神さまを「あなた」と呼ぶ日本の教会は不敬なのかー日韓比較文化の視点で考える −西岡力−

 

 

西岡 力

ソルティ主筆
前 東京基督教大学神学部
国際キリスト教学科教授

神さまを「あなた」と呼ぶ日本の教会は不敬なのかー日韓比較文化の視点で考える

 韓国人宣教師の多くが日本にきて日本のキリスト教会で祈りや賛美の中で神様のことを「あなた」と呼ぶ場面に驚いたとよく聞きました。

 ある宣教師は、日本で宣教が進まない理由は、神さまを「あなた」と呼ぶことに表れている日本の教会の神へのへりくだりの不足だとさえ論じていました。しかし、これは日韓の敬語の違い、その背後にある社会システムの歴史の違いを無視した乱暴な議論です。

 日韓比較文化論の視点からそのことを論じてみましょう。

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キリシタン時代の聖書の翻訳 −久保田典彦−

※ 写真:シロツメクサ

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第38回 

 

 

 

 

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

キリシタン時代の聖書の翻訳

━ 久保田 Ucon 典彦  ━

キリシタン時代、聖書の翻訳は どうなっていたのでしょうか。

マルチン・ルターは、ドイツ国民の誰もが 「 聖書 」 を読むことが出来るようにということで、1522年に、ドイツ語訳の新約聖書を完成させ、出版していきました。

キリシタン時代の日本では、聖書翻訳は どうだったのでしょうか。

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バイデン米政権の中東外交 ― オバマ時代の再現か?(2)−明石清正−

 

明石清正
SALTY論説委員
カルバリーチャペル・ロゴス東京 牧師
ロゴス・ミニストリー 代表

 「バイデン米政権の中東外交 ― オバマ時代の再現か?(1)」の続きです。前回は、西欧式の人権外交を中東に振りかざしてしまうと、イスラム過激派を勢いづける話をさせていただきました。

中東のキリスト教徒は、イスラムより独裁者を望む

 そこで筆者が、中東地域に和平が進むかどうかを見極める指標としているのが、私たちの信仰の兄弟姉妹である、現地のキリスト教徒たちの動きです。今月初めに、ローマ教皇がイラク訪問をしました。イラクは、バビロンやアッシリアのあったところで聖書考古学の宝庫であり、また初代教会から綿々と続く、キリスト教の伝統を持っています。

Pope Francis arrived at the Hosh al-Bieaa centre in Mosul where he prayed, amidst the ruins and along with the people of Iraq, for all the victims of war in the country and throughout the Middle East.

 そのキリスト教徒たちは、あの悪名高いサダム・フセインの統治下では案外、平和に暮らしてきたという意外な事実があります。なぜか?というと、フセイン政権は「世俗政策」を取って来たからです。しかし、米軍の侵攻によって倒れると、国内はイスラム色が強まり、そのためにキリスト教徒が迫害されてきました。そしてイスラム国がイラン国内で発生し、教会に対する大迫害が起こったのです。

 この流れは、エジプトでも同じです。欧米が、2011年に起こったアラブの春で民主化の波が起こっていると喜んでいた時に、中東のキリスト教徒は恐怖に包まれていました。強権の指導者が倒されたら、かならずイスラム過激派が台頭し、自分たちは迫害されるからです。 “バイデン米政権の中東外交 ― オバマ時代の再現か?(2)−明石清正−” の続きを読む

中国キリスト教の躍進に学ぶ(3)−亀井俊博−

*写真:「ゴルゴダの道」_宮地聴 作_1985・日展入選作品

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

 

「中国キリスト教の躍進に学ぶ」(第3回)

<第3回(最終回)>
・3回の連載で掲載いたしました。(SALTY編集部)

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「中国キリスト教の躍進に学ぶ」

 

(C)中国キリスト教躍進の要因分析と日本キリスト教の学ぶべき点

 中国宣教は、世界の教会の悲願でしたが、無神論共産主義に阻まれ、宣教の門は閉じられていました。多くの欧米のチャイナ・ミッションは中国から撤退させられたのです。しかしその閉鎖状況の中に、教会は大きく成長していたのです。まさに神の恵みであり、人間的には奇跡と言うほかありません。同時に、人間的視点からその発展の要因を探る事も、無意味ではないでしょう。以下わたしの要因分析を述べます。

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中国キリスト教の躍進に学ぶ(2)−亀井俊博−

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

 

「中国キリスト教の躍進に学ぶ」(第2回)

<第2回>
・3回の連載で掲載いたします。(SALTY編集部)

<第1回>より    <—– クリック!

