最後のマエストロ達(2) −亀井俊博−

 

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

「最後のマエストロ達」(第2回)

 

(第1回)より

(c)最後の丸山眞男

(1)日本精神の執拗低音

 さらに無教会の内村鑑三の弟子、政治学の南原繁の下に学んで日本政治思想研究から戦後民主主義の旗手となったマエストロ、丸山眞男(1914~1996)を取り上げます。小著ながら今も色あせない「日本の思想」で、中心の無責任、周辺の無限責任と言う日本(政治)思想の特徴を摘出。これは日本の古代神話思想構造から由来するものである。即ち哲学者和辻哲郎が解明した記紀の神々の系譜研究、すなわち祀る神々と祀られる神々の系譜。そして祀られる神々は一見上位に見えるが、結局祭り上げられ、実権は祀る神々が握って恣にする精神構造に由来します。

 丸山は「政治」の古語“まつりごと”(政事)は、下位の者が上位の者に奉る、上奏するものであり、上位者は“きこしめす”関係にある。即ち日本では権力の上位者は祭り上げられ、政治の実権・意思決定デシジョン・メイキングは下位者が行使する構造になっている。さらに地上の最高権力者天皇も高祖の霊に上奏し、天上の八百万の神々は最後に上奏すべき至高者がいない、一神教的責任者のいない無責任構造になっていると解明。丁度戦前の軍部が天皇を祭り上げて、実質国家を操り破滅に向かわせた。そして敗戦の責任を最高責任者は取らず、末端の兵や将校を絞首台に送る連合国軍の報復「東京裁判」で決着をつけさせた。日本精神の執拗低音(バッソ・オステイナート)の解明です。彼の思想の中核は中心の無責任であり、日本の記紀の神々の多神教構造では、神々の会議で“共同責任は無責任”な結論しか出ない。一神教的最終責任体制の欠如に問題の所在がある、とした。恩師のキリスト者南原繁の影響が強くその日本政治思想史研究ににじみ出ている。

“最後のマエストロ達(2) −亀井俊博−” の続きを読む

最後のマエストロ達(1) −亀井俊博−

 

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

「最後のマエストロ達」(第1回)

2021・6・16

(A)巨人の背中の小人

  “われわれは巨人の肩に乗った小人のようなものだ。当の巨人よりも遠くを見わたせるのは、われわれの目がいいからでも、体が大きいからでもない。大きな体のうえに乗っているからだ。”これは1676年ニュートンがライバルのロバート・フックに宛てた手紙の有名な一文です。実はこの言葉はニュートンの独創ではなく、中世12世紀フランスのキリスト教スコラ哲学・神学者シャルトルのベルナルドウスの言葉とされています。

 世の中は大多数が平凡な人間ですが、中には天才的な人物が現れ、世界を変えることがあります。そのような思想的巨人のお陰で人類は英知を得ることが出来ます。その英知を教育という形で次代は受け継ぎ、人類の遺産として活用します。ですから、われわれはニュートンやアインシュタインのような天才ではありませんが、彼らの苦闘の結果得た最先端英知を日常に生かして生活しています。

“最後のマエストロ達(1) −亀井俊博−” の続きを読む

スピリチュアルケアとは −亀井俊博−

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

「スピリチュアルケアとは」

2021・6・7

「全人医療とスピリチュアルケア」書評

田頭真一先生との関り

 SALTY誌上での拙稿 “教会にはなぜ女性が多いか?”(5月28日)でご紹介しました、畏友 田頭真一(たがみ しんいち)先生の近著「全人医療とスピリチュアルケア、聖書に基づくキリスト教主義的理論とアプローチの手引き」(いのちのことば社)の書評を述べさせていただきます。

SALTY:“教会にはなぜ女性が多いか?” (2021-5/28)

“スピリチュアルケアとは −亀井俊博−” の続きを読む

教会にはなぜ女性が多いか? −亀井俊博−

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

「教会にはなぜ女性が多いか?」

2021・5・19

宣教師の質問

「阪神宣教祈祷会」と言う、大阪と神戸の間・阪神地域の福音派を中心とした牧師会があります。半世紀近く阪神地域の福音宣教と教会相互のために祈る交わりです。私も40年以上その交わりに与っており、ありがたく思っています。近年は足が弱くなり、毎月地域教会持ち回りの集いに参加が難しくなり、加えてコロナ禍で感染の危惧のためなおさら足が遠のいていました。しかし、5月はズームでの牧師会と言う事で、久しぶりに参加、色々刺激がありました。懐かしい常連の先生方、新しく加わった牧師方もあって活気があります。

