「その時に備えて」に備えて(6)君主が異教徒…だからなんだってんだ?!前編-田口望

田口望
田口望

 

 

 

 

田口 望
大東キリストチャペル 教役者
大阪聖書学院 常勤講師
日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY- 論説委員

聖書は異教徒の為政者の改宗を迫っていない

 JEA社会委員会が出版した小冊子「その時に備えて」には聖書によらない誤導が散見されます。同書P34には次ような一文があります。

ーーーーーーーー<引用>ーーーーーーーーー

天皇は異教の祭司ですから唯一の神を信じるキリスト者がこれに賛成するのは難しいでしょう。

ーーーーーーー<引用 終り>ーーーーーーーー

と断じて、その後、以下のような展開をします。

ーーーーーーーー<引用>ーーーーーーーーー

それなのに、伝道の妨げになるからといって見て見ぬふりをし、沈黙するならば、神の栄光をあらわすことはできません。伝道で何より大切なのは主のことばを忠実に語ることです。そうすることで、主の声を聞いた主の羊が主に立ち帰ります。教勢拡大のためには手段を選ばず教理も曲げて、というのでは伝道になりません。・・・

ーーーーーーー<引用 終り>ーーーーーーーー

 『天皇に賛成するのは難しい…』聖書のどこを読めばそのような解釈になるのか理解に苦しみます。私もまた聖書を誤って解釈する可能性のある人間ですから全否定はしませんが、私は、「神に栄光をあらわし」、「神の言葉に忠実に語る」からこそ、「天皇が異教の祭司であっても」、その人の祝福の為に祈ることはキリスト者の道として十分成り立ちうると考えます。

 為政者が、異教徒だったら、信者はその政権に賛成してはいけない等と聖書は教えているのでしょうか?この冊子に限らず、ごくごく一部の社会派クリスチャンは、天皇が立憲君主制の君主の位置にとどまらず、神道の祭司の位置にいることを問題視し、政教分離の徹底や、天皇制の反対まで公言します。周りの人たちがそれを諫めても、「政治的な問題」をさも「信仰の問題だ」といってはがかりません。
おそらく、当人たちは信仰の問題と思い込んでいるのかもしれませんが、もとい、聖書は、異教徒の為政者が存在するとき、その統治下に住む信者にどのように振る舞えといっているのでしょうか?権威を認めないといって不服従運動をするように教えているのでしょうか?革命をおこし、異教徒の為政者の改宗を迫ることを奨めているのでしょうか?

 わたくしは、「神の言葉に忠実に語」ろうと努める者ですから、「神に栄光をあらわ」す為に聖書が語る結論を包み隠さず述べましょう
異教徒の為政者に改宗を迫る事例など私の知る限り聖書の中にはありません!
 為政者が聖書の民の信仰に介入してきた場合には頑として抵抗しますが、そうでない限りは、善良な市民として、為政者の統治に従い、その為政者に祝福があるように祈れ(第一テモテ2:1~7)とすら聖書には書いてあるくらいです。

被支配階級に置かれた聖書の民(旧約)

アブ・シンベル神殿にあるラムセス2世像 ウィキペディアより
アブ・シンベル神殿にあるラムセス2世像 ウィキペディアより

 旧約聖書創世記の後半にはアブラハムのひ孫ヨセフが神の配剤によりエジプトのナンバー2、ファラオに次ぐ権力者である宰相になるくだりがあります。しかし、エジプト人に自らの宗教を強いることも、大臣就任にあたり、ファラオに臣従拒否することもありませんでした。ヨセフは実家の実父や兄弟を呼び寄せますが、埋葬方式をエジプト式に合わせるほどでありました。

 それから400年の月日が流れ、旧約聖書 出エジプト記の時代、エジプト帝国も何代か王朝が交代しました

 

カルナック神殿 ラムセスが信奉していたアメン神が祀られている
カルナック神殿 ラムセスが信奉していたアメン神が祀られている

 モーセがイスラエルの民の指導者になったとき、時のファラオ(ラムセス2世と推定される)にモーセは自分たちの信仰のスタイルの改宗は迫りませんでした。独立戦争も革命も抵抗もせず、当初は「自分たちの宗教の礼拝のために3日間だけお暇をください」とかなり控えめなお願いをしただけで、最後まで相手方に改宗や君主の地位を降りることなど求めていません。

アメリカ議会図書館に彫られたナブー神のプレート
アメリカ議会図書館に彫られたナブー神のプレート

 時代は下って紀元前6世紀前半、旧約聖書の預言者ダニエルもバビロニア帝国の皇帝ネブカドネザル2世の忠臣として使えました。ネブカドネザルのアッカド語名はナブー・クドゥリ・ウスルで「ナブー神よ、私の最初の息子を守りたまえ」を意味します。マルドゥク神の息子ナブー神は、バビロニアにおける知恵の神の名前です。聖書からも、考古学的史料からもこの皇帝が異教徒であったのは間違いありません。皇帝が自分たちの信仰に介入し、偶像礼拝を強要してきたときに限ってはそれを拒否しましたが、ダニエルは彼の晩年まで仕え続けるのです。

 さらに時代が下って紀元前6世紀後半、旧約聖書ネヘミヤ記の主人公、ネヘミヤはペルシャ人の支配するアケメネス朝において、献酌官の要職に就いていました。皇帝も毒見役を仰せつかるほど皇帝からの信任が厚く、挨拶するときもネヘミヤは「王よ、とこしえに生きられますように」(ネヘミヤ2:3)とまるで「君が代」のような賛辞を皇帝アルタシャスタにしています。信仰心から自分が故郷に帰りたいことを皇帝に告げる際も、謀反の疑いがかかるのでは無いかと思って自分から言い出せずにいたほどでした。

 

続く