武士は食わねば、戦えぬ! −久保田典彦−

※ 写真:シモクレン(紫木蓮)

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第37回 

 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 

【 武士は食わねば、戦えぬ! 
  久保田 Ucon 典彦  
 
 戦国時代の、戦(いくさ)というと、武将たちの華々しい戦いぶりが強調されることになりますが、戦闘が続きますと、1日に3度も4度も食事をしたり、小夜食をとったりして、食糧を補給しなければ戦えません。
 当時、戦時配給米の基準は、1人1日6合でした。それぐらい食べなければ、十分な戦闘は出来なかったのです。

上川島でザビエル帰天・46歳 −久保田典彦−

※ 写真:フランシスコ・ザビエル肖像(神戸市立博物館 蔵)

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第36回 

 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 

上川島でザビエル帰天・46歳

● 公式に 中国 ( 明 ) に入国する手立てが 無くなってしまったまま、ザビエルは、 “ 何とかして 中国に入国したい! ” という 強い思いをもって、密貿易地である 上川島 ( サンシャンとう ) に、1552年8月の終わり頃に 上陸しました。

  当時 この時期、ポルトガル人や 船乗り、その僕 ( しもべ ) たちが2千人ほど 住んでいて、ザビエルは、彼らのために、竹とむしろで 小さな聖堂を建て、司祭としての働きを 始めていきました。

  中国人の商人たちに、 “ 広東に渡りたい ” と話してみますが、誰も協力を約束しませんでした。

 “ もし、外国人を 中国に入国させる者に対しては、死刑の宣告がされていた ” のです。

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髙山飛騨守とロレンソ −久保田典彦−

※ 写真の正面の山が、沢城のあった 城山 ( 525m )

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第35回 

 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 

 髙山飛騨守とロレンソ

● 大和を治める 松永久秀 ( 弾正 ・ 霜台 ) のもとにあって、大和 ・ 沢城を託されていたのが、髙山飛騨守 ( 右近の父 ) でした。

主君の松永久秀は、熱心な法華宗徒でしたが、家臣の髙山飛騨守も 同様でした。

飛騨守は、同じ 松永久秀に仕える ・ あれほどの学識のある結城山城守、そして、清原枝賢までもが、キリスト教の話を聞き、信じて、洗礼を受けたことを知り、これは 重大な出来事であり、キリスト教には、何か 重要なことがある と感じました。

● 丁度、二人に洗礼を授けるために 奈良に来ていたヴィレラ神父が、日夜、ロレンソ修道士を通訳として、神のことを伝えていた集まりに出かけて行き、くりかえし熱心に、神 ・ デウスのことを聴聞し、異常なほどの感銘を受けたのでした。

そして、ただちに、そこで ヴィレラ神父から洗礼を授けてもらい、
“ ダリオ ” の霊名を授かったのでした。 髙山ダリオ飛騨守

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城の維持管理 −久保田典彦−

※写真:芥川城跡説明板より

『キリシタン史からのメッセージ』

 高槻・Ucon:第34回 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

城の維持管理

━ 久保田 Ucon 典彦 

● わが町 ・ 高槻にも、城跡が遺(のこ)されてきているものとして、

「 高槻城 」 と 「 芥川城 」 が ありますが、

お城 というと、とかく、天守などの建物や 土塁 ・ 石垣 ・ 堀 が 関心の中心に なりますが、築城された後の 維持管理が、実は、なかなか 大変だったようですョ。

● 城には、配備される 軍勢 ・ 城兵が、有事でなくても、何十人規模で 常駐することになります。
彼らを いっさい、理由もなしに、城外に出してはいけませんし、何か用事があって 城外へ派遣する場合は、特別に、城主が出す手形を 門番の兵に見せて、外出することになります。
臨時的な ・ その場しのぎの城でなく、ある程度の期間 使おうとする城の場合、維持管理が出来ていないと 意味がありません。

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人身売買・奴隷・拉致 −久保田典彦−

講壇の白百合

*編集者より

 今回投稿されたものは、キリシタン時代の人身売買についての残された記録です。

 投稿者は、現代にもつながる微妙な問題なので、お読みいただいたお一人お一人がそれぞれに考えていただきたいと願い、あえて、資料のみを投稿されておられます。
そのことを理解してお読みいただき、各自が考えていただきたいと思います。

 

『キリシタン史からのメッセージ』

 高槻・Ucon:第33回 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 

人身売買・奴隷・拉致

 

