戦争について考える(その2)−後藤望−

後藤望(ごとう のぞみ)
元航空自衛官、救難員として奉職。
現在は鍼灸師として西洋医学の隙間に落ち込んでいる人を助けたいと願っている。 将来はネット伝道師として働きたいと、現在JTJ宣教神学校で勉学中。 ベンチプレス105キロの体育会系クリスチャン。


憲法九条について

 安倍政権は、今までタブーとされてきた事に対して着手しようとしていることから、政権を強く批判する方々がおられます。一般社会と同様、キリスト教界の中にも安倍首相批判の動きに同調する人も、少数とはいえ存在します。その是非はともかくとし、その非難の大きな理由が憲法九条改正の問題だと思われます。

 憲法改正の問題は、九条二項をそのまま残して新たな文言を書き加える「加憲」と、二項そのものを削除しようとする「改憲」がありますが、ここではその詳細について書くことを控え、まず憲法九条そのものの持つ意味と、そこから導き出される問題、そして「中立」について考えてみたいと思います。

 憲法九条の問題に言及する時、ハーグ陸戦条約とジュネーブ条約を骨子とする戦時国際法に触れなくておかなければなりません。
ところが日本人の多くは、戦争を行う際にハーグ陸戦条約などの「国際法に規定される戦争のルール」があるということを知りません。
この戦争に関する「ルール」を、知って頂くために根気よく啓蒙活動を続けることは、とても大切なことだと思いますので、前回の記事でも取り上げました。

 

憲法第九条

 まずは、憲法第九条をご覧ください。
第1項
『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』
第2項
『前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』

憲法九条はこの二項で構成されております。
第1項は、国連憲章にも類似した、一般的・普遍的な平和希求の文言ですから、それほどの問題を感じません。
問題は第2項です。「戦力を保持しない」「交戦権を認めない」と、はっきり「武力の放棄」を規定しています。
この文言から、現在の自衛隊の存在そのものが違憲とされるが故、軍事行動も違憲という解釈となてしまうのです。

 政府は国連憲章にも認められ、且つ全ての国が保有する権利としての「自衛権まで否定するものではない」とし、自衛隊および自衛隊が行う交戦は違憲ではない、としていますが、これはあくまでも自衛隊を存続するための、いわば強引な解釈と言えるのです。
そして政府は、国民感情を煽ることを懸念し憲法改正について「現状を変えるものではない」と言及していますが、この言葉は極めて無理を感じます。現状を変える必要がある(変えなくてはならない)からこそ、改憲案を持ち出しているのです。
政治家に対し「正直に話せ」と言う事自体、ワニに腕立て伏せを求めるのと同じであり、無理な注文なのでしょう。


憲法九条第2項の問題点

 次に憲法九条第2項の問題点に触れます。
「自衛」と言えども軍事力を保有することは必要不可欠であり、当然のことなのです。それを放棄してしまったら、文字通り丸裸になってしまうのです。これでは「自衛」すらできなくなります。
「自衛のため」が自衛隊の存在理由になっているのですが、「戦力ではない軍事力」という矛盾した状況の中では、何をするにもこの矛盾が足かせとなってしまうのです。

 余談ではありますが、自衛隊には「軍事法廷」が存在しません。軍事に関わる犯罪であっても刑法や民法、さらには出入国管理法などの一般的な法律で対処をしなくてはなりません。例えば国境を越え領空や領海を侵犯されても、それを取り締まるための法律がなく、基本的に出入国管理法で対応するしかありません。また侵犯を阻止する対応は、刑法上の「正当防衛」の扱いとなるのです。つまり相手が攻撃してくる態度を示さない限り、こちらから攻撃するための根拠法令の整備がなされていないのです。
こうした具体的事案は、今回の内容とは異なるので、割愛させていただきます。

憲法九条の「平和宣言」から読み取れることとして、
1、戦争を仕掛けない
2、戦争に加担しない
3、武力をもたない
4、武力攻撃されても応戦しない
などが挙げられます。
上記1及び2は、紛争には関わらない、いわゆる局外的立場に立つ、つまりは「中立」を保ちたいという願いでしょう。しかしこの「中立」という姿勢には、様々な義務があるのですが、これが意外に知られていないのです。

最近ではほとんど語られなくなりましたが「非武装中立」という考え方がありました。
これは極めて非現実的な単なる理想論に過ぎないと言われておりますが、キリスト教界では、聖書に「武器を農具に造り変える」(注:*1)という言葉があるため、この「非武装中立論」に回帰願望をもっている牧師や信徒がいるのです。

次回、この「中立」という言葉を分析し、「中立に関する義務と権利」について書いてみたいと思います。

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(注:*1)イザヤ書 2章4節

主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。
彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、
国は国に向かって剣を上げず、 二度と戦いのことを習わない。