『戦争反対で戦争は防げない』
(大阪会場:2022年 8月11日)
「ウクライナ戦争からキリスト者が学ぶべきこと」(講師:西岡力 氏)
講演:「民間人のための戦時国際法」後藤望 氏
(大阪会場:2022年 8月11日)
「ウクライナ戦争からキリスト者が学ぶべきこと」(講師:西岡力 氏)
講演:「民間人のための戦時国際法」後藤望 氏
中川晴久
東京キリスト教神学研究所幹事
日本キリスト神学院院長
SALTY-論説委員
<世界認識とのズレ>
明石清正
SALTY論説委員
カルバリーチャペル・ロゴス東京 牧師
ロゴス・ミニストリー 代表
現在(2022年7月11日)、安倍元首相の暗殺犯が、宗教団体(統一協会のこと)に対する恨みで、それとのつながりが安倍氏がこの宗教団体に近いということで、彼を狙ったと供述しているという報道が起こっています。とても気になっていることがあります。下の記事に、その懸念が明確に書かれていたので、ご紹介します。
誰がどんな理由で「安倍氏と宗教の関係がテロの原因」と言っているのか
私は非常に少ない経験ではあるものの、政治家の方々、しかも、後に副大臣やその他の役職を務めた自民党の方々にもお会いしたことがあります。そして数多くの経営者の方々にもお会いしてきました。
良い意味で驚きでした。それは、一般にキリスト教に対して抱いているアレルギーがない、ということです。人は宗教を持っているもの、というぐらいまでの心の余裕がおありで、キリスト教の牧師が、違和感なく関われる雰囲気があります。当該の政治家の方々も、普通に接してくださいました。しかも、ご質問が適切なのです、いわゆる偏見や無知というものが、かなり少ない内容です。
それは逆に言うと、政治と宗教、また経済が密接につながっているように見える、ということです。けれども、宗教が政治の世界を支配しているというところまでの力は、実際はありません。そこまで言ってしまえば、陰謀論の領域になると思います。
中川晴久
東京キリスト教神学研究所幹事
日本キリスト神学院院長
SALTY-論説委員
<統一協会 現「世界平和統一家庭連合」>
平成30年1月25日
(首相官邸のホームページより)
ライフワークとして北朝鮮拉致問題に取り組んできた安倍晋三元総理大臣(以下、安倍総理と呼ばせていただく)が襲撃され殉職された。拉致というテロと戦ってきた安倍総理がテロに遭うという事態がなぜ起きるのか。悔しくて悲しくて言葉にならない。
暑中お見舞い申し上げます
8月に、『SALTY特別講演会(第2回)』 を開催いたします。
大阪(8/11)、東京(8/15)の各集会にぜひ、お越しくださいますよう、ご案内いたします。
皆様のご出席を心よりお待ちしています。
*ご注意
写真:WEA の公式ホームページより
日本キリスト者オピニオンサイト-SALTY-代表
有限会社サーブ介護センター 代表取締役
WEA(世界福音同盟)のHPに、オリベット大学敷地内にWEAの事務所が開設されたという記事がアップされた。
2022- 6/8
日本にもJEA(日本福音同盟)という福音派の教会(教団)等が名を連ねる超教派組織があるが、JEAもまたWEAに加盟している。JEAはWEAの下部組織ではないと言っても、関係が深いことには違いない。
関係者の方々にとって、大きな関心事である「クリスチャントゥデイ カルト疑惑問題」によって、クリスチャントゥデイにカルト疑惑を抱いていた方々が、今大きな瀬戸際に立たされていると言っても過言ではありません。
“オリベット大学に世界福音同盟の事務所開設! 〜えっ?、異端・カルトの本拠地と言われた敷地内に?〜 −後藤献児朗−” の続きを読む
写真:「梅雨明けの大阪と大阪空港」6/28_Shinichi Igusa
バイブル・ソムリエ:亀井俊博
「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師
2022. 5. 30.
政治の定義の変遷
私が学生時代、そうですね60年も前の話し。法学部生でしたが、「法律学科」に所属、他に政治学科がありました。私は、好奇心が多く経済学部、英文学科、哲学科、神学部等様々な分野を聴講し、それが随分その後の人生の肥やしになったと思います。で当時のお隣さん「政治学科」では、政治とは権力をめぐる闘争である。資本家階級か労働者階級か、どちらが権力を奪うか、武力革命闘争か議会闘争か、要するに階級闘争の政治学でしたね。あの政治学者はブルジョア政治学だと、言うのは軽蔑のレッテルでした。
写真:大阪・梅田_カリヨン広場(東側より北方向)
(撮影:2022-0522_Piyo ePub Communications)
バイブル・ソムリエ:亀井俊博
「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師
2022・5・25
“21世紀もなって、どうしてこんな事が起こるのか?”と、ロシアによる非道なウクライナ侵攻の悲惨な映像を見ながら嘆く。某TV番組でパネラーの一人が、こう嘆いて“19世紀じゃあるまいし”と付け加えた時、別のパネラーが“人間って19世紀でも21世紀でも本質は変わりませんよ”と応じた。すると慨嘆者は“そんなことはない、人間は進歩するものですよ!”と色を成して反論していた。
私は両面あるよなあ、と言うのが実感ですね。文明文化は進歩発展するかもしれないが、道徳面では進歩も発展もないのではないか、と言うのが偽らざる人間の実態ではないのかと思うのです。以下の論は現代世界を俯瞰した非人称的、さらには三人称的記述であり、二人称的あるいは一人称的当事者の悲惨さを捨象したものではありますが、こう言う論述も必要ですので、のべてみます。