ゲーム・チェンジを、敵・味方(友)の政治学から −亀井俊博−

写真:「梅雨明けの大阪と大阪空港」6/28_Shinichi Igusa

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

 

ゲーム・チェンジを、敵・味方(友)の政治学から

2022. 5. 30.

政治の定義の変遷

 私が学生時代、そうですね60年も前の話し。法学部生でしたが、「法律学科」に所属、他に政治学科がありました。私は、好奇心が多く経済学部、英文学科、哲学科、神学部等様々な分野を聴講し、それが随分その後の人生の肥やしになったと思います。で当時のお隣さん「政治学科」では、政治とは権力をめぐる闘争である。資本家階級か労働者階級か、どちらが権力を奪うか、武力革命闘争か議会闘争か、要するに階級闘争の政治学でしたね。あの政治学者はブルジョア政治学だと、言うのは軽蔑のレッテルでした。

 その後卒業、就職、社会経験が長く続き、ある時図書館で事典を開く用事があり、なにげなく「政治」の項目を見た時、驚きました。「政治とは、稀少物の再配分行為」だと言う趣旨が書かれていたからです。そう、世の中が落ち着き、成熟し、ギスギスした階級闘争政治学は流行らず、“政治とは税の徴収で集めた世の中の稀少物であるお金を使って、社会的弱者に再配分する行為だ”と、言うのです。もちろん、残念ながら軍事に大きな割合を配分する軍事国家が増えていますが、日本などは年金・医療・介護・子育て等福祉への配分率が最大(国家予算の34%)の福祉国家となっており、その国の予算配分でその国家の性質が分かります。最近はロシアのウクライナ侵攻、中国、北朝鮮の軍事化に危惧を抱いて、防衛費の配分比率を現在の1%強から2%に引き上げよ、との声が強くなっていますね。

敵・味方の政治学

 ところが、最近の政治学では、“政治とは敵と味方(友)の識別にある”と言う、戦前のドイツはナチス時代の政治学者カール・シュミットの「地政学」が亡霊の様によみがえっているようです。自国の生存に必要な地域(「生命線」Lebens Raum)を現在の国境とは関りなく地図上に勝手に設定し、これに賛同する者は味方(友)、反対する者は敵とし、敵対国家の中に味方(友)を見つけ、あるいは密かに策動して味方(友)を作り、敵地の中で迫害されている友を助けるためにやむを得ず軍隊を送って助ける、との口実で次々軍事的に領土を拡大する、汚い政治学ですね。最近プーチン・ロシア大統領がイベントの様な演説会で「人がその友の為に命を捨てる。これ以上の愛はない」との聖書の言葉を引用して、ウクライナ国内で抑圧されているロシアの友を助けるため、命がけでロシア軍は戦っているのだ、と語り、開いた口が塞がりませんでした。

 戦前のドイツ・ナチス、日本のアジア侵略の軍国主義の「大東亜共栄圏」の満蒙生命線論がそうでした。現代ロシア、中国のやり方はまさにK・シュミット政治学そのものではないですか。周辺諸国家のはた迷惑、弱い者いじめには困ったものです。こうなると弱者同志結束して当たる以外に対策はないですね。それが弱者間同士分裂、対立していてはどうしようもなく、しかも相手は分断して弱体化させて個別撃破を画策するのですから、用心が肝要ですね。

 しかしさらに気を付けなければいけないのは、国内の社会全体を“敵・味方(友)”の政治学で考える思考法ですよ。我が国で最近、私が目にするのは「階級間闘争」の時代から「世代間闘争」に移っているのではないか、と言う事です。

階級闘争から世代間闘争へ

 若い政治学者が、青年層はロスト・ジェネレーション希望喪失世代だと言う。経済が低成長の結果、低賃金で、とても結婚、子育てができない。だから少子化に歯止めが効かない。しかも人口構成上、少数派の自分達たちのなけなしの給与から高齢者の、年金、医療、介護費を支払わされ、年金だけで年間55兆円が高齢者に支払われているではないか。今までの数名の青年で高齢者一人を担ぐ組体操方式から、今や一人の青年が一人の高齢者を担ぐ肩車方式になり、やがて一人の青年が複数の高齢者を担ぐようになる。そして青年対策をしようにも、青年自身がどうせ世の中変わりはしないと諦めムードで選挙投票をしない。それに対して高齢者は必ず選挙投票をして、自分達優先の政治家を選ぶ。いわゆるシルバー・デモクラシーです。

