きを 始めていきました。
中国人の商人たちに、 “ 広東に渡りたい ” と話してみますが、誰も協力を約束しませんでした。
“ もし、外国人を 中国に入国させる者に対しては、死刑の宣告がされていた ” のです。
※ 写真の正面の山が、沢城のあった 城山 ( 525m )
『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ucon:第35回
━ 久保田 Ucon 典彦 ━
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
● 大和を治める 松永久秀 ( 弾正 ・ 霜台 ) のもとにあって、大和 ・ 沢城を託されていたのが、髙山飛騨守 ( 右近の父 ) でした。
主君の松永久秀は、熱心な法華宗徒でしたが、家臣の髙山飛騨守も 同様でした。
飛騨守は、同じ 松永久秀に仕える ・ あれほどの学識のある結城山城守、そして、清原枝賢までもが、キリスト教の話を聞き、信じて、洗礼を受けたことを知り、これは 重大な出来事であり、キリスト教には、何か 重要なことがある と感じました。
● 丁度、二人に洗礼を授けるために 奈良に来ていたヴィレラ神父が、日夜、ロレンソ修道士を通訳として、神のことを伝えていた集まりに出かけて行き、くりかえし熱心に、神 ・ デウスのことを聴聞し、異常なほどの感銘を受けたのでした。
そして、ただちに、そこで ヴィレラ神父から洗礼を授けてもらい、
“ ダリオ ” の霊名を授かったのでした。 髙山ダリオ飛騨守。
※写真:芥川城跡説明板より
『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ucon:第34回
━ 久保田 Ucon 典彦 ━
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
━ 久保田 Ucon 典彦 ━
● わが町 ・ 高槻にも、城跡が遺(のこ)されてきているものとして、
「 高槻城 」 と 「 芥川城 」 が ありますが、
お城 というと、とかく、天守などの建物や 土塁 ・ 石垣 ・ 堀 が 関心の中心に なりますが、築城された後の 維持管理が、実は、なかなか 大変だったようですョ。
● 城には、配備される 軍勢 ・ 城兵が、有事でなくても、何十人規模で 常駐することになります。
彼らを いっさい、理由もなしに、城外に出してはいけませんし、何か用事があって 城外へ派遣する場合は、特別に、城主が出す手形を 門番の兵に見せて、外出することになります。
臨時的な ・ その場しのぎの城でなく、ある程度の期間 使おうとする城の場合、維持管理が出来ていないと 意味がありません。
『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ucon:第32回
━ 久保田 Ucon 典彦 ━
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
━ 久保田 Ucon 典彦 ━
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
● 髙山右近たち、キリシタン時代の 茶の湯において、大切に考えられていた 3つの事柄は、
「 市中の山居(しちゅうのさんきょ) 」 「 和敬静 ( 清 ) 寂(わけいせいじゃく) 」 「 一座建立(いちざこんりゅう) 」
━━ ということでした。
これらのことを 極めながら、
“ 世間の すべてのものから離れて、真の 心の自由に至り、世の移り変わりを越えて、心の安定と平和に至る ”
ことを 目指していったのでした。
━ 久保田 Ucon 典彦 ━
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
● 私たちの 主イエス・キリストにも、髙山右近にも、当時の、残された画像があるわけではありません。
イエス・キリストの場合は、「 聖書 」 があります。また 歴史史料を補助として、“ 私のキリスト像 ” を心に描いていくことになります。
“ これが正解 ” というものが ないわけですから、百人百様 の キリスト像になります。
絵画 ・ 彫刻 ・ 小説 ・ 映画 ・ ドラマ ・ 音楽 ・・・・・ いろいろな形で表現された キリスト像を見て、共鳴し・感動してきました。
それぞれが、真摯に、精一杯の キリスト像を描き ・ 演じ ・ 表現しています。
それぞれに対して、私の琴線に触れるものには、私も共鳴していくことになります。
━ 久保田 Ucon 典彦 ━
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
━ 久保田 Ucon 典彦 ━
日本で最初に祝われた クリスマス は、いつのことで、どのようなものだったのでしょうか。
いつのことか、と言いますと、今から 467年前の、1552年12月25日 のことです。
時代で言いますと、室町時代になります。
宣教師の フランシスコ ・ ザビエルが、日本に キリスト教を伝えたのが、1549年のことですから、その3年後に、日本最初の クリスマス ミサ ・ クリスマス礼拝がささげられました。そして、愛餐会がもたれ、祝われています。
場所は、山口県山口市の 司祭館 においてです。
※ 写真:「祈る髙山右近」 (水戸成幸・画)
『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ucon:第25回
━ 久保田 Ucon 典彦 ━
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
● 髙山右近も お父さんの飛騨守も、 「 祈りの人 」 でしたよ!
高槻城内にあった教会、今の 野見神社の所にあった教会では、毎朝、早天のミサ ・ 早天祈り会が持たれていました。
毎朝、キリシタン達が集まってきて、祈りをささげていたわけですが、教会に 一番にやって来たのは、誰だったと思いますか?
高槻城主である髙山右近か、お父さんの 飛騨守か、この二人の内の どちらかだったのです。
久保田 Ucon 典彦
阿武山福音自由教会 会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
<SALTY 寄稿文>
日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY-
『第一回公開講演会 in 大阪』
テーマ:【 キリスト者と政治 】
2019年10月14日 ( 月 ・ 祝 ) 14:00 ~ 16:45
会場 : 大東キリストチャペル
後藤献児朗 ( サーブ介護センター 代表 )
依田啓示 ( カナンファーム 代表 )