「その時に備えて」に備えて(3) ガラテヤ主義には正しく怒れ! -田口望-

田口望
田口望

 

 

 

 

田口 望
大東キリストチャペル 教役者
大阪聖書学院 常勤講師
日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY- 論説委員

この冊子の中に隠れた忌むべき「ガラテヤ主義」的思考

 JEA社会委員会が出した天皇制反対を促す冊子「その時に備えて」。私がこの冊子に対して怒っている最大の主因は、この冊子が、「反天皇制だから」怒っている訳でも、「自分が尊皇家だから」怒っている訳でもないのです。私が激烈に怒っているのは、この冊子の思想的背景に「ガラテヤ主義」をみるからです。そして、その様なものを放置することはクリスチャンの福音主義者の沽券にかかわる大問題なのです。

 新約聖書の中にガラテヤ書という書簡があります。そして、このガラテヤ書の著者である使徒パウロは送り先であるガラテヤの教会の信徒に対して激烈な怒りを発します。使徒パウロにこっぴどく怒られているガラテヤ教会の人たちの考えは次のようなものでした。
 ガラテヤの教会は「クリスチャンたる者、イエス・キリストの十字架と復活の福音を信じなければならぬ。しかし、それだけでは足らぬ、割礼を受けねばならぬ」と主張していたのです。
 パウロはこの主張に怒髪天を衝く勢いで猛烈に反対しました。キリスト者になる条件はキリストを信じる「福音」以外に何かあるでしょうか?出自、所得、性別、病気、政治的信条、肌の色、その他一切条件がないのです。福音以外になにものをも「プラスアルファ」してはいけません。
 ところが、この冊子の主張するところは違います。キリスト者日本人たる者、キリスト者の福音を信じることだけでは足らぬ。「プラスアルファ」として「天皇制に反対すべし」というのです。また、天皇制支持者を福音から遠ざけることを平気でしています。これは、福音を信じる以外にキリスト者の条件として「プラスアルファ」をしているガラテヤ書でパウロが非難した律法主義者、割礼主義者、ガラテヤ主義者と一体何が違うのでしょうか!
 キリストの十字架の福音を、無価値にするようなことを、福音の効力を無力化するようなことをこの冊子がしているのです。そんなこと、絶対に絶対に許してはなりません。

 むしろ、キリスト者であるからこそ、福音主義者であるならなおのこと、この冊子の内容にこそ全力で怒るべきです。キリスト者であることに福音を信じる以外に条件をつけるな!と

 パウロがガラテヤの教会に対して燃え上がらした怒りと同じ怒りをもって怒るべきです。キリストの一番弟子であったペテロもこのガラテヤ主義者に日和見主義的行動をとりましたが、パウロは面と向かってペテロに対しても非難したのですから、その対象がJEAであってもやはり正しく非難するべきです。(ガラテヤ書2:11~12)

 ただ、同時にこうも言っておきましょう。いつの日か、日本のキリスト教界で天皇制を支持することが当然視され、「日本人キリスト者たるもの、天皇制を支持しなければならない。」といって、天皇制に反対する人が、キリストの福音から遠ざけられるようなことがあれば、それもまた形を変えたガラテヤ主義ですから私はそれに対しても反対します。

※もし、このエッセーを読んでいるクリスチャンじゃない人へ、キリストは自民党支持者でも、国民民主党支持者でも、社民党支持者、無党派であってもあなたを受け入れて下さいますからね。

十二弟子も政治的見解は一致しなかったはず

 イエス様の弟子(12使徒)の中にもローマ皇帝の権威を認めずユダヤの独立を願った「熱心党員シモン」という人がいました。今風に言えば、反ローマの急先鋒のテロリストです。かと思えば、「徴税人マタイ」という人もいました。税務署の職員といえば聞こえはいいでしょうが、実態としては、ローマ帝国の権勢を笠に着て、同胞からみかじめ料を奪い取る、ヤ○ザのような人でした。まさに「ローマ帝国の犬」です。こんな2人の弟子がもし「ローマ帝国についてどう考えるか?」なんていう政治的なテーマを出されたら、一致できるはずもありません。

ヘンドリック・テル・ブルッヘン作「聖マタイの召喚」
ヘンドリック・テル・ブルッヘン作「聖マタイの召喚」

 イエス・キリストは「神の国」という概念こそ提示されましたが、政治的にどちら側につくということもなさいませんでした。それがイエス様の牧会のスタイルでもありました。しかし、このJEAが出したこの冊子がいうところは、多神教徒のローマ皇帝に反対したシモンは良いクリスチャン。ローマ皇帝と妥協した徴税人マタイは二流のクリスチャンだというに等しい事がこの冊子には書かれています。

 だからこそ、わたしも、ここまで怒っているのです。私だって、できれば空気を読んでJEAのお偉方の牧師さん達と仲良くしたいですよ。しかし、キリスト者の交わりの中にガラテヤ主義をもちこまれ、イエス様の弟子訓練のスタイルにまでケチをつけられるようなことをされてまで、そこまでされて怒りを押し殺して日本の狭いキリスト教界を世渡り上手でいたいとは思いません。そんな生き方をしたら、それこそ私はイエス様に申しわけがたたないと考えます。

※次項から冊子の具体的問題点について触れていきます。