戦国時代の 闇の部分

人身売買 ・ 奴隷 ・ 拉致

  

 [ 九州での 人身売買 ]

 薩摩軍が通過した後には、何一つ満足なものは残っておらず、少しでも逆らう者は 殺害された。

 また それに劣らず嘆かわしく、いな、むしろ 最大に嘆かわしく思われたことは、薩摩勢が 実に おびただしい数の人質、とりわけ 女性 ・ 少年 ・ 少女たちを拉致するのが 目撃されたことである。これらの人質に対して、彼らは 異常なばかりの 残虐行為を あえてした。

 彼ら、被害者のうちには、大勢の キリシタンも混じっていた。

( フロイス 「 日本史 」 )

 “ 愛・宣教 ” の原点 −久保田典彦−

写真:大分・遊歩公園の 「聖フランシスコ・ザビエル像」

 

 

『キリシタン史からのメッセージ』

 高槻・Ucon:第32回 

 

 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 “ 愛・宣教 ” の原点

キリシタン時代の「愛」の表現とは?

● キリシタンの時代にも、「 愛する 」 という言葉は使われていましたが、キリスト教でいう 「 愛 」 ではありませんでした。 
優位にある者が 劣位にある者を “ かわいがる ” という意味でしか用いられませんでした。
“ 性的に もてあそぶ ” という意味で用いられることさえあったほどです。
仏教語としても、「 愛する 」 は、悟りを妨げる行為として、 「 科 」 ( とが ) と とらえられていました。
キリスト教でも、「 どちりいな きりしたん 」 で、 “ 悪を見知らぬ様にするもの ” として、「 愛する 」 ことが 誘惑 ( テンタサン ) である として、避けるように 言われています。

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一座建立 −久保田典彦−

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第31回 

 

 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

一座建立

 

● 髙山右近たち、キリシタン時代の 茶の湯において、大切に考えられていた 3つの事柄は

「 市中の山居(しちゅうのさんきょ) 」 「 和敬静 ( 清 ) 寂(わけいせいじゃく) 」 「 一座建立(いちざこんりゅう) 」 

 ━━ ということでした。

● 「 一たび 茶によって結ばれた 人間相互の結合は、いかなることがあっても、鎖断することがない。」  ( 西村 貞  「 キリシタンと 茶道 」 )

 “ 一たび キリスト によって結ばれた 人間相互の結合は、いかなることがあっても、鎖断することがない。”

 ━━ と 言えそうですネ。

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和敬静寂・和敬清寂 −久保田典彦−

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第30回 

 

 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

和敬静寂 ・ 和敬清寂 

 

● 髙山右近たち、キリシタン時代の 茶の湯において、大切に考えられていた 3つの事柄は、

 「 市中の山居(しちゅうのさんきょ) 」 「 和敬静 ( 清 ) 寂(わけいせいじゃく) 」 「 一座建立(いちざこんりゅう) 」 

 ━━ ということでした。

 

 これらのことを 極めながら、

 “ 世間の すべてのものから離れて、真の 心の自由に至り、世の移り変わりを越えて、心の安定と平和に至る ”

ことを 目指していったのでした。

 

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虚像と実像 −久保田典彦−

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第29回 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

虚像と実像

● 私たちの 主イエス・キリストにも、髙山右近にも、当時の、残された画像があるわけではありません。

 イエス・キリストの場合は、「 聖書 」 があります。また 歴史史料を補助として、“ 私のキリスト像 ” を心に描いていくことになります。
“ これが正解 ” というものが ないわけですから、百人百様 の キリスト像になります。
絵画 ・ 彫刻 ・ 小説 ・ 映画 ・ ドラマ ・ 音楽 ・・・・・ いろいろな形で表現された キリスト像を見て、共鳴し・感動してきました。
それぞれが、真摯に、精一杯の キリスト像を描き ・ 演じ ・ 表現しています。
それぞれに対して、私の琴線に触れるものには、私も共鳴していくことになります。

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日本語 は むずかしい! − 久保田典彦 −

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第28回 

 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 【 日本語 は むずかしい! 】

● 1549年8月15日に、フランシスコ ・ ザビエルは、祈り ・ 願っていた 日本の地に やってきたのでしたが、

日本に来るまでの 2年間の 準備の間、日本に関する 情報を集め、日本語についても、少しは 習得しようとしたはずです。

しかし、言葉を語って、キリスト教のことを 伝えていこうとしている宣教師にとって、言葉の問題は、一番大きな課題でした。

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