トランプ米政権による「世紀の取引、中東和平案」−明石清正−

写真:Wikipediaより

 

 

明石清正
カルバリーチャペル・ロゴス東京 牧師
ロゴス・ミニストリー 代表

日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY-  論説委員

 昨晩、トランプ政権の作成した、「世紀の取引(Deal of the Century)」の、初めの50頁ぐらいの骨子になる部分だけを、じっくり読んでみました。以前、マスコミから漏れ聞いた話と重なっていました。

Peace to Prosperity | The White House

「土地と平和の交換」から「現実的な二国家案」へ

 一言でいうならば、この骨子が言っているように「現実的な二民族・二国家」案です。イスラエルに対しては「安全保障」について、パレスチナに対しては「経済発展」について、的を射た議論をしています。

イスラエル人の心に埋め込まれた「防護壁」

 イスラエルは、建国時、労働党という左派政党が主流となって、長いこと国の運営をしていました。途中で、ベギンという右派の政治家が首相となり、リクード党が始まりましたが、全体が左派から右派になったのは、「オスロ合意」の事実上の破綻からです。

 私が初めてイスラエルに行ったのは、1999年のこと、その時にベツレヘムに行きましたが、とても賑わいを見せていましたし、イスラエル領から、いつ、パレスチナ自治区になったかわからないほどでした。しかし2000年9月28日に第二次インティファーダ(蜂起)が起こり、そのきっかけというのは、「土地と平和の交換」の原則に基づいて、時のエフド首相がアラファト議長に、信じられないほどの譲歩を見せたはずなのに、アラファトがそれを一蹴、その代わりに、自爆テロを仕掛けてきました。

 パレスチナ側は、「譲歩ゼロ」なのだという思いが、イスラエル人の根底に植え付けられました。そこで従来、イスラエル建国前の指導者であり、「修正主義シオニズム」という右派思想を打ち出した、ジャボティンスキーが唱えた「鉄の壁」を、イスラエル人にも深く、共有されるようになりました。それはすなわち、「アラブ人には力をもって意思表示をする」というものです。事実、そういった面がこれまでの歴史にはあり、四度に渡る中東戦争において、アラブの盟主であったエジプトに連勝し、その力をしったエジプトが現実路線へ急旋回し平和条約を結ぶことができたし、同じくヨルダンとも平和条約を結び、そしてシリアとは事実上の平和を保つことができています。

 ともかくも、そこで文字通りの「分離壁」また「分離フェンス」をイスラエルは建設ことによって、自爆テロは激減、イスラエルに平穏が戻りました。ところが、私が次にイスラエルに行ったのは2008年ですが、分離壁の向こうにあるベツレヘムは、閑散としていました。その壁に、深い悲しみを覚えました。しかし、人命には変えられないのです。

 イスラエルのアラブとの戦いは、四つの中東戦争から、ゲリラ組織との戦いに移行して、今にまで至っています。パレスチナ自治区はできたものの、そこからのテロ行為は後を絶たず、治安においてはパレスチナ当局はイスラエル当局と協力していますが、しかし、自治政府は、教育においてユダヤ人憎悪を今も植え付け、テロリストの遺族には生活保障を行っているという、従来のテロ組織、パレスチナ解放機構の路線を、未だ化石のようにアッバス議長は踏襲しています。

 ですから、ガザ地区からロケットを飛ばすハマスやイスラム聖戦のみならず、ヨルダン川西岸にも過激派組織は活発に動いており、そこからイスラエル領に対して攻撃することは目に見えているので、イスラエル軍のような自衛軍をパレスチナ自治政府が持たないという条件で今にまで至ります。軍事的なことはイスラエルの管轄です。そして地形的に、ユダヤ・サマリア山地の東、ヨルダン渓谷は安全保障上、絶対にイスラエルが譲ることができないものであり、六日戦争以後、イスラエル軍は、西岸地域の中で最も重要視しているのが、ヨルダン渓谷です。

Israel’s Critical Security Needs for a Viable Peace

 こういった現実と内情を、「世紀の取引」では、要点を抑えて網羅しています。

パレスチナ人の民族郷土

 そして、パレスチナ人のほうは、ともかくも不満がたまっています。彼らもアラブ人、イスラエルに武力闘争しても、功をなさないのは痛いほど知っています。ですから一般庶民による蜂起は、かつての自爆テロはほとんど無くなり、せめてやっても、燃やすタイヤをイスラエル軍の兵士たちに転がすとか、石を投げるとか、それから、殺傷するならナイフで・・ということになります。ですから、暴力に訴えるという力は、ハマスのように、イランやカタールから資金援助を受けるような組織力はないので、もはやありません。

