週の真ん中ストレート(10)共産党…存在することすら許されない政党ー田口 望

田口望
田口望

 

 

 

 

田口 望
大東キリストチャペル 教役者
大阪聖書学院 常勤講師
日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY- 論説委員

 

西ドイツにも迫った共産党の魔の手

旧ドイツ共産党旗
旧ドイツ共産党旗

 前回の週の真ん中ストレートでは、東ドイツの共産党が見せかけだけの柔軟路線で社民党と合併し、ドイツ社会主義統一党という政党をつくり、多くの弾圧や離散家族を生んだことを学びました。では西ドイツの共産党はどうなったのでしょうか?
西ドイツでも戦後まもなく共産党は再建され、国政選挙にも進出し5パーセント以上の得票率を得て、十数議席を得ました。今の日本共産党が得る得票率、議席数とほぼ同じです。しかし、西ドイツは東ドイツや戦前のワイマール共和国の轍を踏むことはありませんでした。

政府が共産党の民主集中制という制度を問題視して訴える?

 なんと西ドイツの中道右派アデナウアー政権はドイツ共産党という団体そのものを違憲だと言って、連邦憲法裁判所に訴えたのです。同じ時期日本共産党は暴力革命路線をとって、警察官を殺したり、火炎瓶を投げたり、過激な行動をしていたのですが、ドイツ共産党はそれよりもずっと穏健であったにもかかわらず、訴えられたのです。訴えられた理由は次のようなものでした。

 ボン基本法(西ドイツの憲法)21条に「政党の内部秩序は、民主的原則に適合していなければならない」とあり、「政党で、その目的または党員の行為が自由な民主的基本秩序を侵害もしくは除去し、またはドイツ連邦共和国の存立を危うくすることを目指す物は違憲である。違憲の問題については、連邦憲法裁判所がこれを決定する」と定められていたからなんです。つまり、ドイツ共産党が当時の西ドイツで何かしら暴力革命の実害を及ぼしたわけでなくて、ドイツ共産党の規則が「民主集中制」といって、党中央のいうことを下部組織が絶対的に聞かなければならないような仕組みになっており、逆らえば除名したり、党内の異なった意見が絶対に外に漏れないようになっていて、党内のガバナンスが極めて、非民主的であることを理由に、「そんな政党は議会で議席をもって意見を述べること自体、憲法違反だ!」っと、ドイツ政府が訴えたんです。

「自由の敵には無制限の自由は認めない」

ドイツ連邦憲法裁判所
ドイツ連邦憲法裁判所

 ドイツ共産党は、党の外に向けては、「自由を守れ」「民主主義を守れ」と言って、反政府活動をし、また勧誘もするので外ヅラだけはよいのですが、一旦入党してしまうと、一切の批判が許されず、逆らえば除名、粛清され、党本部の命令を絶対的に従わなければならないような構造をもった組織だったのです。まるでカルト宗教みたいですよね。そういう集団が組織を拡大させ、最終的には今の社会のしくみを根本から転覆させることを狙っているとしたら、まだ社会になんの実害が及ぼされていなかったとしても、その勢力を未然に摘み取ってしまうことをドイツの憲法は予定し、政府もその憲法に従って共産党を訴えたんです。

で、この訴えは連邦憲法裁判所で認められてドイツ共産党は1956年に西ドイツでは解党させられたのです。判決文には次のような一節がありました。「自由の敵には無制限の自由は認めない」

日本共産党は民主集中制をやめているのか?

 よろしいですか、同じころ日本共産党は実際に日本各地でテロを行っていたし、民主集中制を採用してもっとひどい事をしていたのに解散させられていません。いや、それどころか、驚くことなかれ、日本共産党は21世紀の現在においてもこの党内の異論を絶対に許さない「民主集中制」という制度を採用しつづけ、東側諸国の独裁政党と遜色なく、その制度を堅持し続けているのです。そういえば、日本共産党って、他の政党で聞くような以下のような話をニュースで一切聞かいでしょう?
たとえば党本部○○候補を推薦したが党県連は▽▽候補を推薦して意見の相違がある

とか、

小池派とか志位派とか穀田派などの派閥が党内にある

とか、

次期日本共産党委員長を決めるために選挙があった

とか、聞いた事がないでしょう?日本共産党は結党以来90年間一度も党首選挙を行ったことがない、党内では恐ろしいほどの異論を許さない独裁政党なのです。

 これは他の政党とは全然違います。教祖様の意見に絶対服従するカルト的な宗教団体のそれです。近年柔軟路線を示しているのは新しい党員や(党友・サポーターが入ってきても、その人たちに党の中央本部の考え方に後からいくらでも染め上げることができるし、新しい党員が、党内で新しい派閥を結成したり、党本部に従わなければ、反党行為として、簡単に除名できるからなのです。

寛容のパラドックス

 日本共産党はそもそもドイツの基準に照らし合わせれば、国会で議論もさせてもらえませんし、選挙にも出させてもらえませんし、政党として認めてもらうことすらないし、存在そのものが許されず、違憲だといわれるレベルの、超、超、超、超、超ヤバい政党(共産党を政党と呼ぶことすら、ドイツの基準で言えば合法的な他の全ての政党に対して失礼なくらいの団体)なのです。

 一部の社会派の活動をされる日本のキリスト者でも、「ドイツに見習え」とかいう一方で、「日本共産党シンパ」である無邪気な方がいらっしゃいますよね。これは本当に恐ろしい事だと思います。私が普段は「政治的主義主張の多様性は担保すべきだ」と主張しながら、日本共産党に関しては一切の議論の余地も認めず、存在すら認めないという厳しい立場をとり、トーンを高めて警鐘を鳴らすのはこの一点にあります。

カール・ポパー(1902-1994)
カール・ポパー(1902-1994)

 最後に寛容のパラドックスということばを紹介して結びとします。この言葉は、聖書の中で当時虐げられていた徴税人や遊女、重度の皮膚疾患に苦しんでいた人に寛容な姿を示す一方、不寛容なパリサイ人律法学者と言った宗教家に対しては不寛容な態度を取られたキリストの姿にも通じるものがあると感じるのは私だけでしょうか?

オーストリア出身の哲学者カール・ポパーが1945年に発表したパラドックス。このパラドックスは、

「もし社会が無制限に寛容であるならば、その寛容は最終的には不寛容な人々によって奪われるか破壊される」と述べ「寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容であらねばならない」とした。

 共産党の個々人の扱い方は、神のかたちに似せて創られたと主張し、個々人を尊重する聖書の人間観とは決定的に違います。まかり間違ってキリスト者が日本共産党のような全体主義的政党を応援することがないようにしましょう。