 その中で、ユー・チューブ伝道をなさっているユニークで大変有能なH牧師が、質問をなさり気になったものですから、ここに考えてみました。先生は、米国の宣教師であり所属の宣教師団体からの要請があったと言うのです。それは“日本の教会は女性が多いが、何故なのか?”と言う質問で、皆さんにお尋ねしますとの事。会議ですので、答える時間を取る余裕がなく、司会者が後日、質問書を送るので、お答えくださいと引き取ったのです。後日届いたメイルには、質問の背後に男性伝道策のシェア要請があるとの事でした。

“教会にはなぜ女性が多いか? −亀井俊博−” の続きを読む

赤っ恥「9条教」の牧師が引用する聖句はむしろ改憲を支持している −栗生稔−

「シバの女王のソロモン王の訪問」エドワード・ポインター作

SALTY論説委員
栗生 稔

 憲法記念日に合わせて、「憲法9条の護憲という政治的主張を声高にするキリストの一部の牧師」は聖書を用いて、「日本国憲法9条こそ神の御心」とばかりに喧伝しています。本稿では彼らのことを「9条教の牧師」と省略、表記することをご容赦ください。これは自らの政治的見解を主張したいがために、聖書を曲解して用いることのない、良識ある大多数の「キリスト教の牧師」に敬意を表するためであり、一部の「9条教の牧師」が大多数の「キリスト教の牧師」の仕事の尊厳を傷つけていることに気づいていただくためでもあります。 “赤っ恥「9条教」の牧師が引用する聖句はむしろ改憲を支持している −栗生稔−” の続きを読む

中国キリスト教の躍進に学ぶ(3)−亀井俊博−

*写真:「ゴルゴダの道」_宮地聴 作_1985・日展入選作品

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

 

「中国キリスト教の躍進に学ぶ」(第3回)

<第3回(最終回)>
・3回の連載で掲載いたしました。(SALTY編集部)

<第2回>より    <—– クリック!

「中国キリスト教の躍進に学ぶ」

 

(C)中国キリスト教躍進の要因分析と日本キリスト教の学ぶべき点

 中国宣教は、世界の教会の悲願でしたが、無神論共産主義に阻まれ、宣教の門は閉じられていました。多くの欧米のチャイナ・ミッションは中国から撤退させられたのです。しかしその閉鎖状況の中に、教会は大きく成長していたのです。まさに神の恵みであり、人間的には奇跡と言うほかありません。同時に、人間的視点からその発展の要因を探る事も、無意味ではないでしょう。以下わたしの要因分析を述べます。

“中国キリスト教の躍進に学ぶ(3)−亀井俊博−” の続きを読む

中国キリスト教の躍進に学ぶ(2)−亀井俊博−

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

 

「中国キリスト教の躍進に学ぶ」(第2回)

<第2回>
・3回の連載で掲載いたします。(SALTY編集部)

<第1回>より    <—– クリック!

(c)改革開放時代

 1990年代、文化革命による、社会の破壊と荒廃から再建するため、1989年の天安門事件を経て、鄧小平が“改革開放”を唱え、政治の共産党支配、経済の資本主義市場導入を計りました。その結果、欧米との国際交流が盛んとなり、1990年以降宗教ブームが生じ、キリスト教会も中国駐在のビジネスマン、外交官、学生等のキリスト者の礼拝のため、北京、上海に「国際教会」(International Christian Fellowship,ICF) を認可、ホテル礼拝、やがて会堂が建てられ、パスポートを提示し外国人信徒の礼拝が認められました。これは共産党政府下の「特区」としての市場開放、宗教開放策でした。しかし中国人への伝道は禁止され、中国人キリスト者との交流も認められませんでした。

“中国キリスト教の躍進に学ぶ(2)−亀井俊博−” の続きを読む

新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(4) −亀井俊博−

・写真:梅の花(能勢川バイブルキャンプ)

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

 

「新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(4)」

執筆:2021年1月13日

<第4回(最終回)>
・4回の連載で掲載いたしました。(SALTY編集部)

<第3回>より    <—– クリック!