 彼らの目に見える苦しみというのは、民族意識でしょう。パレスチナという「国」は無かったと言えども、郷土としては明確に位置付けています。イスラエル建国前から住んでいた祖父母を持つという事実は変わらず、「ナクバ(第一次中東戦争。独立戦争)」によって、祖国が奪われた民族という民族意識が生まれました。

参考記事:「「ナクバ」を超えて──パレスチナの未来のためにできる7つのこと

 しかし、そこはオスマン・トルコが解体されて以降、英国の委任統治のパレスチナがありましたが、ユダヤ人には民族郷土の国際的約束がされた一方で、パレスチナ地方に住むアラブ人は、今に至るまで不明確なままです。独立戦争以後、そこはヨルダンやエジプトによる占領、そして六日戦争でイスラエルによる軍事管轄に移りました。六日戦争の後、ヨルダンは西岸を放棄、エジプトはガザ地区を放棄したので、そこは「誰のものでもない」地域になってしまったのです。(国際法上で言えば、バルフォア宣言によって、イスラエルの法的地位はあるはずなのですが、そのためアッバス議長はこの宣言を毛嫌いしています。)

 いわば「宙ぶらりん」の状態であり、そのやるせなさが、一連の行動として表れています。祖国を持たぬ苦しみであり、ユダヤ人こそがそれを知っているので、彼らに同情できないということはなく、左派が時に非常にパレスチナ寄りになるのは、このためです。

 それで、主権国をオスロ合意は約束したのです。自治政府とは、あくまでも「暫定自治政府」であり、パレスチナ国家に向かう過程でした。ところが、それが完全に頓挫し、どん詰まりになっています。そもそも、国家として体裁を持つための生活・産業基盤が整っていません。そこで、トランプ案は、その宙ぶらりん状態に見切りをつけるため、現実的な領域でパレスチナ国を線引きしています。

 ちなみに、私がパレスチナ自治区に行って感じたのは、ユダヤ人とアラブ人の住む領域は、「面」ではなく「点」だということです。そこに長年、勤めていたある日本人の方が教えてくださいましたが、「ちょうどフィリピンのような、島が点在するようなのが実態」と教えてくださいました。トランプ案の地図は、それをかなり反映しています。

パレスチナの経済的繁栄

 そうした民族意識と尊厳を取り戻すということもあり、何よりも「経済」が、ずたずたなのです。彼らほど国際的に多大な援助を受けたところは、ないでしょう。ところが、他のアラブの国々とご多分に漏れず、腐敗が激しいです。それをパレスチナ庶民自身が、よく知っており、強い不満をためています。けれども強権政治なので、それを公の場でいうことも、はばかれます。

 ところが、パレスチナ自治区は、意外にも、繁栄している面があります。有能な官僚は少なからずいます。そして起業家や裕福な商人もいます。イスラエルでは、アラブ人の若者のIT関連の技術者は非常に注目されていますし、パレスチナにも同じような教育や人材育成ができることを期待しています。ですから、経済の後押しをしさえすれば、パレスチナには経済的繁栄について多大な潜在性があるということです。それがトランプ案には前面に打ち出されています。

 そこで、大事なのは外との交易です。パレスチナ自治区は陸で囲まれています。また西岸とガザ地区は分かれてしまっていて、ちょうど朝鮮半島が南北に分かれてしまって久しいように、ガザのパレスチナ人と西岸のパレスチナ人は、まるで二つの国があるようになってしまっています。

 それで、例えば日本政府は独自の「平和と繁栄の回廊」(ジェリコ・プロジェクト)を持っていて、ヨルダン渓谷を農業技術の開発をすることで、イスラエル経由のみならず、ヨルダン経由で物流ができるようにしました。それと同じ発想がトランプ案にも存在し、それだけでなく、地中海に面するイスラエルの港湾を使用できるようにする項目もあります。さらに、「点」になっている国家が互いにつながっているように、トンネルや橋でつなげようとしています。一番、画期的なのは、ガザと西岸を結ぶトンネル案でしょう。

