最後のマエストロ達(3) −亀井俊博−

 

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

「最後のマエストロ達」(第3回)

 

(第2回)より

(d)最後の K.マルクス

(1)「人新世の『資本論』」

 終わりに昨年刊行以来ベストセラーの少壮経済・社会学者斎藤幸平(1987~)「人新世の『資本論』」を“最後のマルクス”と言う視点で、少し詳しく取り上げます。その理由は本書が人類存亡の危機、地球環境破壊の解決策として注目され多くの読者を得、英訳が出版されている程ですから。

 さて斎藤の研究によると経済学のマエストロ、カール・マルクス(1818~1883)は主著たる資本主義の崩壊と革命による社会主義社会の到来への実践書「共産党宣言」と、資本主義経済社会の社会科学的分析研究書「資本論」を出版後、15年もの長い沈黙があった。しかし最近、晩年までの長期沈黙時代の膨大な研究ノートが整理解明刊行され MEGA(Marx-Engels-Gesamtausgabe)と呼ばれる。そこで有名な大月書店版「マルクス・エンゲルス全集」とは別に、新しい「マル・エン全集」100巻刊行が進み、斎藤もその編集者の一人だと言う。とりわけマルクスの「研究ノート」が新たに発見され、マルクス晩年の驚くべき、思想の大転回が発見されたと言う。これを私は”最後のマルクス“と言う訳です。

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最後のマエストロ達(2) −亀井俊博−

 

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

「最後のマエストロ達」(第2回)

 

(第1回)より

(c)最後の丸山眞男

(1)日本精神の執拗低音

 さらに無教会の内村鑑三の弟子、政治学の南原繁の下に学んで日本政治思想研究から戦後民主主義の旗手となったマエストロ、丸山眞男(1914~1996)を取り上げます。小著ながら今も色あせない「日本の思想」で、中心の無責任、周辺の無限責任と言う日本(政治)思想の特徴を摘出。これは日本の古代神話思想構造から由来するものである。即ち哲学者和辻哲郎が解明した記紀の神々の系譜研究、すなわち祀る神々と祀られる神々の系譜。そして祀られる神々は一見上位に見えるが、結局祭り上げられ、実権は祀る神々が握って恣にする精神構造に由来します。

 丸山は「政治」の古語“まつりごと”(政事)は、下位の者が上位の者に奉る、上奏するものであり、上位者は“きこしめす”関係にある。即ち日本では権力の上位者は祭り上げられ、政治の実権・意思決定デシジョン・メイキングは下位者が行使する構造になっている。さらに地上の最高権力者天皇も高祖の霊に上奏し、天上の八百万の神々は最後に上奏すべき至高者がいない、一神教的責任者のいない無責任構造になっていると解明。丁度戦前の軍部が天皇を祭り上げて、実質国家を操り破滅に向かわせた。そして敗戦の責任を最高責任者は取らず、末端の兵や将校を絞首台に送る連合国軍の報復「東京裁判」で決着をつけさせた。日本精神の執拗低音(バッソ・オステイナート)の解明です。彼の思想の中核は中心の無責任であり、日本の記紀の神々の多神教構造では、神々の会議で“共同責任は無責任”な結論しか出ない。一神教的最終責任体制の欠如に問題の所在がある、とした。恩師のキリスト者南原繁の影響が強くその日本政治思想史研究ににじみ出ている。

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最後のマエストロ達(1) −亀井俊博−

 

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

「最後のマエストロ達」(第1回)

2021・6・16

(A)巨人の背中の小人

  “われわれは巨人の肩に乗った小人のようなものだ。当の巨人よりも遠くを見わたせるのは、われわれの目がいいからでも、体が大きいからでもない。大きな体のうえに乗っているからだ。”これは1676年ニュートンがライバルのロバート・フックに宛てた手紙の有名な一文です。実はこの言葉はニュートンの独創ではなく、中世12世紀フランスのキリスト教スコラ哲学・神学者シャルトルのベルナルドウスの言葉とされています。

 世の中は大多数が平凡な人間ですが、中には天才的な人物が現れ、世界を変えることがあります。そのような思想的巨人のお陰で人類は英知を得ることが出来ます。その英知を教育という形で次代は受け継ぎ、人類の遺産として活用します。ですから、われわれはニュートンやアインシュタインのような天才ではありませんが、彼らの苦闘の結果得た最先端英知を日常に生かして生活しています。

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必勝の神機 −井草晋一−

 

 

 

ピヨ バイブル ミニストリーズ
代表 井草晋一

・SALTY 論説委員
・日本メノナイトブレザレン教団
武庫川キリスト教会 協力牧師
・「剣道とキリスト教」主催

 

「剣道とキリスト教」(第5回)

『必勝の神機』

~「気理合一」を目指して~

最近、小野派一刀流 宗家の笹森順造先生のいくつかの 言葉を思い起こします。

「必勝の神機」、「気理合一」、「日本人のとらざるところ」・・・。

 

「必勝の神機」とは、何でしょうか?

