ザビエルと弥次郎との 対話・言行一致しているなら! − 久保田 Ukon 典彦 −

『キリシタン史からのメッセージ』

 高槻・Ukon:第15回

 

 

※写真は、大分駅前の「フランシスコ・ザビエル像」

 

久保田 Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

ザビエルと弥次郎との 対話 ・ 言行一致しているなら!

「耳でだけ説教を聞くより、この目で説教を見たい。
ただ正しい道を教えるだけの人より、正しい道をともに歩く人がほしい。
そして、何にもまして望ましいのは、説教者たちが、彼らの信条どおりに歩むことだ。なぜなら、だれもが必要としているのは、正しいことが実行されているのを見ることだから。」(エドガー・A・ゲストの言葉)


日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、1547年12月7日頃に、マラッカで初めて、日本人・弥次郎と会いました。
 弥次郎は、かなりポルトガル語が話せましたので、通訳なしで、直接に、日本人と意志の疎通が出来たわけで、ザビエルは、弥次郎と出会ってから急速に、日本人や日本社会に関心を寄せていくことになります。


短期間のうちに、弥次郎から、日本に関する必要な情報を得、日本宣教の可能性を判断し、日本行きの可否を決断していくことになりました。

※ 弥次郎と初めて会って、一か月後の、ザビエルの手紙

 「私は、弥次郎に向かって、もし私が彼と共に日本へ行ったら、日本人は、はたして信者になるであろうかどうかを、尋ねてみた。

 彼の答えるところによると、日本人は直ぐに信者になることはないであろうけれども、まず始めに多数の質問をするだろう。
それから、私の答えと、私にどれほどの知恵があるかを研究する。
そして、何よりも、 私の生活が、私の教えるところと一致しているかどうか を、検討するであろう。
つまり、討論において、私が、彼らの質問に満足な答えを与えると共に、私の生活ぶりに非難する点がないという、この二つのことに及第すれば、おそらく、こんな試験期が半年ほど続いて後、国王を始め、武士も、思慮のあるすべての人達も、キリストへの信仰を表明するようになるであろうと言う。
弥次郎の言葉によると、日本人は、理性のみに導かれる国民だと言う。」

※ 主イエス・キリストは、群衆や弟子たちに、当時の宗教指導者であった律法学者やパリサイ人(びと)たちについて、このように話されましたよ。

「彼らが、あなたがたに言うことはみな、行い・守りなさい。
けれども、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。」
「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。」とも言われて、 「偽善者」 として13項目にわたって、くり返し・厳しく、糾弾されています。 (マタイの福音書 23章)

 これは、ユダヤ教の指導者たちのことで、クリスチャンではありませんが、キリスト教の指導者やクリスチャンが同じようであったとしたら、大変です。
使徒パウロは、若き献身者・テモテに対して、便りの中で、次のように勧めています。
「ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範になりなさい。」
又、パウロは、ピリピやテサロニケにあった諸教会のクリスチャンたちに対しても、
「私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように、私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。」
「私たちを見ならうようにと、身をもってあなたがたに模範を示すためでした。」
━━ と、勧めています。

 主イエス・キリストも、「最後の晩餐」の席で、しもべの姿となられて、汚れた弟子たちの足を、一人一人洗っていかれました。
(*洗足・せんそく)

「主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた、互いに足を洗い合うべきです。 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。」(ヨハネの福音書 13章)

「みことば(神のことば)を実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコブの手紙 1章22節)

 

[参考図書] 「聖フランシスコ・デ・ザビエル書翰抄」(岩波文庫)

  
<上巻>     <下巻>

 

久保田 Ukon 典彦

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
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「髙山右近研究」をライフワークにしています。
髙山右近やキリシタン達を通して、いっしょに考えていければと思います。