 このように、世紀の取引は、オスロ合意に通底した「土地と平和の原則」は通用しなくなったという認識の下、「両者の差し迫った必要と現実それぞれ対応した、実際的な解決」を提示したと言えます。

エルサレムの本音は「ユダヤ人の都」

 あと、「エルサレム問題」についても明言してます。ここからは本音トークですが、はっきりいってイスラム教にとって、エルサレムは重要ではないです。三大宗教の聖地と呼ばれますが、キリスト教であればお分かりのように、私たちがエルサレムに行きたいと!と思っても、世界のキリスト者が必ず巡礼したいとまでは思わないはずです。けれども、ユダヤ人にとっては、嘆きの壁は神殿の跡のすぐそばにあり、メシアが来られたらそこが再建されると信じているわけで、彼らにとっては信仰の根幹に触れる場所です。何しろ、毎年、過越の食事の最後は「来年はエルサレムで!」と互いに声をかけるのですから。イスラム教は、キリスト教よりもゆかりがなく、聖地はあくまでもメッカであり、毎週金曜日は黄金に輝く岩のドームに背を向けて、正反対の方向にあるメッカに向けてひれ伏します。

 

 とはいっても、「歴史」的には、イスラム勢力が紀元後7世紀にその地域を支配してから、途中で十字軍支配はあったものの、基本、イスラムの支配にあるとも言え、今の旧市街の城壁も、オスマン朝によって建てられたものであり、別の意味で、強い結びつきはあります。

 そういった「本音」を反映し、宗教としてはこれまでのように、イスラエル主権の下、三つの宗教が自由を保障され、けれどもエルサレム自体は、旧市街のある東エルサレムも含め「すべて、不可分のイスラエルの首都である」と明言しました。

 これはイスラエルに行った人は良くわかりますが、「事実をただ言ったに過ぎない」となります。エルサレムは事実上、不可分のイスラエルの首都として、東側も統治されています。そしてパレスチナの首都は、トランプ大統領は「東エルサレム」と呼んでいますが、実はそうではなく、「エルサレムの東」という意味で、隣接した町アブ・ディスのところに「アル・クドス(アラブ語のエルサレム)」でもなんでもいいから、そこをパレスチナの首都としてくれ、と言っています。

 他にもありますが、イスラエルの安全保障、パレスチナの経済発展の両方の必要を満たす現実案ということになるでしょう。

マスコミ報道の後ろにある、何重もの「もつれ」

 ところで、いつも、イスラエル・パレスチナ問題で思うことなのですが、「ニュース性があるのに、それを分かっている人は非常に僅か」ということだと思います。それはあたかも、「もつれた糸」のようなものだからです。しかも、そのもつれは一つだけでなく、二つも、三つも折り重なっているので、もう解きほぐすことができないと思われるほど、複雑になっています。

 ニュースでは、その、もつれきった糸なのに、その外側のみを報道するので、誤解して「だったら、こうすればいいじゃん」と勘違いし、イスラエルまたはパレスチナに(多くはイスラエルに対して)その頑なな態度を改めるように批判的になるのです。けれども実は、もっともっと、初めの段階でもつれているので、それを聞くと、匙を投げてしまうのです。解決しようと仲介に入る人々は、表面を取り繕うことに終始してしまいます。仲介する歴代の米政権は、もつれを解きほぐそうとするも、全くうまく行ってない、ということでしょうか。

 今回のトランプ案は、言わば「もつれた糸は、元から切ってしまえ」みたいなところがあります。全く譲歩しないパレスチナ指導部に対して、思いっきり匙を投げているポーズをとって、もしかしたら、強引に譲歩を引き出す狙いがあるのか?と思います。

もつれた糸を断ち切る交渉

 それも、現実味が帯びていて、当時、オスロ合意の時には考えられなかった、中東を取り巻く国際環境になっています。結局、周辺アラブ諸国は、「パレスチナの大義」があって対イスラエルの外交姿勢を決めていました。独立戦争の時に、彼らは一斉にパレスチナにいる同胞を助けるために戦ったという関係なのです。ですから、これをイスラエルが譲歩しない限り、表向きでも敵対関係を貫かないといけません。

