週の真ん中ストレート(9)警戒せよ!共産党が最近の戦術は終戦直後にドイツ社会主義統一党がしてたことと一緒! -田口望-

田口望
田口望

 

 

 

田口 望
大東キリストチャペル 教役者
大阪聖書学院 常勤講師
日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY- 論説委員

歴史に学ぶことの重要性

 私は歴史を学び、そこから、日本の現状に警戒感を持つことは反対しません。むしろ必要なことだと思います。でもね、政治運動が好きな左翼のキリスト者は方はなんでいつも74年前(1945年)のドイツばかり引き合いに出すのでしょうか? なんでボンヘッファー(その時ナチスに逆らってヒトラー暗殺計画を実行した牧師)ばっかりなんでしょうか?
 1945年と今とを比べたら1945年5月まではナチスが政権党だったんですから、そこからばっかり学んでいたら現在の政権党たる自民党がナチスに見えて、そして安倍首相がヒトラーに見えて仕方ない事でしょう。 でもそれが、偏った見方なんです。たまには時計の針を1年進めて、73年前(1946年)のドイツと今の日本の現状を比較して類似点をみてみたらいかがでしょう?その時、ベルリンで何が起きていたか・・・

ドイツ社会主義統一党が国民に対して仕掛けたこと

長らく東ドイツの政権党だったドイツ社会主義統一党の旗
長らく東ドイツの政権党だったドイツ社会主義統一党の旗

 リンク先は旧東ドイツの政権党 ドイツ社会主義統一党に関するウィキペディアです。

 ここには背筋も凍る共産主義の手口が書かれています。 少し引用してみましょうか?文中のSPDはドイツ社会民主党の略ですので社民党と訳しました。日本の社民党や立憲民主党などの中道左派政党にあたる政党だと読み替えればいいかと存じます。(数か所、前後の文章を繋げるために要約)。

ーーーーーーーー<引用>ーーーーーーーーー

 1945年6月10日、ジューコフ・ドイツ駐留ソ連軍最高司令官によって政党結成の許可が英米仏の占領地区よりも早く出され、ドイツ社民党、ドイツ共産党、キリスト教民主同盟、自由民主党などの諸政党が正式に結成された。

 再結成当時の共産党は(中略)社会主義的な要素を表に出さないようにしており、結党宣言では「社会主義」という言葉を使わず、私企業の育成を進めると表明するなど、一見するとヴァイマル共和政の復活を意図しているかのようであり、むしろSPDの方が社共統一を謳い、社会主義的、左翼的な印象を与える再結成宣言を出していた。

 ソ連占領地区の社民党幹部はソ連占領軍がドイツの民主化を進めるうえで最大の党員数を持つ社民党を必要とするであろうと考えて社共統一を掲げたが、彼らの見通しは全く甘いものであった。

 1945年末には社民党と共産党の党員数は互角となっていた。(前略)当初の社民党幹部達の思惑と違って共産党を主に据え、社民党はあくまでも脇役にしか過ぎないことが明らかになってきており、印刷物・集会などの党活動でも社民党は不平等な扱いを受けていた。指導部も不平等合併を恐れるようになっていたが、幹部達は当初掲げた労働者階級政党の統一というスローガンを撤回することが出来なかった。

 社民党内部でもクルト・シューマッハー率いる西側地区の社民党は共産党との合同には反対であり、頑として応じなかった。SPDは、東のグローテヴォールと西のシューマッハーの主導権争いによって分裂状態になっていた。

1945年12月中旬、ベルリンではソ連占領地区の社民・共産の両党幹部30人ずつから成る「60人会議」が開催され、合同への路線が敷かれた。翌46年の2月には共産党側からソ連体制をモデルとしない「ドイツにおける社会主義の道」が提案された。これには社民党の党員からも支持を受ける一方、ソ連占領地区で合同に反対する一部の社民党員は別件の軽微な犯罪容疑で連行され、中にはスパイ容疑でソ連へ送られたものもあった。(後略)。

