週の真ん中ストレート(14) 何故、私は「反共」ののろしを上げたのか?前編 − 田口 望 −

田口望
田口望

 

 

 

 

田口 望
大東キリストチャペル 教役者
大阪聖書学院 常勤講師
日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY- 論説委員

大学時代の筆者

最初に身の上話をすることをお許しください。

私は大学生のころ、ある学生伝道団体Kに所属していました。

 いくつかの大学では、クリスチャンのサークルとして聖書研究会なるものがり、学生伝道団体Kは全国の大学の聖書研究会の連絡会を兼ねるような役割を持っていました。普段は学内サークルの聖書研究会で活動しながら、関西地区の実行委員として、各大学の聖書研究会の有志と夏休みに小豆島への小旅行を計画したり、団体Kが借り上げている大阪梅田の事務所で各大学のクリスチャンたちが週に一度あつまる集会を任されたりして、学生時代はその学生伝道団体Kとサークルの活動に明け暮れていました。

 学生伝道団体Kはモットーとして、「全生活を通しての証し」というものを掲げていました。クリスチャンではない方にも通りのよい言い方をするならば、「教会に行く時だけ、クリスマスの時だけ宗教人としてふるまうのではなくて、普段の生活から裏表なくクリスチャンとして生きる」ということを団体としても奨励していたのです。

 ですから、カクレキシリタンとして生きるのではなく、就職活動の時も自分がクリスチャンであること、学内サークルである聖書研究会の代表をしていたこと、また学生伝道団体Kの実行委員として、他大学と交流し様々な企画、運営を任されていたことを包み隠さず、企業の採用担当者にお話ししました。

 私が卒業するころは就職氷河期のまっただなかだったので、就職活動は大変でしたが、企業の採用担当者からはおおむね、高い倫理観を持っている人物、受け身ではなくて能動的に企画立案できる人物としてポジティブな評価をしていただいたように思います。(内心はわたしのことを「宗教オタクめ」と思っていた人もいたかもしれませんが…)伝道団体Kのモットーは私のモットーでもありました。すなわち、就職したらクリスチャンをやめるわけではなく、就職後も社会人としてキリスト者として生きるのです。したがって、キリスト者としての私を社員として採用するのだということを採用前に予め企業に知っていただくことは正直で良いことだったと今でも思っています。

 私は数年前まで、学生伝道団体Kの後輩たちに、就職活動の際も、就職後も、自分にウソをつかずできうる限り、自分がクリスチャンであることを隠さずに生きる様にとアドバイスをしてきました。

 

容共理事長の登場

 ところがです、その学生伝道団体Kの理事長に就任した牧師が、こともあろうに、熱病のように左翼的な政治思想にとらわれてしまい、日本共産党が主催する集会に出席し、日本共産党の政策に賛同し、応援のエールを送り、その様子が日本共産党の機関紙である赤旗に掲載され、まんまと日本共産党の広告塔に利用されているのです。その記事は今もインターネット上で確認できます。これがどういう意味を持つかお判りいただけますでしょうか?

理事長個人の問題ではなくて、これから社会に出ようというクリスチャン学生を何人も苦しめてしまっているのです。

これは、常識ある社会人ならみなまで言わずともわかる話です。しかし、閉鎖的な日本のキリスト教界の方々にはわかりにくいかもしれないので、少し詳しく説明します。そしてそれは、日本に生きるキリスト教伝道者の端くれとして、私が全存在を賭して反共ののろしを上げざるえなくなった理由でもあるのです。

 

就職活動のイロハ

まず、下記のリンクをご覧ください。

就活生は要注意!採用現場ではSNSの「いいね!」先まで調べられている

https://diamond.jp/articles/-/166645

 今や、就職活動の現場で、企業の採用担当者が就活生のSNSをチェックするのは当たり前のことです。クリスチャンの就活生が学生伝道団体Kに所属して活動していたことも丸わかりです。採用担当者は、面接で本人の口から、あるいは就活生のSNSから、彼らがキリスト教の学生伝道団体Kに所属し積極的に活動していたことを知ることになりますが、多くの場合Kがどんな団体かはすぐにはわかりません。なぜなら、採用担当者がクリスチャンであることは稀だからです。

 そのため、企業の採用担当者は、その団体Kのホームページなどを調べ、団体Kがどのような団体か理解しようとするでしょう。、「総主事」とか、「理事長」とかいう代表者と思しき肩書の名前を検索し、その団体Kがどのような団体なのかを判別しようとするでしょう。代表者が分かれば、その名前を検索する可能性があります。いや、むしろ当然に検索されるでしょう。上記のリンクにあるようにSNSの「いいね!」の先まで調べられるのですから。そして、理事長の名前を検索したら、日本共産党の機関紙、赤旗がヒットするわけです。しかも、たまたま、出くわしたということではなく、日本共産党が主催する集会に自らの意思で赴いて、実名で日本共産党にエールを送っているわけです。そのような人物が現職の理事長である団体Kのことを、企業側はどのように判断するでしょうか?団体Kに積極的にかかわってきたクリスチャン就活生はどういった人物だと判断されてしまうのでしょうか?
これは私が日本共産党をどう思っているか?私が学生をどう思っているか?私が学生伝道団体Kの理事長をどう思っているか?など、個人の政治信条の話をしているわけではありません。団体の代表者の言動が、社会通念上どのように判断され、それがために団体に所属するメンバーにどのような影響を与えるか思いを致すのが代表の、ましてや羊を導く羊飼いの当然の務めではないのかということなのです。

建前だけで現実を知らない聖職者

 もちろん、労働基準法上では個人の政治信条で就職の際不当な扱いをしてはならないというのが建前です。しかし、その建前通りに不当な扱いを受けないとどうして言えるでしょうか?日本共産党が数十年前まで暴力革命路線を前面に押し出し、日本社会に対して、数々の暴力テロ活動を行い、官憲を何人も死においやったのは厳然たる事実です。そのために、今をもってなお日本共産党が公安調査庁の監視対象団体であることもまた事実です。そして、日本共産党系、すなわち全労連系の労働組合が内部で勢力を持ったことのある多くの企業が、当該労働組合がイデオロギー闘争に明け暮れたために、企業の為にもならず、顧客の為にもならず、また労働者本人のためにもならない闘争に苦しめられ、傷ついてきたのも事実です。したがって企業の採用担当者が、そのような団体の支持者が新たに社員として採用されることに細心の注意を払うことも当然のことであり、また常識なのです。社会経験のない牧師の方々はご存じでないかもしれませんが。
こうして、クリスチャン就活生は、本人も気づかないうちに団体Kの理事長の行動がために就職戦線で不利な扱いを受けていることでしょう。

羊飼い牧者でありながら、これから社会に出ようとする迷える子羊に実害を与えてしまっていることに、平気であったり、気づかないでいる当人とその当人の暴走を止めないでいるキリスト教伝道団体Kやまた、牧師の寄り合いとは一体何なんだろうと私は愕然としました。

 私はこのサイト内でも度々申し上げているように、私の政治信条は右ではありません。むしろやや左であるくらいです。そんな私がこのソルティーのサイトで反共ののろしをあげたのは、個人的な政治信条からではありません。小さな日本のキリスト教界の牧師間の人間関係やなれ合いよりも、若いクリスチャン学生、若い羊を守る側に立とうと思い至ったためなのです。

 

つづく