 ところが、イスラエルと戦ったとて、負けるしかないという現実を身に染みて知っています。ところが、シーア派の「イラン」が大国として台頭します。イランの大国主義、覇権主義にサウジアラビアを始めとし、脅威を抱いています。そしてエジプトは、イスラム過激組織であるムスリム同胞団にも、頭を悩ましています。そして、ここ数年は、アラブの春から始まる、過激派の台頭、イスラム国の出現もありました。現実路線を選んだ、サウジ、エジプト、ヨルダン、湾岸諸国は、元々イランと対峙し、過激派とも戦っているイスラエルが、中東の安定化の要になっていることを痛いほど知り、それで急接近しているのです。今回のトランプ案に、パレスチナ人を大勢抱えるヨルダンは反対しているものの、ヨルダンほどイスラエルとの軍事協力を水面下で行っている国はありません。その他の国々は、その和平プロセスに賛同する意を見せています。

 驚くことは、最近、ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所の解放記念式典に、サウジからのイスラム教指導者が訪問、祈りを捧げ、反ユダヤ主義に戦うことを表明したことです。そして、イスラエル国籍のイスラム教徒がメッカを訪問できるように、ビザによる入国もできるニュースも入っていています。

 そこで、簡単にいうと「パレスチナの大義」が各国の状況で邪魔になってきているのです。イスラエルとの国交正常化の方向に向かっています。それで、トランプ案に対しても、今回、大統領とネタニヤフ首相の会見に、バーレーン、アラブ首長国連邦、オマーンの駐米大使がすぐに高い評価を示しました。

 イスラエル側としては、そもそもが、痛みを伴う譲歩から建国の夢を果たしました。1947年の国連分割決議案ですが、元々の、地中海からヨルダン川までの民族郷土をアラブ側にも分割されて、持っていかれるけれども、それでも自分たちの国を持つ大義のゆえ、痛みをともなう譲歩をしました。それを蹴ったのがアラブ側であり、その結果、戦争で彼らは負けたのだから、「あなたたちが、譲歩しなさい」という気持ちなのです。(A Palestine the Size of a Tablecloth)

 今回の和平案に反対しているのは、パレスチナが超強硬的姿勢を見せ、イラン、トルコが強い非難をしており、その他にはそれほどいないのです。ハマスなど、イスラム過激組織は、もちろん非難声明を出しています。でも、日本語のニュース解説や欧米の報道を見てください、面白いですよ、彼らもイランやトルコといっしょに批判しているのです。イランのソレイマニ司令官殺害の時もそうでしたが、イラン、トルコ、過激組織、それから欧米リベラルのマスコミや政党が同じ声を挙げているのです!

日本語の解説としては、二つの記事をお薦めします。

世紀の取引:トランプ大統領の中東和平案とは? 2020.1.29」(石堂ゆみさんによるレポート)

イスラエルとアラブ諸国の反応(シオンとの架け橋からのレポート)

政治指導者と平和の君

見よ。わたしがユダとエルサレムを回復させるその日、その時、わたしはすべての国々を集め、彼らをヨシャファテの谷に連れ下り、わたしの民、わたしのゆずりイスラエルのために、そこで彼らをさばく。彼らはわたしの民を国々の間に散らし、わたしの地を自分たちの間で分配したのだ。(ヨエル3:1-2)」

 上は、イスラエルの地を国々が分割し、分配することを警告している預言でありますが、ここでそのまま、国連による分割決議から始まって、二国家案にまで至る諸外国の試みが、神の裁きに遭うとは思っていません。

 しかし、主への恐れが必要です。この種の議論は、つまりは「人間で土地の境を設定できる」という前提があり、それは、人間のおごりだということです。ユダヤ人は「わたしの民」と呼び、イスラエル(土地を含めて)を「わたしのゆずり」と呼ばれています。神の所有なのです。政治的解決は現実の問題として必要なのですが、そこにはかなり限界があることを知る必要があるでしょう。

 トランプ大統領も、ネタニヤフ首相も、時に立てられた政治指導者であり、その分を果たしている人々だと思います。そして、イスラエルを大事にしていることは、神にも喜ばれることでしょう。しかし、その彼らもそれぞれの国で、一方は弾劾が議会で議論され、もう一方は刑事告訴が待っています。彼らはどちらも、イスラエルの救い主ではないのです。

 私たちの人生もそうでしたね、自分たちでどうしようもない限界があり、イエス様が来られて、それで平和が与えられました。イスラエルの救いと異邦人との平和共存も、主ご自身の再来なくして完成しません。