皆の衆、大日を信じなされ! − 久保田 Ukon 典彦 −

『キリシタン史からのメッセージ』

 高槻・Ukon:第16回

 


久保田 Ukon 典彦

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

皆の衆、大日を信じなされ!

● フランシスコ ・ ザビエルが 宣教師として、キリスト教的基盤の一切ない 日本の国にやって来て、それまで 人々が 聞いたことのないような、キリスト教の 神や信仰を伝えていったわけですから、その大変さは、私たちの想像を はるかに超えたものだったことでしょう。

 日本人に 日本語で キリスト教を伝えていくために、パウロ弥次郎という よき協力者を得たわけですが、弥次郎の 宗教的基盤は、仏教の 真言宗でしたし、それ以外に 日本語としての キリスト教用語なんて ないわけですから、既成の言葉の中で、最も近い意味の言葉を選んでいくしかありません。

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ザビエルと弥次郎との 対話・言行一致しているなら! − 久保田 Ukon 典彦 −

『キリシタン史からのメッセージ』

 高槻・Ukon:第15回

 

 

※写真は、大分駅前の「フランシスコ・ザビエル像」

 

久保田 Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

ザビエルと弥次郎との 対話 ・ 言行一致しているなら!

「耳でだけ説教を聞くより、この目で説教を見たい。
ただ正しい道を教えるだけの人より、正しい道をともに歩く人がほしい。
そして、何にもまして望ましいのは、説教者たちが、彼らの信条どおりに歩むことだ。なぜなら、だれもが必要としているのは、正しいことが実行されているのを見ることだから。」(エドガー・A・ゲストの言葉)


日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、1547年12月7日頃に、マラッカで初めて、日本人・弥次郎と会いました。
 弥次郎は、かなりポルトガル語が話せましたので、通訳なしで、直接に、日本人と意志の疎通が出来たわけで、ザビエルは、弥次郎と出会ってから急速に、日本人や日本社会に関心を寄せていくことになります。

三木パウロの十字架上からのメッセージ   −久保田 Ukon 典彦−

『キリシタン史からのメッセージ』

高槻・Ukon:第14回

 

 

 

 

久保田 Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

三木パウロの十字架上からのメッセージ

 「 河内キリシタン 」の 三木半太夫の息子で、「 日本二十六聖人 」の一人となった 三木パウロ が、十字架上から語った 最後の言葉が ルイス・フロイス神父によって記録されていますが、どのような内容だったのでしょうか。

 「 日本二十六聖人 」と言われている人たちが、長崎の 西坂の丘で十字架にかけられ 殉教したのは、1597年2月5日。

 当時、長崎にいた ルイス・フロイス神父が、1か月後の 3月15日付で、殉教者たちの 最後の様子を 記録にとどめてくれています。

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苦難に対する三つの型 –久保田 Ukon 典彦–

『キリシタン史からのメッセージ』

高槻・Ukon:第13回

 

 

 

 

久保田 Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

苦難に対する三つの型

● 豊臣秀吉、続く 徳川家康や 秀忠、江戸幕府による 過酷なキリスト教禁教 ・ 迫害 ・ 弾圧が続いていき、バテレン ( 宣教師 ) や キリシタン達は、大変な経験をされていったわけですが ・・・・・・・

 戦国の この時期の弾圧が、歴史的に 他に例のないほどの 特別なものだったのか ━━ というと、それは そうではないようです。

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信徒全員の活動 – 久保田 Ukon 典彦 –

『キリシタン史からのメッセージ』

高槻・Ukon:第12回

 

 

 

 

久保田 Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

信徒全員の活動

  •  キリシタン時代の、一般信徒の活動・働きの大切さを見ていきたいと思うのですが
     私が在籍しています阿武山福音自由教会は、ここ4年3か月の間、髙山右近の頃の高槻教会と同じように、無牧・常住の牧師はいませんでした。

リタイアされた牧師など、いろんな方々が協力してくださいましたが、基本的に信徒でやってきました。
召天告別式(お葬式)も2回ありました。
礼拝メッセージも、どなたもお越しいただけない時は、信徒が交代でやってきました。 “ 世話人” と呼んでいる教会役員が4人いて、私もその一人でした。

この9月から、女性牧師が赴任してくださいました。 感謝主!

司祭・牧師が、各教会にいてくださるのは理想ですが、司祭・牧師の不足は、人々がどんどん救われていくのだとしたら、当然のことであるとも言えます。

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髙山右近さんとの対話 – 久保田 Ukon 典彦 –

『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ukon:第11回

 

 

 

 

久保田 Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 

髙山右近さんとの対話

● もし、私(久保田 Ukon 典彦)が、右近さんの時代に生きていて、右近さんに 教えを お願いするとしたら ━━ どうなるでしょうか。

※ 1600年 長崎出版 「 どちりな きりしたん 」 を もとにして

右近 「 『 ぱあてるのすてる 』 ( 主の祈り ) の おらしょ ( 祈り ) を知る事 肝要なれば、いま教ふべし。

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“高札撤去” ・ 信教の自由 ? − 久保田 Ukon 典彦 −

・写真:「キリシタン禁制の高札」(江戸時代)・カトリック高槻教会 所蔵

『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ukon:第10回

 

 

 

 

久保田Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

“高札撤去” ・ 信教の自由 ?

 明治時代になっても まだ、キリスト教禁教 が続いていたようですが、どういう事情だったのでしょうか。

 1858年 ( 安政5年 ) に、アメリカ ・ オランダ ・ ロシア ・ イギリス ・ フランス と 「 通商条約 」 が締結され、鎖国が解かれて、開国していきましたが、“ 関税自主権 ” や “ 治外法権 ” などの点で、不平等な条約でした。

 こうした 不平等条約の改訂に向けての 地ならしのため、1871年 ( 明治4年 ) に、岩倉具視を団長とする使節団 ・ 48名( 他に 5名の女子留学生 ) が、横浜を出帆、海路、アメリカ ・ 続いて欧州諸国 ( イギリス ・ フランス ・ ベルギー など ) を巡訪しました。

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干しいちじく、そして 織田信長と干し柿 −久保田 Ukon 典彦−

『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ukon:第9回

 

 

 

 

久保田Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

干しいちじく、そして 織田信長と干し柿

● 妻から、 「 こんなのが売ってあったので、買っておいたよ。」
━━ と言って、差し出されたものを見て ビックリ !
【 ドライいちじく 】  DRIED FIG
ポルトガル産ではなく、トルコ産の [ ドライいちじく ] でした。

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キリスト教用語としての「神」 −久保田 Ukon 典彦−

『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ukon:第8回

 

 

 

 

久保田Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

キリスト教用語としての「神」

● 今、私たちクリスチャンは、天地創造されたお方を 「神」 と呼び、理解しているわけですが、ここに至るまでには、宣教師達・キリシタン達のはかり知れない模索と とてつもない労苦があったことを覚えます。

 宣教師達は、キリスト教の基盤も用語も何もない日本の民に、天地創造されたお方を伝えていこうとしたわけですが、ラテン語やポルトガル語で伝えていくわけにはいきません。
既成の日本語に置き換えて、伝えていくことになります。

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日本人に適応させるために −久保田Ukon 典彦−

『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ukon:第7回

 

 

 

 

久保田Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

日本人に適応させるために

 ポルトガル・コインブラ学院の神学教授だったジョルジェが数人の神父たちと共に、「ドチリナ・Doctrina」を作成し、それが、1566年にリスボンで出版されました。

好評で、各地で用いられ、日本にも、1570年頃伝えられました。

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