 

(D)実践神学的考察

(a)コロナと宣教学(ミッシオロジー)

 世界宣教の使徒パウロは、議会サンヘドリンに訴えられた訴状で「この男は、疫病(ロイモス)のような人間で、世界中に」伝道している人物と紹介されています(使徒 24: 5)。今、世界の教会はパウロに倣ってコロナ感染の“疫病”に勝る、福音宣教力(感染力?)を頂く聖霊によるリバイバルの好機にいると信じます。
京都学派今西スクールの生態学者、梅棹忠夫の著作「文明の生態史観」にほとんど注目されませんが、興味深い疫病と宗教との関係を取り上げた、論文があります。梅棹によると、感染病はヒトの体に感染する様に、宗教も精神的に感染するので似ている。まあ、疫病と宗教を似ていると言うのは、冒涜的に思いますが、我慢してお聞きください。コロナ時代の宣教学に参考になる事もありますから。

“新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(4) −亀井俊博−” の続きを読む

新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(3) −亀井俊博−

・写真:エリカクリスマスパレード

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

 

「新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(3)」

執筆:2021年1月13日

<第3回>
・4回の連載で掲載いたします。(SALTY編集部)

<第2回>より    <—– クリック!

 

(c)コロナの非人称関係論的神学考察

①前近代的思考、近代的思考

 まず、コロナを(われーそれ)非人称関係論的神学の観点から考察します。生態系としての地球環境の一自然現象としてのコロナと人間との関係です。コロナは自然現象であり、人格はありませんので、非人称関係と言う事です。

 前近代の時代では、疫病は疫病神・怨霊の仕業、仏罰、神罰(梅原猛の怨霊封じ思想、古神道、仏教)、治療は加持祈祷、祭礼でした。また中国では天地の気の乱れが体内に侵入し身心バランスを崩すのが病気であり、鍼灸、漢方薬による合理的治療が一部でなされたが、やはり悪霊の業への非合理的呪術(道教)が大勢であった。まさにM・ウエーバーの説く「呪術の花園」(「儒教とピューリタニズム」)であった。さらにはキリスト者でも神の裁きだとか、現代でも一部の人は想うでしょうが、そう言う前近代的、非科学的思考はユダヤ・キリスト教による「脱呪術化」的思考により形成された近代科学教育の洗礼を受けた現代人には、少なくとも意識的には通用しないでしょう。勿論一皮むけば前近代的思考が深層意識にあって、こういう危機の際頭をもたげ、お祓いや厄落とし、疫病退散の護摩焚き祈願に向かうのですが、精神的退行現象です。

 ここでは、19世紀「近代細菌学の父」と言われる、R・コッホ(結核菌、コレラ菌)、L・パスツール(狂犬病菌、炭疽病菌)による細菌の発見、治療法としてのワクチン開発、公衆衛生学の普及等の、近代医学と言う非人称(われーそれ関係(M.ブーバー、人間と自然科学の対象としての自然との関係でコロナを論じる)関係を共通思考の前提で考察します。

“新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(3) −亀井俊博−” の続きを読む

新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(2) −亀井俊博−

・写真:雪の中の蕗の薹

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

 

「新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(2)」

執筆:2021年1月13日

<第2回>
・4回の連載で掲載いたします。(SALTY編集部)

<第1回>より    <—– クリック!

(C)教義神学的考察

 これより本旨に入って、教義神学とコロナとの関係を考察します。教義神学にも多くの教義項目がありますが、特に創造論との関係を述べます。その前提の私独自の創造論を述べます。

 万物の起源を論ずる神学が創造論であり、終わりを論ずるのが終末論です。万物の起源についての人間の考察は、①無起源・無終末を説く循環論(仏教、輪廻転生)があり、②起源を認める論には、“うむ、なる、つくる”の三つの立場があります(「歴史意識の古層」丸山真男)。“生む、成る”は神道、儒教的立場です。“造る”が三大一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)です。

 創造論は特にキリスト教で発展し、近代科学を生み出す要因の一つになったと言われます(「近代科学の源流」伊藤俊太郎、「近代科学と聖俗革命」村上陽一郎)。正統的な創造論は既刊の神学書に譲り、現代の創造論を“生態論的創造論”とした神学者、J.モルトマンの立場で今回のコロナ問題に対応します(「創造における神」、J.モルトマン組織神学論叢 2 )。さらに構造主義神学的方法論として私の説く人称関係論的神学的観点からお話しします(拙著「まれびとイエスの神」、講話)。

“新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(2) −亀井俊博−” の続きを読む