 さらに経済力も1,700兆円もの個人資産の大きな割合を高齢者が持っている。しかも既に満ち足り、また消費意欲も少ない高齢者は、ため込むばかりで、消費しないから世の中にお金が回らないから経済成長しない。お先真っ暗だ、コロナで高齢者が感染して多数無くなって欲しいと思うが、ワクチン接種は高齢者優先で、しかもまじめな高齢者は接種に励み、元気だ。青年の敵こそは高齢者だ、老害を何とかならないのか、と嘆き攻撃する。“敵・味方(友)の政治学”で「世代間闘争」を訴える政治学者がいる(「若者の未来に救いを」竹内幹一橋大学准教授、4・21,朝日NP,経済季評)。こんなことを言うのは、最近私自身の身近に起こった出来事で、痛感したからです。そこから学んだことを述べます。

ゲーム・チェンジの提唱

 それに対して私は提唱したい。時代はゲーム・チェンジしたのだ。だからいわゆるパラダイム・シフトが青年たち・高齢者双方に必要だと言う事ですね。青年層は被害妄想をやめる事。高齢者は逃げ切り、食い逃げ、“洪水よ我が後に来たれ” と言う無責任をやめる事です。昔は人生わずか50年で、織田信長愛唱の幸若舞「敦盛」“人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり” でした。しかし今や、人生100年どころか、120年時代にもなったのです。それも社会的弱者ではない、元気印の団塊の世代・高齢者が非常に多くなったのです。もちろんフレイルに悩む方々、認知症に怯える方々、生活苦、急速に増える独居老人の孤独死、・・への社会的配慮は大いに必要です。しかし、猛烈な受験戦争、企業戦士を勝ち抜き鍛えられた健康で能力もあり、経済力もあり、政治力もガッツ(アニマル・スピリット)あり、近頃の若いもんは何やってるんだ!と歯がゆい思いを持つ高齢者が非常に増えているのも事実です。

 世界トップのモーター・メーカーの日本電産CEOに返り咲いた永守重信氏(78才)、スズキ自動車の相談役鈴木修氏(92才)、ボクサーから東大教授になった建築家安藤忠雄氏(81才)・・皆現役バリバリですよ。逆に元気印の高齢者を老害視、敵対視する、青年層のゆとり世代が、草食系で、寄り添いタイプ、優しいZ世代(AYA世代も)は被害妄想的に、高齢者こそ自分達の生き方を邪魔する者だと、反発する。

 そこで提唱したいのは、お互いを排除しようとする「敵味方の政治学」ではなく、むしろ互いを味方につけて、一緒に社会問題解決の有力なパートナーとして協力を求めるのです。敵に回せば元気印の高齢者は、知恵も経験も財力も人脈もあり怖いですよ。彼らが本気になれば青年はひとたまりもありません。しかしそんな馬鹿な事をすればそれこそ、この国に将来は有りません。ゲーム・チェンジしましょう。

 社会は青壮年が主役で動かすと言う過去の発想・幻想を捨てる。元気印の高齢者の参加を歓迎し、大いに社会課題の解決に協力いただく、知恵も経験も財力も人脈も提供頂く。そして時代のトレンドに敏感で、デジタル・ネイテイヴ世代の青年のセンスとスキルをコラボし、老荘青の各世代協力して、格差解消課題・少子高齢化社会の課題、地球規模の環境破壊問題、専制的覇権国家の横暴対処、等の中長期的解決ビジョンを構築し、共有し汗を流す。さらに激変する世界情勢に、高齢者の歴史経験からも学び、青壮年の新鮮な発想と実行力で対応すべきではないでしょうか。

 今こそ「世代間闘争」ではなく、「世代間協力」時代へのゲーム・チェンジヤーが必要なのです。内村鑑三の「後世への最大遺産」にならって良き遺産を次世代に残したいものです。

 

「終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう」使徒2:17

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