(c)改革開放時代

 1990年代、文化革命による、社会の破壊と荒廃から再建するため、1989年の天安門事件を経て、鄧小平が“改革開放”を唱え、政治の共産党支配、経済の資本主義市場導入を計りました。その結果、欧米との国際交流が盛んとなり、1990年以降宗教ブームが生じ、キリスト教会も中国駐在のビジネスマン、外交官、学生等のキリスト者の礼拝のため、北京、上海に「国際教会」(International Christian Fellowship,ICF) を認可、ホテル礼拝、やがて会堂が建てられ、パスポートを提示し外国人信徒の礼拝が認められました。これは共産党政府下の「特区」としての市場開放、宗教開放策でした。しかし中国人への伝道は禁止され、中国人キリスト者との交流も認められませんでした。

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中国キリスト教の躍進に学ぶ(1)−亀井俊博−

・写真:ネコヤナギの花

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

 

「中国キリスト教の躍進に学ぶ」(第1回)

<第1回>
・3回の連載で掲載いたします。(SALTY編集部)

(A)中国キリスト教の躍進に学ぶ

 “戦前の中国のキリスト教徒は、ライス・クリスチャンと呼ばれ、宣教師がお米をくれるから教会に来ていた。だから今は無神論の共産党支配になってしまい、教会は消滅したと思う”、わたしが半世紀も前に戦前の中国の教会を知る先輩牧師からお聞きした話です。

 しかしこの予測は見事に裏切られました。2025年、中国キリスト者数は1億6千万人を数え、2030年には2億4・7千万人に成長し、アメリカを抜き世界一のキリスト教人口になると予測されると言う(Fenggang Yang、米国バーデユ大学教授)。

 そこで危機感を抱いた中国政府は、強力な規制をキリスト教にかけていると言う。わたしはこの奇跡的な現象に関心を抱き、さらには省みて日本のキリスト教不振に比べて、中国キリスト教から学ぶべき事がないか、牧師として切実な思いを持っていました。

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新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(4) −亀井俊博−

・写真:梅の花(能勢川バイブルキャンプ)

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

 

「新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(4)」

執筆:2021年1月13日

<第4回(最終回)>
・4回の連載で掲載いたしました。(SALTY編集部)

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(D)実践神学的考察

(a)コロナと宣教学(ミッシオロジー)

 世界宣教の使徒パウロは、議会サンヘドリンに訴えられた訴状で「この男は、疫病(ロイモス)のような人間で、世界中に」伝道している人物と紹介されています(使徒 24: 5)。今、世界の教会はパウロに倣ってコロナ感染の“疫病”に勝る、福音宣教力(感染力?)を頂く聖霊によるリバイバルの好機にいると信じます。
京都学派今西スクールの生態学者、梅棹忠夫の著作「文明の生態史観」にほとんど注目されませんが、興味深い疫病と宗教との関係を取り上げた、論文があります。梅棹によると、感染病はヒトの体に感染する様に、宗教も精神的に感染するので似ている。まあ、疫病と宗教を似ていると言うのは、冒涜的に思いますが、我慢してお聞きください。コロナ時代の宣教学に参考になる事もありますから。

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新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(3) −亀井俊博−

・写真:エリカクリスマスパレード

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

 

「新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(3)」

執筆:2021年1月13日

<第3回>
・4回の連載で掲載いたします。(SALTY編集部)

<第2回>より    <—– クリック!