 1946年4月19日、20日に東ドイツの社民党、共産党はそれぞれ党大会を開いて合同を決議し、21〜22日に合同党大会が開催されて党員60万人の共産党と68万人の社民党は合併し、ドイツ社会主義統一党(SED)が誕生した。当初は、「レーニン主義は採らない」「すべての機関は社民・共産を同数で出す」という原則が出され、党首も旧社民党のグローテヴォールと旧共産党のヴィルヘルム・ピークの共同代表制が導入されるなど、一見対等合併の装いがされたが、それはほんの一時期に過ぎなかった。

 労働者政党2党が合併して誕生したSEDだが、国民の人気はさほど高くなかった。1946年10月、ソ連占領地区およびベルリンで州議会選挙・地方選挙が行われたが大ベルリン(東西両地区)の市議会選挙では合併に反対した分離派社民党が第一党となり、SEDは第三党にとどまるという敗北(第二党がCDU)を喫し、他の州議会でもSEDはソ連軍の後押しで第一党とはなったもののCDUやLDPDとはほぼ互角の勢力しか確保できなかった。これ以降、東ドイツのソ連占領地区では自由選挙は行われなくなった。

 旧SPD党員達の追放・迫害 社会主義統一党では社民・共産合併後、最初期は統合時の合意に従い指導部の半分ずつが旧共産と旧社民であったが、1948年6月に(中略)東西の両陣営が対立を深めるようになると、ソ連占領地区ではソ連モデルの押し付けが始まった。結党当初の「ドイツにおける社会主義の道」は徐々に否定され、民主集中制に基づくソ連共産党型の党へ移行していき、1949年には両党同等の原則が否定された。1948年から1952年にかけては旧社民党の党員の追放・迫害が行われ、最高指導部でも1950年には15人の政治局員中旧社民党員は3人しか残っていなかった。

 かつての社民党員の囚人達が、1971年に社会主義統一党中央委員会に宛てて書いた手紙には「五千人以上のかつての労働者運動の指導者たちが逮捕され、四百人以上がソ連占領地区の刑務所やソ連の強制収容所で死んだ」と書かれていた。

 こうして、社会主義統一党は実態は共産党と変らない政党となっていった。ただ1946年当時存在していた政党としてはドイツ最古であった社民党は、全国に強力なネットワークを持っていたため、共産党が政権を掌握する上での利用価値は非常に高かったとされる。


以上 引用終り

ーーーーーーー<引用 終り>ーーーーーーーー

今の日本の政治状況は1945年のドイツか?1946年のドイツか?

 どうですか?日本共産党が選挙では共産主義を目指していることを隠して、ソフト路線に見せかかて、「ソ連型ではない日本型の独自の社会主義を目指す」と甘言をいって、社民党や民進党に共闘を呼び掛ける。「共産党との共闘は危険だ」と言った民進党が立憲民主党と国民民主党に分裂してしまう・・・。
完全に今の日本の政治状況の符合しているではありませんか!

 左翼のキリスト者が仰るように、今の日本は本当に74年前(1945年)のドイツに似ているのでしょうか?私には73年前(1946年)のドイツに今の現状が似ているように見えて仕方がないのですが・・・。

 いや、社会問題に関心のある日本人キリスト者は耳にタコができるくらいナチスの悪行は聞いていたでしょうが、ドイツ共産党がドイツ社会主義統一党と改称し、同党がベルリンの壁はじめとする多くの非人道的な行為を行って多くの離散家族を生み、戦後も強制収容所で多くの人の命を奪ってきたことを御存じないのではないでしょうか?

 私は、本当にバランスよく学んでいるのなら牧師の口から「日本共産党と共闘」なんて口が裂けても言えないと思います。共闘したら最後、彼らに取り込まれてしまい、彼らのネットワークを駆使して、まるで小さなシロアリが大きな家を乗っ取り口させてしまうように、旧幹部はみな粛清して文句を言えないようにされてしてしまいます。

 日本の政界がそして、日本のキリスト教界が共産党の宣伝工作にのせられることの無いように、お祈りしています。