剣道の教えと、聖書の奥義「圧倒的な勝利」について、お話しします。

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軍に仕え、信仰を最優先に(5)−スティーブ・タウン−

2020年9月12日のコルネリオ会(防衛関係キリスト者の会)の例会(オンライン)で語られた、スティーブ・タウンさんのメッセージ(第4回)です。

 

 

 

米陸軍退役大佐
スティーブ・タウン

 

「軍に仕え、信仰を最優先に」(5)

-2020.9.12 コルネリオ会での証-

第5回:最終回>

<第4回より>  <—– クリック

 

5.神の恵み「ローズタウンミニストリーセンターの開設」

 最後にもうひとつの話をします。市ヶ谷勤務を終了して、私はやっと軍を退役することになりました。32年間米軍将校として勤務しました。普通より2年長く勤務しました。予備役だったからです。私が最後の横田基地勤務をしていた時に、毎日通勤途上に、綺麗な大きな結婚式場があり、それを宣教センターとして使いたいと思っていました。ある時私は、その中に入り外側の階段を登りました。上からの景色は素晴らしく、これ以上日本で綺麗なところはないと思いました。私は、祈りました。「イエス様これが私に本当に与えられたら、イエス様のためにこれを使いたい」と祈りました。

本当に夢のような話ですが、助けて下さいと何度か祈りました。

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スピリチュアルケアとは −亀井俊博−

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

「スピリチュアルケアとは」

2021・6・7

「全人医療とスピリチュアルケア」書評

田頭真一先生との関り

 SALTY誌上での拙稿 “教会にはなぜ女性が多いか?”(5月28日)でご紹介しました、畏友 田頭真一(たがみ しんいち)先生の近著「全人医療とスピリチュアルケア、聖書に基づくキリスト教主義的理論とアプローチの手引き」(いのちのことば社)の書評を述べさせていただきます。

SALTY:“教会にはなぜ女性が多いか?” (2021-5/28)

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一夫一婦・キリシタンの結婚 −久保田典彦−

写真(絵画):「祈る髙山右近」(水戸成幸・画、「髙山右近研究室・久保田」蔵)

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第39回 

 

 

 

 

阿武山福音自由教会 教会員

 久保田 Ucon 典彦
「髙山右近研究室・久保田」主宰

一夫一婦 ・ キリシタンの結婚

・ キリシタン達(男性)は、周りが、正妻以外に他の多くの女性を抱えたり、関係を持ったり(多妻・側室・愛妾など)・・・・・ といった悪習や色欲に溺れた生活が普通であった中で、

① 「貞潔を守り、一夫一婦」であるべきこと

② 「結婚は、デウス(神)が定められたもので、永続的な絆と永続的な義務が存在する」ということ

③ 「結婚は、デウスが結び合わされた契約である」

━━ ということを、宣教師達からしっかりと教え込まれていました。

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教会にはなぜ女性が多いか? −亀井俊博−

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

「教会にはなぜ女性が多いか?」

2021・5・19

宣教師の質問

「阪神宣教祈祷会」と言う、大阪と神戸の間・阪神地域の福音派を中心とした牧師会があります。半世紀近く阪神地域の福音宣教と教会相互のために祈る交わりです。私も40年以上その交わりに与っており、ありがたく思っています。近年は足が弱くなり、毎月地域教会持ち回りの集いに参加が難しくなり、加えてコロナ禍で感染の危惧のためなおさら足が遠のいていました。しかし、5月はズームでの牧師会と言う事で、久しぶりに参加、色々刺激がありました。懐かしい常連の先生方、新しく加わった牧師方もあって活気があります。

 その中で、ユー・チューブ伝道をなさっているユニークで大変有能なH牧師が、質問をなさり気になったものですから、ここに考えてみました。先生は、米国の宣教師であり所属の宣教師団体からの要請があったと言うのです。それは“日本の教会は女性が多いが、何故なのか?”と言う質問で、皆さんにお尋ねしますとの事。会議ですので、答える時間を取る余裕がなく、司会者が後日、質問書を送るので、お答えくださいと引き取ったのです。後日届いたメイルには、質問の背後に男性伝道策のシェア要請があるとの事でした。

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神さまを「あなた」と呼ぶ日本の教会は不敬なのかー日韓比較文化の視点で考える −西岡力−

 

 

西岡 力

ソルティ主筆
前 東京基督教大学神学部
国際キリスト教学科教授

神さまを「あなた」と呼ぶ日本の教会は不敬なのかー日韓比較文化の視点で考える

 韓国人宣教師の多くが日本にきて日本のキリスト教会で祈りや賛美の中で神様のことを「あなた」と呼ぶ場面に驚いたとよく聞きました。

 ある宣教師は、日本で宣教が進まない理由は、神さまを「あなた」と呼ぶことに表れている日本の教会の神へのへりくだりの不足だとさえ論じていました。しかし、これは日韓の敬語の違い、その背後にある社会システムの歴史の違いを無視した乱暴な議論です。

 日韓比較文化論の視点からそのことを論じてみましょう。

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キリシタン時代の聖書の翻訳 −久保田典彦−

※ 写真:シロツメクサ

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第38回 

 

 

 

 

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

キリシタン時代の聖書の翻訳

━ 久保田 Ucon 典彦  ━

キリシタン時代、聖書の翻訳は どうなっていたのでしょうか。

マルチン・ルターは、ドイツ国民の誰もが 「 聖書 」 を読むことが出来るようにということで、1522年に、ドイツ語訳の新約聖書を完成させ、出版していきました。

キリシタン時代の日本では、聖書翻訳は どうだったのでしょうか。

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