 

(c)コロナの非人称関係論的神学考察

①前近代的思考、近代的思考

 まず、コロナを(われーそれ)非人称関係論的神学の観点から考察します。生態系としての地球環境の一自然現象としてのコロナと人間との関係です。コロナは自然現象であり、人格はありませんので、非人称関係と言う事です。

 前近代の時代では、疫病は疫病神・怨霊の仕業、仏罰、神罰(梅原猛の怨霊封じ思想、古神道、仏教)、治療は加持祈祷、祭礼でした。また中国では天地の気の乱れが体内に侵入し身心バランスを崩すのが病気であり、鍼灸、漢方薬による合理的治療が一部でなされたが、やはり悪霊の業への非合理的呪術(道教)が大勢であった。まさにM・ウエーバーの説く「呪術の花園」(「儒教とピューリタニズム」)であった。さらにはキリスト者でも神の裁きだとか、現代でも一部の人は想うでしょうが、そう言う前近代的、非科学的思考はユダヤ・キリスト教による「脱呪術化」的思考により形成された近代科学教育の洗礼を受けた現代人には、少なくとも意識的には通用しないでしょう。勿論一皮むけば前近代的思考が深層意識にあって、こういう危機の際頭をもたげ、お祓いや厄落とし、疫病退散の護摩焚き祈願に向かうのですが、精神的退行現象です。

 ここでは、19世紀「近代細菌学の父」と言われる、R・コッホ(結核菌、コレラ菌)、L・パスツール(狂犬病菌、炭疽病菌)による細菌の発見、治療法としてのワクチン開発、公衆衛生学の普及等の、近代医学と言う非人称(われーそれ関係(M.ブーバー、人間と自然科学の対象としての自然との関係でコロナを論じる)関係を共通思考の前提で考察します。

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新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(2) −亀井俊博−

・写真:雪の中の蕗の薹

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

 

「新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(2)」

執筆:2021年1月13日

<第2回>
・4回の連載で掲載いたします。(SALTY編集部)

<第1回>より    <—– クリック!

(C)教義神学的考察

 これより本旨に入って、教義神学とコロナとの関係を考察します。教義神学にも多くの教義項目がありますが、特に創造論との関係を述べます。その前提の私独自の創造論を述べます。

 万物の起源を論ずる神学が創造論であり、終わりを論ずるのが終末論です。万物の起源についての人間の考察は、①無起源・無終末を説く循環論(仏教、輪廻転生)があり、②起源を認める論には、“うむ、なる、つくる”の三つの立場があります(「歴史意識の古層」丸山真男)。“生む、成る”は神道、儒教的立場です。“造る”が三大一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)です。

 創造論は特にキリスト教で発展し、近代科学を生み出す要因の一つになったと言われます(「近代科学の源流」伊藤俊太郎、「近代科学と聖俗革命」村上陽一郎)。正統的な創造論は既刊の神学書に譲り、現代の創造論を“生態論的創造論”とした神学者、J.モルトマンの立場で今回のコロナ問題に対応します(「創造における神」、J.モルトマン組織神学論叢 2 )。さらに構造主義神学的方法論として私の説く人称関係論的神学的観点からお話しします(拙著「まれびとイエスの神」、講話)。

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新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(1)−亀井俊博−

・写真:ビオラの花

 

 

 

バイブル・ソムリエ:亀井俊博

「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師

 

「新型コロナ・ウイルス感染症の神学的考察(1)」

執筆:2021年1月13日

<第1回>
・4回の連載で掲載いたします。(SALTY編集部)

(一)コロナ論議

 こんなに長期戦になるとは思っていませんでした。新型コロナ・ウイルスとの戦いです。戦争ならどこか遠くに戦線があって、夕食のTVニュースを見ながら心を痛めているのですが、この戦いは私たちの日々の生活が最前線で、私の様な後期高齢者にはいつ弾が当たって感染、死に至る病になるか戦々恐々です。医療者、経済界、教育者、政治家、ジャーナリスト等、様々な観点から意見や、行政の取り組みに批判を述べています。中には宗教界からも、コロナ封じの御祈祷の勧めがなされています。まさに総力戦の観を呈しています。私も今まで、その時々に意見を述べてきましたが、ここにキリスト教福音派の視点で神学的な考察を試みてみます。なお参考資料の「拙著」は電子図書で刊行されています。

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